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ぐちゃぐちゃなまま生きていくしかねえんだ
大学時代の友人が飛び降りて死んだ。
久々にサークルの友人たちで集まったあと、自宅に着いてすぐだった。
当時の留学生が日本に来ることになり、せっかくの機会だからみんなで会おうと彼が声をかけて、グループラインを作ってくれた。地元に残っている四人と留学生で焼肉を食べに行くことになった。
合流してコースを決める段になり、彼の食べたい牛タンは一番高いコースだったが、流石に値段が張りすぎるのでその一つ下の食べ放題に決めた。それでも嬉しそうにしていた。
一杯目はいつもと同じようにビールでいいよなと勝手に注文していた。そのいつもからは三年ほど時間が空いていたけれど、相変わらずみんなビールだった。
乾杯の音頭でグラスを合わせて肉を焼いた。焼けるまでの間は肉刺しや肉寿司に舌鼓を打った。僕のわがままで頼んだ七味のホルモンをトングで挟みながら彼は辛いのはちょっと苦手なんだよなと笑った。
焼ける肉を見つめながら近状を語り合った。
留学生はロシア人で、勤める会社の同郷の内90%が解雇されたので、私もそろそろ危ないだろうと危惧していた。公務員の友人は、選挙がすぐそこに控えていることで残業三昧になりつつあった。カフェの裏方をしている友人は、部下たちの人間関係に煩わされて自律神経をやられて転職を考えていた。彼は現場監督の仕事が秋口から佳境に入り、二十連勤をこなしたところだった。
それぞれがそれぞれの場所で、それぞれの問題を抱えながら頑張っているようだった。結婚してる人もいれば最近別れた人もいたし、本当は来る予定だったもう一人の友人は風邪を引いてしまっていた。話の手が延びていった来る予定のなかった人たちの話にもなったけれど、大学卒業からはずいぶん経っていて、どこにいるのかさっぱり分からない友人たちもいた。
話す内容や状況が変わっていても、表情や言葉選びはそんなに変わっていなかった。あの頃のお約束みたいなやり取りをした時には焼肉屋が一瞬サークル室に見えたりもした。
たらふく食べてそれなりのお酒を嗜み、二軒目はカラオケに行くことになった。海外からのお土産を持ち込めるカラオケ屋に決めたけれど、会員カードを持っている人間は誰もおらず、公務員の友人が登録をしてくれた。
ドリンクバーで暖かい飲み物を持ち寄り部屋に入った。すっかり秋が深くなりつつあって気温が下がり、詰めたい雨が少しだけ降っていたから上着がしっとりと濡れていた。
流行りの曲に疎くなってしまった僕らは、世代のアニソンなんかを順々に入れていった。デジモンやお邪魔女ドレミ、ナルトやハガレン。懐かしさに浸りながらみんなが笑顔だった。
週の半ばに集まったものだから明日も仕事だった。終電に余裕で間に合う時間に駅へと向かいながら、あれからやっぱり大人になったんだなと彼と笑った。いい年したおっさんだと言っていた。
久しぶりに会えて楽しかったからまた会おうなと言うと、機会あったらな、と応えた。冬だったら牡蠣が食べたいよなと笑っていた。食べることが好きな彼らしいなと思った。
そうして各々の帰路に着き、四日後の夕方、グループラインで公務員の友人が「彼が亡くなったらしいんだけど何か知ってる人いる?」と連絡をくれた。
その夜に、留学生を除く焼肉屋にいた三人でカフェに入り話をした。
その日、公務員の元に刑事課から電話が入った。
ご飯を食べに行った当日の様子や交友関係、飲んだ酒の量、仕事やお金に困ってないか等を聞かれたらしい。そのあと電話の向こうで上司に変わられ、亡くなったことを聞かされた。
曰く、集まったあとに帰宅をして、そのまま投身自殺をした。なにもものを持っておらず、ポケットからはカラオケ屋のレシートだけが出てきた。そこから情報をたどっていって公務員の元に行き着いたらしい。部屋は既に整理整頓されており、恐らく最後の思い出作りの為にみんなに会ったのだろうと言われた。当日、親元のところへお金を工面しに行ったらしい。遺書やご家族の話は聞かせてもらえず、気に病みすぎずにという言葉と、ご協力ありがとうございましたというお礼で電話を終えた。
そしてなにも分からないままにラインをくれたとのことだった。
コーヒーを飲みながら話を聞いて、やっぱりなにも分からないままだった。
金に困ってる様子もないし、仕事の話も普通にしていた。当たり前のように笑っていたし、昔のこともたくさん覚えて懐かしんでいた。いまもそこら辺でばったり出くわす気がしていた。
三人で話していたけれど、全ての言葉が上滑りし消化不良になるだけで、何か新しい事実が出てくることもなければ気持ちを晴らすことにも繋がりはしなかった。
でも言えることは、死ぬことはないだろう、だった。犯罪を犯して刑務所にぶちこまれたんですという電話だったら何倍も良かった。それなら出所の日に横断幕でも持って待ち構えて、目を覚ませと頬っぺたをぶん殴り抱き締めることも出来たのだけれど、今じゃ殴る相手がいなかった。あの日をもっとつまらない日にしてやれれば良かったのだけれど、それで止められるようなものでもなさそうだった。それならばせめて、思いきり楽しい日だったと思えてもらえたなら良いのだが、いや、でも、死ぬことはないじゃないか。
みんなして気落ちをしながら、感傷に浸らないのは嘘になるから気丈に振る舞うのは辞めようと約束をした。ただ、暗いまま過ごすのは絶対に違うし、明るくて優しいアイツがそれを望むわけがないだろうから、馬鹿みたいに元気に生きようと付け加えた。そして、しばらくは定期的に集まって話をしようと決めた。四時間くらい話していた。なにも整理ができないまま解散した。
なにがなんだか分かっていない。
ふとしたときにアイツの顔が浮かんでくる。大学時代、アイツの誕生日なのに僕になぜかプレゼントをくれたことがあった。俺が楽しく生きられてるのはお前のおかげだから、と笑っていた。自分の誕生日はみんなへのお返しをする日だろ、と言っていた。
いつでも優しく、誰にでも平等な愛を注ぎ、誰からも好かれる奴だった。ジョジョが好きで、猫を愛でて、甘いものに目がなかった。真面目だけれど要領は悪く、でも勤勉な奴だった。
牛タンも牡蠣もまだ食ってないのに、その機会をもう潰すのは馬鹿野郎だ。なにしてんだ。
心の整理はついていないし、いつかつくものでもないだろう。その辺りはまだ分からない。
仕事の合間に頭を掠めたり、時間が空くと心の隙間にその事が入り込んできて落ち込んでしまう。
いま思っているのは、ぐちゃぐちゃなまま生きていくしかねえんだということである。整理整頓なんてできるわけもなく、どうしてこんな結果になったのかも分からないまま、時間だけは過ぎていくんだろう。ぐちゃぐちゃだ。でも生きるんだ。
ぐちゃぐちゃなまま生きていくしかねえんだ。