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今日知ったこと•思ったこと



谷川俊太郎が『二十億光年の孤独』を書いたのは十八歳の頃らしい。



やなせたかしがアンパンマンを生み出したのは五十歳の時らしい。

コテンラジオ「やなせたかし編」感動だった。
聴きながら思わず描いた。



誰しも内側に秘めている世界がある。
その価値に優劣はない。

(十八歳の孤独な文学少年の内側も、戦争を経験し正義やヒーローについて深く考える五十歳の内側も、令和六年の一日を今日も生きたあなたや私の内側も、全部違って全部に等しく価値がある。)


それを外側に表現する手段が世の中にはたくさんあり、人によって向き不向きがある。

ぴったりの手段に若くして出会う人もいれば
歳をとってから出会う人もいれば
死ぬまで出会わない人もいる。

(やなせたかしが、自分の才能が漫画ではなく「キャラクターデザイン」にあることに気付いたのは晩年だった。)

さらに表現したものが世界にどう評価されるかは、無限の要素の掛け合わせで決まるから、ほぼ運みたいなもの。

🍞🌍


何が言いたいかと言うと、だから、まだ手段と出会ってないあなた(私)の内側に何が広がってるかが知りたい。見たい。

手段に出会ってるかどうかは、あなた(私)の生きやすさを決めるという意味などでは重要かもしれないけど、別に内側にあるものの価値とか、美しさ面白さ興味深さは、手段のある無しでは変わらないから。

哲学者だけが哲学的なことを考えてるわけじゃ無いし、ミッションビジョンをwebページに書いている人たちだけが壮大な夢や目標を持っているわけじゃないという、当たり前の事実。みんな面白いこと考えてる、持ってる。

言葉にもアートにもまだなっていない(一生ならないかもしれない)そのぐちゃぐちゃっとしたやつに価値があるし、どんなに拙くても手段をあれこれ探りながら表現して見たものにも価値がある(世界がどう反応するかは、その価値を決める要素のほんの一つに過ぎない)。

と、信じているし信じたいから、私はこうしてnoteを書く。

くだらない出来事でも、表現が拙くても、繰り返し語られたテーマでも、誰かがすでに分かりやすくまとめていても、結論が出ている疑問でも、ぜーんぶ価値があるので、ただ書きたいように書く。

引越してきたお家から、自転車で5分
この町での暮らしが楽しみ

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