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The Cosmic Bums テーマ・疑問・物語背景設定
~テーマ~
母なる惑星が滅亡する時、あなたの自己はどこに存在するのか?
~疑問と投げかけ~
人間が何者かになりたいというのは、西洋思想的な人間の上位存在となる絶対的な神がいる上での思想であって、それを理解し近づくために成長し何者かになるというものだ。
自己の個別性、自己意識、自己実現が重要視される。自己の特性や能力の発展、成功を追求することが目指される。
人間が、神になる(それっぽいものに近づく)ための条件とは何だろうか?
西洋思想における神は、一般的には至高の存在であり、宇宙の創造主や支配者とされる。神は普遍的な知識や全能力、無限の存在であり、人間や自然界を超越している。
神はしばしば善や正義の源とみなされ、人間の進行や崇拝の対象となることがある。
しかし、人類は全能力も持たなければ、普遍的な知識も持たない。宇宙を創ることもできない。
よって、西洋思想のゴール、神になる・人類が永続的に存在するためには、外的な要素を理解しながら工夫しなければいけない。
まずは、自然への理解。奇跡と呼ばれるものの解析。奇跡とは、基本的には、人類の救いとみなされるもの、超常的な力が奇跡とされている。
奇跡を理解し、再現性を持たせることで神に近づく。
神は神を信じる者に対しては味方だ。信じ理解すれば近づくことができる。個人の目標達成、自己充実が重要視される。個人の独立性、人間の理性や自由意志を強調する。
対して、人間が何者かになりたいというのは、東洋思想的な考え方では存在しない。
自己は無限の意識、万物とのつながりの一部として捉える。自己のエゴを超越し、自己の内面を探求することが重要とされる。自己は存在しない。
東洋思想における神は存在しない。強いて言うならば、自然が神である。
東洋思想のゴールは、自然・宇宙と一体化することを指す。内的な要素を理解しなければ一体化がなされない。
人間の内面の平和や調和、社会との一体感が重視される。個人は社会や自然と調和することによって幸福を追求すると考えられる。
そこには人類の存続や、何かになりたいというような、自己は存在せず、あるがままを受け入れる。
ここで一つ疑問が生まれた。
我々の住む惑星が残りわずかで滅亡してしまうと知った時、これらの二つの思想はどう作用するのか?
この疑問の時点で、惑星の滅亡を止める能力を持つ者はいないという前提となるのだが、
東洋思想のみで育ってきた状態であれば、自己は存在しないため星の寿命も現実として受け入れるだろう。その中で内面へ向かう行動へと働く。
しかし、西洋思想の発展により、自然と技術との交換による進歩を享受し、その恩恵に胡坐をかいてきた現在、星の寿命が残りわずかであると知ったとき、どのような選択肢を取るのだろうか?
自己はどう作用するのか?この現実を受け入れられるのか?
技術が発展したことにより、外的な希望は存在するのか?
外的な希望が存在することを信じつづけるのか?
自身の内面へと向かうのか?内的な救済を求めるのか?
東洋思想のみ、西洋思想のみの選択肢と、西洋思想と東洋思想が入り混じった状態の選択肢を投げかけたい。
あなたはどのような選択を取るのか?
どこに我々の精神・肉体の幸福への活路があるのか?
~物語の流れ~
モシーズ星では、モスによる君主制を採用されており、生理的欲求は全て満たされている状態。
貧困状態のものはいなく、基本的なものは全て満たされている。ある程度の富、ある程度の名声、ある程度の力を全国民が保持した状態。
この星の住人は主人公も含め、社会的欲求を強く求める。
住人は、何不自由なく満たされた社会に生きており、深く絶望したことがないがどこか世界に冷めていて、この先に根拠のない外的な希望を信じて生きている。深く考えることもなく、この現状が一生続くものとして生活している。
この星の寿命が残りわずかであることが知らされる。
これまでは、与えられた役割に徹しており、この先への計画や戦略について深く考えてこなかった。ここで、初めて個人の意思で予測不能な社会に対して考え参画する機会が与えられる。
社会的欲求を求め、宇宙船を造船し、この星に貢献しようと奮闘する。
宇宙船の成果が社会的に認められ、「この星の住人が生存する」ということが自己実現の欲求となる。
欲求が満たされたことにより、自由という概念を認識する。自分が多くの選択肢を持つことを認識する。
自由を手にした、二つのチームがそれぞれの真理に到達する。
①主人公のチーム:
東洋的な真理と出会う。この世界は無。主体客体は存在しない。宇宙と同一になることがすべて。
②ライバルのチーム:
現在の能力では、新しい移住先を見つけることはできない。この世界は無。
それぞれが、真理に到達すると
①では、真理を積極的なものとして捉え、自分たちの真理への追究を目指す。認識した自由は、星の存続・住人の生存へと向かう。集団的な利益へ走る。
② では、真理を消極的なものとして捉え、真理から目を背ける。認識した自由は、破壊衝動性・権威主義、機械的画一化へと向かう。我欲へと走る。
①も②も形はどうであれ、現在のモシーズ星の君主制から民主制への転換を望む。
両者ともに真理の共有・平等・友愛を求める。
彼らはそれぞれどのような選択肢を取るのか?
