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療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.56
11月のカフェでは、引き続き、書籍「ニューロマイノリティ(横道誠・青山誠、編著)」の、第9章の「2、その人の身になってみる努力をする」を読み進めていく。
ここでは、自分と違うことに対して、「必死で想像する」だったり「括弧でくくる努力をする」だったり、と、さまざまなヒントが提示されている。それらについて、参加者と共に話していく中で、「自分の中にフィルターがあることに気がつく」という意見が出た。この「フィルター」という言葉を改めて考えてみる。なぜなら、この書物は、第9章に限らず、ほぼ全ての章が、その「フィルター」とやらに、揺さぶりをかけてくるからだ。
そしてただ、揺さぶりをかけられるだけでなく、その向こうを考えていきたいと思うのだ。その人の身に少しでもなって、共に幸せな気持ちを味わいたい、と思うことだったり、自身が崩壊する位ショックを受けることかもしれない…。
内側から人を理解するということを知っていくためには…、どんなことが待ち受けているのだろうか。次回は、最後まで読み進める予定だ。(12/20、21時よりオンラインにて)
後半は、前回に引き続き、「「ふつう」という檻」(信濃毎日新聞社編集局 著 岩波書店)を参加者のファシリテートで読み進めていく。参加者からは、「普通がしんどい」「学童のもつ普通さ」「ご飯のルールが進まない子の対応とは」「視覚支援していくということ」…など、さまざまなワードが飛び交った。意見交換しながら、自分達の思考が整理されていくようで、自分を含め、刺激的で心地よい時間であった。それゆえにあっという間でもある。
次回も引き続き。