笑あり涙ありで見送る看取り介護の話
うちが運営する特別養護老人ホームミノワホームでは年間数十人のお看取りをする。積極的な医療ではなく自然な最期を迎えるための、ターミナルケアである。
昨日、入居者であり、現在ターミナルケアをしている島田育男さん(仮名86才)が永眠した。奥さんは3か月前に他界したばかり。これまで育男さんのご長男さん夫妻が育男さんと奥さんを自宅で看てきた。育男さんは先週あたりから、もういつ逝ってもおかしくない状態が続いていた。
これまで毎日の様に面会に来ていたのは同居していた長男のお嫁さん。
入所が決まる前からショートステイ(お泊りサービス)を利用しながらご自宅で献身的に義父の介護をしてきたのもこの人である。
病院ではなく、介護施設での自然な形での最期を強く望んだのもこの人だった。 その理由として、3か月前に他界された育男さんの奥さん(義母)が病院で、管だらけでかわいそうな最期にしてしまったことを、とても後悔したのだと言う。
育男さんは一昨日から危篤状態であった為、親戚が次々と面会に来た。
家族も含め、みんなが「もう十分。大往生」という気持ちとお別れの心の準備をし、その時を穏やかに待つようにベッドの周りを囲む。夜中も順番で付き添った。その甲斐あってか、昨日はわずかながら一時的に回復を見せていた。
そんな昨日、ここ愛川町では新年恒例行事「町内一周駅伝」が開催されていた。ミノワホームの前の道路はその駅伝コースである。
息子さんから、育男さんは昔から大のマラソン・駅伝好きとの話を伺い
これは是非観させてあげようという事で、2階の窓際に連れて行き、リクライニング型の車椅子の背もたれを高く上げ、その光景を一緒に見守った。少し寒いが窓を開け、沿道での応援さながらに。
窓から見えるのは、沿道に地域の人びとが旗をパタパタ振って応援する姿、「がんばれがんばれー!」という声援。
颯爽と走り抜けるランナー達の姿。それまで目をつぶっていた育男さんだったが、この時ばかりは目をしっかりと見開き、その光景を眺めていた。
「おじいちゃん観れて良かったね~」とお嫁さん。
「好きだったもんな~」と息子さん。
しばし、それぞれがそれぞれの思いを噛み締めるような、言葉の要らない時間が流れた。
最後のアイス
午後になりお嫁さんが「おじいちゃんに食べさせてあげようと思って」と持ってきたのは「アイスクリーム」だった。聞けば育男さんは大の甘党でアイスクリームが大好きだったのだという。
しかし、人は終末期になると水分も喉を通らなくなる。ゴクリと飲み込む力がなくなるのだ。
無理に喉を通そうとしても飲み込み(嚥下・えんげ)が上手くいかず、本来食道に流れるはずの食物や飲み物が気管に流れ込み、むせたり、最悪肺まで達し誤嚥性肺炎を引き起こすリスクもある。当然、今の身体状況で肺炎になったらまず助かることはないだろう。
しかし、お嫁さんも息子さんもそのリスクを十分理解した上、最後くらいは好きなものをと、看護師と一緒にアイスクリームを小さくひとくちずつ、口に運ぶことにした。
お嫁さんが「ほらアイスだよ~」と声を掛けながらひと口運ぶと、アイスを口の中でモゴモゴと味わった。さぁ、次は嚥下だ。皆んなが注目するなか、しばしの沈黙が続き「ゴクリ」。しっかりと飲み込めた。
「おじいちゃん飲めたね~アイス食べれたね~」とお嫁さん。もう一口だけとスプーンを口に運ぶ。またも成功。この身体状況にあっても大好物に限っては時に理屈じゃないということをこちらも何度か経験している。しかし、三口目はさすがにむせた。それでも、しっかり味わうことができた。お嫁さんは目を真っ赤にして喜んだ。
アイスの思い出
そんな中、お嫁さんはおじいちゃんとの思い出話をぽろぽろと語ってくれた。育男さんは元気な頃、いつも家の冷凍庫をアイスでいっぱいにしていたこと。
しかし、近所に住む孫たちが遊びに来てはそのアイスを全部食べてしまったのだという。結局自分は一つも食べれなかったこともあったようだ。
そして冷凍庫が空っぽになると育男さんはまた買ってきては冷凍庫をいっぱいにしておく。
「おじいちゃんまたアイス買ってきたよ」というのが家族の暗黙の了解。そしてまた孫達が遊びに来てはそのアイスを食べてしまう。すると、育男さんはまたアイスを買ってくる。その繰り返し。だからいつも島田家の冷凍庫はアイスでいっぱいだったのだという。
お嫁さんは思い出にふけりながら育男さんの手を握りながら「ね〜。おじいちゃん、優しかったもんね」とささやいた。
付き添っていた看護師が「育男さん、本当はそれお孫さん達に食べさせようといつも買っておいたんでしょ」と声を掛けた。
育男さんは薄目で、声にならない声で「アァ…」と応えた。
