ベッドがあって、羽毛布団があって、枕があって、本があって、読書灯があって。 私は今、自分の肌に触れているものをまずは意識してみた。 次は触れてはいないけど、そこにあるものを意識してみる。 …んー、むずかしい。 そこにあるのものなのに、たくさんありすぎるし、どこの範囲までが「そこ」か、わかりにくい。 物質ですら難しいのだから、 「相手の気持ち」などというものは、意識しづらくて当然なのかもしれない。 では、自分の気持ちはどうだろう? 自分の中にあると思われる「気持ち」。 そ
それぞれの月日が流れた。 そこにあったものがなくなり、なかったものがある。 今日を生きる「いま」が、どのくらい素晴らしいものかを説く人がいる。 今日を生きる「いま」を、感じることができないでいる人もいる。 私はいま、何をしているのか。 いま、どこにいるのか。 いま、何を感じているのか。 私の過去が数珠繫ぎとなり、「いま」がある。 「いま」が繋がり、未来が築かれる。 だからこそ「いま」を見てみよう。 あなたはいま、何をしていますか? いま、どこにいますか? いま、何を感
絶対に否定したりしない。 死とは死でしかない。 事故死、病死、自死、、、そこに優劣もなければなんの差もない。 死とは、死なのだ。 日々当たり前に目の前にあるものであるのに、見えていないだけなのだ。 私はそう考えている。 合掌。
わたしは、一生のうちティースプーン一杯ほどだと言われているホルモンに自分のLIFEをかき乱されたくないし、気圧変化への過敏さなんかは、現代ではいらんだろと思うから捨て去ってしまいたい。 なのに。 食欲と性欲と睡眠欲をこよなく愛している。 で。最近の私の思いをここに吐き出しておこうと思う。 人はみんな違う。一人ひとりが違う。当たり前のことなんだけれど、わたしはザクッとカテゴライズしてしまうときがある。 過去の自分の経験と結びつけ、「あの人はこういう人だ」「あの人は私と似
真っ白な世界からどんどん色が増え始める。 春。 水仙やクロッカスも芽を出し始めた。 亀は冬眠からさめた。 池に金魚を戻した。 雪が溶けて土が見えてくると、土はモグラの通った道だらけ。これを見ると春をより実感する。 空を見上げると春特有の霞がかかっている。モヤッとした空の色は、年度替わりを跨ぐ人間たちの心みたいだ。 何が正しいのか。 わからないけれど。 私は私が間違っていると思う時が多い。後悔や反省の日々。 それに、怒りの感情に触れ続けているとこちらまで怒りの感情に飲み込
私は、冬の寒い日の朝の空気が好きだ。 マイナス7度くらいがいい。 踏み込む雪が「ギュッ」と音がするくらいの湿度でさらには雪がうっすら5センチくらい積もっていればなお良い。 冬の晴れた日の夜も好きだ。 澄んだ星空の中を月明かりに照らされながら歩く。 コンビニに寄ってアイスを買っても大丈夫。いくら寄り道したってアイスは溶けない。凍てつく寒さをも味方にして、夜の雪道を独占する。 冬の雪道…思い出す光景…。それは、私の財産だ。 泣きながら飛び出した私を追いかけてきてくれたK。
最近読んだ本といえば、伊坂幸太郎氏発案の螺旋シリーズ。めっちゃくっちゃに楽しい。まだ全然途中だけどね。ていうか。偏りがちな私の好みを、みごとに打ち砕いたよこの企画は。作家さんによってより好みしていたり先入観から手に取らないモノなどある私なのだが、今回のシリーズはこの企画がなかったら絶対に読まなかったと思う作家さんも参加されているのだ。いやー、これが目からウロコ、人生かなり損してた。どの作家さんの作品もめっちゃおもろいやないかい…。がびん。 あと、オープンダイアローグの本とか
以前、アメリカ各地でプロテストを通り越し暴動にまで発展した人種差別問題。(ちょっと語弊がある言い方をしたが、抗議活動と暴動は全く別の人がやっていたことはちゃんと知っている。) 私は自分自身が差別されたと感じた事は一度だけ。 中学生のとき、フランスで、持ち物にローマ字で書いてあった名前を馬鹿にされながら笑われた時。 何度も繰り返し名前を呼ばれながら、笑われた。 どうしていいかわからず、俯いて黙ってた。 フランス語がわからないから何を言われてたのかわからないけれど、「なんだか嫌