~登場人物・世界設定~
「人間が求めるもの」に沿ったキャラクター設定。
モス:モシーズ星の統治者、神になりたいスーパーマン。力(物理)を極めることに注力し、災害に対抗できる力を獲得した、能力主義者の頂点。成れの果て。君主制としてこの星を統治する。「優越欲求」。
Man Of Steel からmos(モス)と称する。
星の管理をするカルとエル。
カル:自由を放棄し、機械的画一化へ向かう。知識の収集を行う。
エル:自由を放棄し、機械的画一化へ向かう。知識の収集を行う。
フラーレン:宇宙船を作る集団1。フラー、キタロ、グリーンウッドの3人組。
フラー:力(物理)への憧れがあり、自由を求める。積極的な自由。モス(西洋思想の象徴)に憧れているが、仙人(東洋思想の象徴)と未知との遭遇を果たす。
キタロ:力(知)への憧れがあり、自由を求める。積極的な自由。
グリーンウッド:真理の追求。公平な視点で、絶対的な真理を求める。「認識欲求」。
メリー・プランクスターズ:宇宙船を作る集団2。バッキー、ケン、ブランドの3人組。「陽気ないたずら者たち」という意味。
バッキー:力(物理)への憧れがあり、自由を求める。消極的な自由。破壊衝動性を持つ。モス(西洋思想の象徴)に憧れているが、現体制のモスに懐疑的な思想を持つ。
ケン:力(知)への憧れがあり、自由を求める。消極的な自由。権威主義。ブランド:力(知)への憧れがあり、自由を求める。消極的な自由。権威主義。
トム:真理の追求。モスから強い迫害を受けたため、主観的な目線で、正しさを求める。「対等欲求」。
残りの住人たちは、好き勝手アトランダムに動く存在。
エーリッヒフロムの「自由からの逃走」を参考にキャラクター設定。
人間を自由を得たとき、2種類に分かれる。
積極的な自由と消極的な自由。
積極的な自由:「自分の理想の姿」を思い描き、その実現のために行動する。モス、グリーンウッド、トム、フラー、キタロ。
消極的な自由:孤独や無力感に苛まれ自由から逃げ出したくなる。消極的な自由から逃避する人々の行動パターンは、権威主義、破壊衝動、機械的画一化に大まかに分けられる。
カル、エル、バッキー、ケン、ブランド。
モシーズ星:各々の個性が強く、良いも悪いも個人が生き生きとしていて現代の人間的。自分と他人と自然の認識が明確に分けられている。個人個人の力を高めることに注力し力が強い。集団の知の力は非常に弱い。星の中の物質などの個の理解は深いが、物心二元論的な考え方で、物を物としか見ない。
星の寿命は後100年。モスはその事実を受け入れられず、生き残る方法を模索する。
仙人の星:それぞれのわかりやすい個性はないが安定した生活をしており、星が生き生きとしている。自分と他人と自然の認識が溶け合っている。個人個人の力は非常に弱いが、集団の知の力・精神的な力は非常に強い。星の包括的な知識に富む。
星の寿命は後200年。仙人たちは星の寿命を既に知っており受け入れている。
~テーマ曲~
序盤
Joy to the World / three dog night
Twist and Shout / the beatles
中盤
No suprises / Radiohead
Straight No Chaser / Thelonious Monk
Bending Hectic / The Smile
Teleharmonic / The Smile
終盤
はらいそ / 細野晴臣
Yellow Submarine / the beatles