加筆版『マスターとの対話』①幸せになるには心の悪魔が必要だった?!~なぜ柱は人間でなくてはならないのか?
先日、2008年に書いていた『マスターとの対話』をふと読んでいたら、びっくりするような内容がありました。
その当時も「なるほど~」とは思っていたのですが、13年経った今だからこそ!
めちゃくちゃ理解できるような内容や、時代、事象とも通ずるものを感じましたので、是非掲載したいと思いました。
その内容の一つに「なぜ柱は人間でなくてはならないのか? 」とも読める内容がありました。
さて、さて、ちょっと前にTVで『劇場版~鬼滅の刃~無限列車編」が放映されましたね~!※ちょとだけネタバレあります
その映画の中で「炭治郎」が
「人間は鬼の活動する夜にわざわざ戦っているんだ!だから、人間である煉獄さんの方がすごいんだ!!」と、逃げる鬼に向かって言い放つシーンがあります。
そこに、この映画のテーマ、煉獄さんがずっとこだわり続けた「人間であることの意味」が暗に示されていたと思うのです。
人間であることの方がすごくて意味ある事なんだ!ということですね。
繰り返し鬼から「鬼になれ!そうすればずっと戦っていられる!そうしなければ、お前は死ぬぞ!」と言われても、煉獄さんは鬼になることを選びませんでした。
なぜ窮地に立たされても、鬼になることを煉獄さんは選ばなかったといえば、人間であることに意味があると深く理解していたのではないかと思います。そして、それが「柱」という存在なのではないかと思いました。
さて、「柱」といえば、『鬼滅の刃~無限列車編』のTVアニメも絶賛放映中ですね!
「炎柱、煉獄杏寿郎」さんが、なぜ無限列車へと乗り込んだのか?そこで何が起きたのか?のお話です!
本日、10月16日(土)第一話放送開始 夜11:30~TOKYO MXにて放映予定です。
フジTVでは、すでに放映開始してまして、明日10月17日(日)夜11:15からは、第二話が放映されます。
さて、ではマスターから話してもらった「人間であることの意味」、そして「幸せになるためには悪魔が必要である」とは、一体どういう意味なのでしょうか?
では早速、お届けしたします~!!
※マスターとは:高次に進化した肉体を持たない意識体のこと
『マスターとの対話』幸せになるには心の悪魔が必要だった?!~なぜ柱は人間でなくてはならないのか?
マスター意識(モーセ意識)>>さて、これから幸せについて話ていこう。
「幸せ」とは確かに人それぞれの観点である。
お金がある事で「幸せだな~」と感じる人間もいれば、お金なんか一切無い方が「幸せだな~」と感じるものもいる。
「これが幸せの姿である」とは、単一的には決していえない。
しかし、そんな中でも幸せを得てゆくその方策はあるのだよ。
その話をしてゆこう。
【幸せを決めている場所とは?】
さて、幸せとは人間のなにが、どこが決めているのか?と言うことが大事だ。
まず、それはなんであろうか…?
そう、それは感情だ。
では、それは一体どこであろうか…?
それは、そなた達人間の心の中だ。
心の中で「幸せだ」と感情が感じ、それが「幸せ」であると決定している。
だから心の中がどうなっているか分からなければ、その人間は「自分にとっての幸せ」を一生掴むことなどできない。
いいかね……。
一生だ。
「これが幸せです!」とたくさんの法則や、ツールやそのワークなどが巷に氾濫しているであろう。
しかし、人は自分が一体どこで幸せだと判断しているのか、その本当の場所を知らない。
これは例えて言えば、人間は食べる事が大切だと知っておきながら、その食べ物が一体どこで、どのように生産されているのか知らない事と似ている。
人は知ってはいるのだよ。
幸せが大事だと。
しかし、幸せがどこで、どう生産されているのかを知ろうともしないし、知りたくもない。
いいや…。
知るのが恐いのだよ。
人は、「安易な」食べ物やおいしいものが口に入る幸せを奪われたくない。
だから、それがどこのものか、なんなのかなど知りたくないし、知るのが恐い。
だから、そのように安易に「流されたい人間」は、本質や真実を避けようとし、そこから逃げようとまでする。
それは、一重に知りたくない、つまり…。
目覚めたくないからだ。
【真理に目覚めると奪われるもの】
では、どうして頑なまでにその人間は知りたくないとし、真実から逃げようとまでするのであろうか?
それは、それを考え始めれば膨大な時間が自分から奪われる事を暗に知っているからだ。
自分にはそれを考えて、噛みふくめ、理解し、判断する能力なんかないと、自分が判断するからなのだよ。
そう判断させられている心の作用が存在する。
では、その作用とは一体何か?
それは、人が神になるべくその精神性を磨く、その過程、行程を「阻みたいものがおる」のだ。
それが、いわゆる「心の中の悪魔」だ。
【それが「生きる意味」「生きている意味」】
人間は常に、本当の神性、神のエッセンスを自分の中から導き出す修行を繰り返している。
それを見出すまでの、試練、訓練、練習がこの世での「生きる意味」である。
すべての人において、輝かしい神のエッセンスを持ってこの世に生まれ、自分が何者なのかを知ってゆく過程を楽しんでいるのだよ。本当は、な。
それが神のたしなみなのだよ。
神は、自分が何ものなのかを知っている。
しかし「もしすべてを忘れてしまい、苦しい状況下に置かれたとしても、自分は神であると発見できるのか?」と言う学びを繰り返している。
もしそなたたちが、とてつもない「神性」を手に入れ、それをもう一度発見したいと思った時、そなた達は一体どのような事を考えつくのであろうか?
