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爺ちゃんの話

2010年に僕は約20年離れていた地元に戻り、社会福祉法人の二代目経営者としての一歩を踏み出した。新規事業立上げてバリバリやってやると息巻いてた。

僕の爺ちゃんは70才で永眠した。馬場舜治(ばばしゅんじ)という。僕が中2の夏だった。当時70前後の爺ちゃん婆ちゃんたちはあれから20年経っても90前後。介護の現場に出てみると、まだ爺ちゃんの同級生や昔の友人達がみんな生きていたことに驚いた。後継ぎの僕を「若旦那」「若様」「若社長」などと声をかけてくれていた爺ちゃん婆ちゃんたち

婆さんA「何よ、あんた舜(しゅん)ちゃんの息子さん?」
婆さんB「何言ってんだよ、息子であるわけがねぇじゃんかよ、孫だよ孫!ワハハ」

そんなノリだった。

あるお婆ちゃんは僕の顔をじっと見て初恋の話をした。

婆さんC「舜ちゃんは気さくで良い人だったんだよ。盆踊りのときにな、いい着物と下駄でこっちに来られて後ろから肩をチョンチョンなんてやられたんだよ。アンタの顔見たら“初恋の頃を思い出したわ”」

婆さんD「おたくのお爺さんはな、よくうちの旦那さんと2人でラジオ作ったりしてたんだ。うちの人が出征する前の晩にな、『これで明日握り飯作って持たせてやれ』って、おたくの田んぼで取れた新米を持ってきてくれてな、2人でオイオイと泣いたんだよ」

婆さんDの息子「その時、お袋の腹の中に俺がいたんだ。親父はそのまま帰って来なかったけど、お袋にそんな話し聞いて、馬場さんちには足向けて寝るんじゃないよ、と言われたもんだよ」

婆さんE「うちのお爺さんと仲良しだったから、小さいあなたを軽トラに乗せて、しょっちゅう縁側でお茶していったんだよなぁ、覚えてる?」

圧倒された

これはほんの一部だ

それから原風景を辿る旅に出ることになる(デイサービスの送迎)のだが、まぁ、ちゃんと記憶に残っているものだ。

砂利が敷き詰められた庭、柿の木、車庫、門構、砂利道、瓦屋根の色、東屋、整備工場、田んぼへ続く道

そうゆう体験や経験が自分に蓄積されていることに無自覚だったのと、当時に引き戻されていくような感覚、幼かった自分には当時わかりようもない亡き祖父へのリスペクト

楽しみにしていた祖父は法人立上げの寸前に癌がみつかり、あっという間に帰らぬ人となった

婆さんF「舜ちゃんが作ってくれたここ(ミノワホーム)があるからこうやってみんなが集まれるんだからな、舜ちゃんも見たかったんべなぁ…」

僕は不思議なくらいなんにもわかってなかった。考えたこともなかったし、自分だけで生きてきたような気になっていた

30半ばの僕が、これからの未来を描こうとしていた当時、前ばかり向いていた僕に、振り返り、過去を紐解く必要性や、地域というものを教えてくれたのは、今ではほとんど亡くなってしまった、爺さんの友人たちだった

そんなことをふと思い出したお盆。

ミノワホームにもみんな帰ってくるかな

愛川「舜」寿会 https://aikawa-shunjukai.jp/




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