愛という名前の呪い
おどろおどろしい感じの表紙とタイトルですみません🙇♀️笑
最後はさわやかに終わる予定なので、少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです。
チームコーチング式ダイエットに参加、3ヶ月でマイナス7kg。
わたしはいま、BeTEAMというチームコーチング式のダイエットプログラムに課金している。2022年5月12日からダイエットを開始し、2022年8月3日付で、マイナス7kgを達成した。
BeTEAMのプログラム(≒ユーザー体験)は本当によく設計されていて、参加者たちが「チーム」となって、互いを支え合い、励まし合い、達成確率を高め合う仕組みになっている。プログラムを通じて、長期で活用できる食事や運動の正しい知識も身につけられる。個人的には、人生で使ってよかったプロダクトBEST3にランクインするレベルで素晴らしいサービスだと思う。
BeTEAMのプログラムの一環として、昨日、3回目のチームコーチングが行われた。その中でチームシェアというものがあり、そのお題は、身体の変化、心の変化、そして、人生の変化。
その場でなぜかわたしは、愛について語り始めた。
そしてなぜか、参加してくれていたコーチとチームみんなが、涙してくれた。
そのことについて、このnoteでは触れたいと思う。
自分の名前が好きじゃない
わたしは、自分の名前があんまり好きじゃなかった。
名付けの理由を母に聞いたところ、「愛される人」になるように、ということだった。わたしは、25歳くらいまで「愛される人」になるべく、
一生懸命に、他人軸で生きていた。
得体の知れないだれか、に愛されるであろう選択肢を選び続け、
わたしは中身のない人間になったような気がした。
自分がめちゃくちゃちっぽけで、価値がない人間に思えた。
25歳で、だれもが知っているキラキラ企業に入社した。
「これでやっと、だれからも愛される、価値ある人間になれるぞ」
そんなふうに思っていた。
「愛される」より大切なこと
一時期、「愛され〇〇」というのが流行っていた。いま覚えば、企業のマーケティングツールとして、とても扱いやすいワードだったなと思う。
「これを買っておけば、この髪型にすれば、これを使えば、愛されますよ」という感じで、企業が流行りの商品を決めて、購買行動を促すことができるから。
ここで反対に、「愛すること」について考えてみたい。
企業は、愛されたら幸せになりますよ、とは言うけれど、
愛するもの、愛せるものを見つけると幸せになりますよ、とは中々言わない。
「愛せるもの」がなにか、というのが個人に依存していて、企業でコントロール出来ないものだから。企業で指定できないから(マーケティングに使いづらい、とわたしは思っている)。
「自分が愛せるもの、愛するものは何なのか?」
それは、人生の中で、行動して探求して、もしくは、偶然に出会う、主観的なもの。
企業が指定することはできない領域だ(愛されるプロダクトを作る努力をすることはできるが…)。
そして、そんな「愛するもの、愛せるもの」を見つけることこそが、人の人生を豊かにするのではないか、そんなふうに考え始めた。
愛を与え合うことで育まれるもの
32年の人生を振り返って、「愛される」をめざすより「愛する、愛せる」力を高める方が、よっぽどハッピーになれると改めて感じている。
「愛される」かどうかは、他人が決めること(これは、『7つの習慣』の影響の輪の話にも通ずると思う)。
しかし、愛する、愛せる、は自分で判断することができる。しかも、その対象に対して、与えることが出来れば、なにか少しでも貢献することが出来れば、それだけでハッピーな気持ちになれる。
見返りを求めないから、他人の反応に左右されずに、幸福感を感じることができる。
「いつもごきげんな人」というのは、「愛するもの」を沢山もってる人なんじゃないかな、って思う。
・・・
ここで、やっとBeTEAMの話に戻ってくる。
BeTEAMでは、ダイエット中のしんどいことも嬉しいことも、できるだけ全部さらしている。
そして、チームのチャットにさらして書き込むことで、チームメンバーがめっちゃ愛ある言葉をかけてくれる。自分もメンバーに対して、そのように振舞う。時には、もらった言葉に感動して涙することもある。
そんな、愛の循環の中で、わたしには確かな自信、強さのようなものが生まれているのを感じる。
愛を与え合うことで育まれる強さ、そんな感じのものが生まれている。
なんて表現したらいいんだろ。
自分という存在が拡張していく感じ。
チームメンバーのことを、自分のように想って大切に関わることで、相手の喜びも悲しみも、自分のことのように思える。
どんな時も、チームメンバーに支えられて、生き返ることが出来る。
自分には居場所がある。そんなふうに感じられる。
メンバーと自分が、愛というような大切にし合う関係で繋がっていて、
自分はひとりではない、という気持ちがしている。
自分のように大切に想う存在がおおきくなって、自分という概念がでっかく育ったような、そんなかんじ。
BeTEAMでの日々は、自分が死ぬ時にも思い出せるくらいのほんとうに幸福な日々だと感じる。
ほんとうに、いつもありがとう。
って、メンバーとコーチに伝えた。
愛情のインフラをつくる
いま、呪いはとけた。
そんないまのわたしが持つ夢、ミッションは「愛情のインフラをつくる」こと。
縁や運に依存せずに、だれもが愛情を受け取り、人生を切り拓くきっかけをつかめるようなインフラをつくりたい。
「愛情のインフラ」には、わたしがいなくても、極端に言うと、わたしが死んでも、誰かの心に残る「愛」という意味を込めている。
愛、というと仰々しいが、「お守り」でも良いし、「武器」でも良いし、「考え方」でも良いし、「スキル」でもいい。
たとえば、わたしがdivという会社で、提供するお手伝いをしていた「WEBデザイナー育成スクール」も、
人生を生き抜くためのデザインスキルを身につけていただくサービス、という意味で、愛情のインフラであると考えている。
また、最近、西村創一朗さんが立ち上げた「mentally」というサービスも、愛情のインフラであると考えている(「縁と運に依存しない」という言葉は、西村さんが仰っていたものです)。
他の例でいくと、息子が人生をゆたかに生き抜けるようになるための教育、みたいなものも、「愛情のインフラ」と定義している。
あとは、毎週末に提供している「コーチングセッション」もそうだ。
おこがましいかもしれないが、先日提供させてもらったセッションでは、「この方の人生にとってとっても大事なものを持って帰ってもらえたな」という実感があった。クライアントさんからも、とても喜んでいただけた。
こういう取り組みも、自分にとっての「愛情のインフラ」だと思っている。
呪いがとけたいま、わたしは「愛情のインフラ職人」としての腕を磨きつつ、今後の人生を大切に生きていきたいと思う。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
記事にも記載した通り、私はコーチとしての挑戦をはじめています。
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