その行程が、「生きている意味」である。
自分は素晴らしい輝きの存在なんだ!ということを知ること…。
これが今生、この世で「生きている意味」だ。
だから、そうとは思えない状況が次から次へと降ってくる。
これは、それでも自分の神性を導きだせるのか?の問いでしかない。
【神が幸せを感じる方法とは】
…さて、幸せであったな。
では、その神の視点から考えて、本当の幸せとは一体何であろうか?
どうかね?
分かるかね?
自分がもし神のような素晴らしい存在であった時、その「神」の幸せとは一体何であろうか?
それは、まず「心の悪魔」と向き合い、それと戦い、勝ったその経験…。
これが幸せになるであろう。
誰でも、心の悪魔を宿している。
どんなに素晴らしい人間でも、どんなに純粋な人間であったとしても、心の悪魔は存在する。
なぜなら、「それが人間の姿」だからだ。
【悪魔のささやきを受け入れた代償とは】
人間の姿として、この世に止まり、生き延びてゆくためには、その悪魔がこの世に身体をとどめてくれているのだよ。
まことしやかに、自分の心を騙し、そして「真理」から目を背きながら生きるよう、悪魔は説得する。
人間は悪魔の言う事を聞くと、この世で自分の心と向き合う苦労(本来の生きる意味)をしないで、この世で生きられるようになる。
しかし、悪魔のささやきには必ず代償がつきものだ。
その代償を払う代わりに、「自分の心と向き合う苦労(本来の生きる意味)をしないで、この世で生きられる」素晴らしい価値を手に入れるのだよ。
その悪魔の具現化が、ドラックであろう。
それが一番の具現化された姿である。
今、ドラッグが流行り、それが若い人間達にも流行っていると聞くが、それは由々しい事だ。
それが一体どれほどの代償を払い、ほんのひと時のまやかしの快楽と心の解放を手に入れたとしても、ドラッグに蝕まれた代償は取り返しのつかないものになると、後になって気づいても遅いのだよ。
それは紛れも無く大人のそなた達が、生きる意味を知らないから、そして生きる事をしないから、若者がその悪魔の言う事を聞いてしまうのだよ。
今、自分に本当の神性を取り戻してゆきなさい。
時間は限られているぞ。
…さて、心の悪魔であったな。
【悪魔に魂を売らずに生きる方法とは】
では、心の悪魔に魂を売らずして、生きてゆくことは叶わないのであろうか?
それは、本当に生きる事をし始めた人間から、その悪魔は駆逐され、肉体という限られた不自由な姿のまま、この世を生きていかれるという「自由」を手に入れる。
つまり、心の悪魔の口車には乗らず、自分という存在がどれほど素晴らしい存在なのか?を、限られた手がかりでひも解くという「試練を乗り越え」「たゆまぬ訓練」をし「練習を怠らない」ということ。
これに他ならない。
さて、「性善説」「性悪説」があるのは、あの世だとか、生まれ変わりだとかの「目に見えない世界観(スピリチュアリティ)」があり、またそれは理論ではなかなか理解しがたいものがあり、翻弄されてしまう人間は
「神への畏(おそ)れ」
「悪魔の恐怖」
このどれも軽んじてしまった愚かさゆえの悲劇から、こうした説を唱えるのであろう。
昔の人間は知っていたのだよ。
自分の心にどんなものがおり、それはどのように向き合えばよいのか?
だから神を徹底的にあがめ、心の悪魔が自分をさらってゆく死の恐怖から免れていた。
その説から、人間はどうあるべきかと理解させるためのストーリーだな。
さて、そなたたちは性善説派かね?性悪説派かね?
そのどちらを信じた方が、そなたは心の悪魔のささやきに乗らないのであろうかのう。
【はかなく散る命がなぜあるのか?】
そうそう、先ほど「この肉体で止まる為に、悪魔が必要だ」と話したが、そのわけについてもう少し詳しく話そう。
それに矛盾に感じるかもしれないからな。
生きている意味とは「心の悪魔と向き合い、自分の心の中の神性を手に入れる」事だ。
まず、自分を誘惑する要因が無ければ、それを駆逐する経験も生まれない。
だから、悪魔は現世を生きているその過程では必ず必要となる。
とすれば、悪魔は神でもあるし、神の姿から派生された御姿(みすがた)であるとも言える。
しかし、人によってはその悪魔を心には宿しておらず、現世的に生きてゆく事に重きを置けず、自分を迷い、結局生きている意味をなくし、結局この世を離れていってしまう者もおる。
その者は、自分の心の中に現世を生き抜くための悪魔が宿っていないことを悲観し、究極に追い込まれ、はかなく去ってゆくのだ。
それは大変、大変、つらく、空しく、寂しいことなのだ。
では、次回そうした者についての「天子の学び」について話していこう。
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さて、いかがでしたでしょうか?
『鬼滅の刃』で描かれている「柱」という存在は、まさに人間として生きるうえでの「マスター」的な存在で、こうしてチャネリングしている「モーセ意識」もまさに、マスター意識ですので、その深淵な言葉は、人間として生きていく大変さを知っているからこそ、慈愛に溢れているのですね。
これが13年も前に書かれてたことにもビックリですし、そして次回に続きます「はかなく散る命を助ける方法とは?」では、去年亡くなられた有名俳優さんや、女優さんのことを思い起こされる内容となっております。
純粋すぎるが故の悲劇とは、一体どういうことなのか?
是非、また起こしください~!
それでは次回まで、オーヴォワ♪⸜( •⌄• )⸝
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