まずはじめに。 これは私の勝手な思いをだらだら書き綴っている散文なだけであり、誰か特定の個人を非難する目的も意識もない。ただただ、私の心の中にあるモヤモヤの言語化を試みているだけなのであしからず。 ※※※※※ 「重度心身障害者が好きだからそれに関わる仕事をしたい」と聞いた時に、その言葉にひっかかりのようなものを感じるのは私だけなのだろうか。 「子供が好きだから子供に関わる仕事をしたい」 「高校生が好きだから高校生に関わる仕事をしたい」 「21トリソミーの人が好きだからそ
私の中で一番古い海の記憶は、小学校低学年ごろだろうか、浮き輪にまたがるようにして乗り、波打ち際でぷかぷかしていたら、バランスを崩し顔から砂地にめり込むほどに転げ落ちた。 目に入った砂を海の家の有料の温水シャワーで流すよう母に連れて行かれたが、まあ痛いこと痛いこと。「擦るな、流せ、バカ、ほれ擦るな!」 その日の夜は、顔の穴という穴から、砂が一晩中出続けた。 朝起きたとき、シーツがジャリジャリしていたことを今でもはっきり覚えている。 私の亡くなった父は、海が好きだった。 父は
今までの人生で一度も間違いを犯すことなく、一度も他者を傷つけることなく、生きてきた人なんているんですかね?? 世の中の人間全員が情報を発信する力を持つ現代において、“過去”の取り扱い方って、本当に難しく繊細な部分だな、と。 そして、このインターネットという海の中にすべての情報があると錯覚してしまうような現代。 一人ひとりの情報の取捨選択にかかっているという危うさ。 自分を守ることに必死で、自分の不安を消しさりたい一心で、一線を越えてはいないか?タップをする前に、一度想
予定日超過9日目、誘発分娩ののち、無事4500グラムを超える超巨大児を経膣分娩で出産した私。 産後色々とググってみたが、超巨大児出産についての体験談がとっても少なかった。 出産は命がけ、産む方も生まれてくる方も。なんなら助産師さんもドクターも、みんな必死。 そんな話をnoteに残しておこうと思う。 予定日を超過した41週の検診の時、胎児はすでに推定で4000グラムを超えていた。しかし、第一子、第二子を3400グラム前後で生んでいることもあり、ドクターの判断は「2日後、朝から
我が家の自閉症スペクトラムっ子、エビリファイを服薬し始めた。 学校、放課後デイからの情報提供書に目を通すドクター。 私も一連の流れを説明し、最近の様子を伝える。 学校には車で送り迎えしなんとか行ってはいるものの、一日中好きにすごしているだけでほぼ授業を受けていないこと。 新しい担任と、うまく噛み合っていないこと。 Dr「漢方でも飲んでみる??」 私「漢方苦いですよね」 Dr「ココアで飲むといいよ」 私「ココア飲めないんです。チョコも」 Dr「じゃあ、厳しいなぁ」 私「……
息子の幼稚園の卒園アルバムに息子が描いたというタコの絵。 卒園アルバムを受け取ったとき、息子が自ら描いたようにはみえなかった。なぜなら、赤いクレヨンで描かれたタコだったから。 息子は、4歳くらいまで 兎に角乗り物が好きだった。いや、まずはタイヤが好きだった。次にはトミカを箱に出し入れするのが好きだった。 その後ようやく。乗り物そのものに興味をもったようだ。 その次に興味をもったのが、生き物だった。 とくに初めは海の生き物だった。きっかけは忘れたけれど。 沖縄のちゅらうみ
「服薬も検討してみてもいいかもしれません。」 突然言われた。放課後等デイサービスの作業療法士さんに。 その日、自閉症スペクトラムの息子が放課後等デイサービスで暴れたそうだ。 さて。 私はいま、臨月の妊婦である。出産予定日まで2週間をきった。 怒涛の9月になるであろうことは、わかりきっていた。 私の出産もさることながら、9月から支援級の担任がかわることになっていること、運動会があること、かけ算が始まることに異常にビビっていること、、、等。 その為、対策のできることはしておこ
色即是空空即是色 何かに思い悩んだ時、考えても考えても答えが出ない時。 ふと思い出すのは、般若心経。 そう、すべては「空」なんだった。そうだった、、と思うとなんだか心がすっとする。 私はいつも、無意識に差別している。 人を。価値観を。 私はいつも、それに気がついては自己嫌悪に陥りふてくされる。 知識が邪魔をする。 経験が視野を狭める。 オールリセットかけてまっさらな頭になれればいいのにと、涙が出てくるのだ。