4月1日「マネキン」
休みの日だった。
夜ご飯を作る以外に特に予定のない一日、これから思いついた事を自由にできると言えば聞こえはいいが、手持ち無沙汰と言えばそれまでだ。
前の日の夜にセブンイレブンで買ったちぎりパンを食べながら牛乳を飲んだ。
パンのパッケージを何気なく見てみたら、深夜の三時に賞味期限が切れているようだった。そうか、二十三時過ぎに買ったとしても翌日の朝ごはんまで間に合うとは限らないのか。一つのしょうもない学びがあった。
とはいえ、そんな時間に買ったちぎりパンを真夜中に食べる人の数はそれほど多くないはずで、ということは、夜に買う人は次の朝のためであることが多いはずで、そして……とケチをつけたくもなったけれど「うーん」と唸ってケチを嚥下した。日付を確認しないことが悪い。
SDGsの一端を担ったのだということにした。
牛乳でパンを飲み下しながらNetflixを起動し、六話まで進んでいた『ジョジョの奇妙な冒険 第六部 ストーンオーシャン』を全部見ることにした。残り六話。
ジョジョを見始めた経緯は、僕の好きな作家がスピンオフ作品を書いたことが所以だった。舞城王太郎の『ジョージ・ジョースター』という小説を満足いくように読むためには、この六部まで見る必要があると発覚したからだ。
好きな作家の本は一冊でも多く読みたいのがファンの心理だから、興味のないジョジョを見始めたところ、まんまとはまった。win-winである。円満の状態で小説までありつける。
途中でプッチ神父というキャラクターが素数を数えていた。
言ってる意味がさっぱり分からない。まあ、不思議な格好良さ、というかクールさがあって、ジョジョを見ているなという感じがした。
十二話まで見終えたが、どうやらもう一クール続くようだった。調べてみると今年の秋頃ではないかと言われていた。少し残念だけれど、楽しみは多いほうがいい。僕は一番好きなおかずを最後まで取っておけるタイプである。
その後はシャワーを浴びたり皿洗いをしたり、身の回りのことを済ませて家を出ることにした。適当なカフェに行こうと思った。
特に行く宛も考えずに歩いていると、信号待ちの目の前を電動キックボードに乗った人が通り過ぎて行った。三十キロ近く出ていそうだった。
キックボードの後ろにはナンバーが付いていて、十年近く前に、車道を走るように法律改定されたニュースをやっていたことを思い出した。朧げな記憶だった。
つまり、あのキックボードに乗るためにも免許が必要ということなのだろうか。技術面での特殊訓練は必要ないだろうけれど、交通法については学ばなければならないから、自動車学校には行くことになるのだろう。
あえてのキックボードである利便性を考えたが、僕には分からなかった。
そんなことに頭を働かせていたら、一度だけ訪れたことのあるカフェにぶつかった。カフェラテの美味しいお店。
洒脱な絵が奥の壁に飾られていて、お洒落な店員さんが働いている。客層は若者中心で、一人でも集団でも使える、わりあい最近オープンしたお店だった。
入り口の一番そばの席を取ってから注文の列にしばらく並んで、難しめの注文に軽く手こずり、五十円のお釣りが必要な分のお会計を渡したら「よく来られてましたっけ?」と言いながら十円玉五枚を渡された。
僕の前までは話しかけていなかったのに、よりにもよって、注文を手こずっていた奴にする会話の一歩目としては、どこか間違っているだろうと思った。それとも、五十円玉が切れていることの誤魔化しなのだろうか。
二度目です、と答えると興味がなさそうに返事を返され、番号札を渡された。何だったんだろう。
ラテアートが施されたカフェラテを飲みながら、J.P.ホーガンの『星を継ぐもの』を読み切った。心配になるくらいに広げられた大風呂敷が、一つの解だけで全部畳まれるのは圧巻だった。そして最後のエピローグに胸が高鳴った。
これは間違いなくSF小説で、名作で、人間の浪漫だった。十年近く積読にしていたことを後悔するような小説だった。置いておいたところで、漬物みたいに美味しくなる本があるわけではないはずだから、やはり早く読むべきだった。
外を見やると、急に横殴りの雪が降り始めていた。
次いで、窓の広さに驚きながら、自分がカフェとしての景観の一部になっていたことに気づいた。それはあまりに重い責務だったが、本当は、通りゆく人はこちらに目もくれないことも分かっていた。
カフェのためのマネキンとして読書している奴、というような見られ方をするのだろうと思うし、僕が逆の立場であればそうだろうと思った。
この文章を書きながら、雪が少し止んだところを見計らって、これから夜ご飯の買い出しに出かける。焼きそばと中華スープを作る予定である。
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