晴れ姿
そうこうしていると、その静かな部屋に振り袖姿の女の子が現れた。職員の西田(仮名)である。この日、愛川町ではもう一つのイベント「成人式」が催されていた。
普段はTシャツ姿の介護スタッフ。華やかな晴れ姿をご利用者に見てもらおうと立ち寄ってくれたようだ。
決して上手とは言えないがお化粧をして、付け爪と付けまつ毛をして、振り袖姿で部屋に入ってきた。
ハタチの女の子の華やかな姿に部屋の空気は一変し、そこにいたご家族も職員もみんなが「おめでとう」と笑顔になった。
西田はちょこちょこと枕元に歩み寄り
「育男さん、見えますか~?私ハタチになりましたよ~」と笑顔で声をかけた。
育男さんは目をわずかに開け、また声にならない声で「アァ…」と応えた。
ちゃんと届いている。
「笑あり涙あり」とはこのことか。
本人はもとより、人生の後半において、縁あってここ(介護施設)で出会った介護職の西田と入居者の育男さん。
育男さんから見たら孫よりも若い子が自分に晴れ姿を見せに来る。ご家族も職員もおそらく本人すら予想もしなかった雰囲気がそこに生まれた。若い職員の屈託のない笑顔と、若さの特権。
最期の時を迎えようとしているこの状況下ですらシリアスな空気とはまるで真逆の、賑やかなムードすら生まれる。
16:30頃、もう呼吸が途切れ途切れになってきた育男さん。お嫁さんはずっと頬や頭をやさしく撫でている。
一方、その傍らで立ったまま戦況を見守る息子さん達。「息子さんも手を握って声をかけてあげて下さい。」と職員が言うも「いいよいいよ」と言って見守るだけ。するとお嫁さんが「そんなこと言ってないで、もう最後なんだから」と息子さんを促す。
息子さんは照れながらも「そうだな…」とベッドサイドに腰を掛け、育男さんの手を自分の両手で包むように握り、小さな声で何度も「そうだな」を繰り返した。
職員や他者のふとした一言で、家族のその繊細な心の機微を目の当たりにすることがある。そしてそれは我々にとって何度経験しても、大事な瞬間でもある。
最後のひと息
それから2時間余り、最後の力を振り絞って呼吸をしていた育男さんの呼吸が一瞬止まった。そして大きくゆっくりと息を吐いた。
俗にいう「最後のひと息」を見守るという時が来たのだ。それまでも無呼吸が繰り返されていた。しかし、その深い呼吸はそれまでのものとは明らかに異なるものだったのは、そこに居た皆んなが分かった。終末期のクライマックスである。
長男さん夫婦、その兄弟達・親戚一同が固唾を飲んで見守る。お嫁さんがポツリと漏らした。「もうこれで終わりかな…おじいちゃん、お疲れ様…」その場に居たみんなが穏やかな気持ちでついに迎えたその時間をあたたかく包むように共有した。そしてお嫁さんが手を合わせようと(合掌)とした次の瞬間、またもや部屋の空気は一変した。
「プハ~ッ」(育男さんの大きな呼吸音)
まるでプールに潜って水面に出てきた時のような大きな呼吸音。まだまだと言わんばかりの呼吸に、みんな「ん?おぉ!!」と歓声が上がったようにドッと大笑いし、吉本新喜劇さながらにズッコケたのだ。「いやはや、爺さんすげ~な~!」と一同に笑いが起きた。こんな場面で笑いが起きる。人の生死がかかったこんな時に。しかしながら、これは稀にある光景でもあるのだ。
まさに「笑あり涙あり」。
しかし、これはご家族がこの死を受け止めている証拠でもあり、みんながこうしておじいちゃんを囲み、身体をさすっているというその「今この時」こそ、育男さんの旅立ちを通じて家族が1つになっている証でもあるよう思う。「いつまでもお前たち兄弟仲良く、孫達も明るく元気で」きっと旅立つ育男さんの願いはそういうことなのだと思う。人生の旅立ちの際には、そうゆうささやかな願いが、子を持つ親、去り行く人の一番の願いや祈りなのだろう。
それから間もなく育男さんは天に旅立った。大好きな駅伝とアイスを味わい、みんなを泣き笑いさせ、静かに、穏やかに、眠るように、安らかに逝った。
介護の現場から
いつもこの状況を俯瞰すると行き着く答え。「どんな人の命も尊い」そして、そこに関れるこの仕事は、言葉にできないほど、感情を揺さぶられる仕事だ。
ミノワホームでは昨日そんな出来事があった。今回最期に直接関わった職員はこの時間をもこの仕事の価値として感じていると語ってくれた。そして「また頑張れる」とも言っていた。
介護現場の職員たちは、日々このようなドラマと共に「笑あり涙あり」の介護に向き合っている。
介護現場は皆、大きな対価は求めていない。ただ、全国津々浦々、これからの多死社会を支える介護現場では、死のとなりにいる家族と、その現場を担う多くの若者たちがいることを頭の片隅には置いておいて欲しい。