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記憶を洗濯する店
街の路地裏に、小さな洗濯屋がある。 看板もなければ、宣伝もしていない。 でも、知る人ぞ知る店なのだ。
ここは記憶を洗濯する店。
私は今日も、シワシワになった記憶を持ってきた。 少し色褪せて、端っこが擦り切れている。 でも、まだ洗えば蘇るはずだ。
「いらっしゃいませ」 店主は、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれる。 白髪混じりの髪を後ろで束ねて、 青いエプロンを身につけている。
「今日はどの記憶を洗いますか?」
私は恥ずかしそうに記憶を差し出す。 誰かと最後に会った日の記憶。 少しシミになっているけれど、 大切な記憶だから、きれいにしたい。
店主は記憶を手に取り、優しく撫でる。 「この記憶は、優しく洗わないとね」 そう言って、特別な洗濯機に入れる。
洗濯機は普通の形をしているけれど、 中に入れるのは、洗剤ではなく光の粒。 一粒一粒が、小さな優しさでできている。
店主が、ゆっくりとノブを回す。 洗濯機が、静かに記憶を撫でるように回り始める。 中では、光の粒が記憶と一緒に踊っている。
待合室で、お茶を飲みながら待つ。 ここのお茶は不思議な味がする。 懐かしい気持ちと、新しい気持ちが 同時に広がっていくような味。
待合室の窓からは、空が見える。 今日の空は、誰かの思い出の色をしている。 薄紫色の雲が、ゆっくりと流れていく。
隣の席では、小さな女の子が まだ見ぬ記憶を編んでいる。 透明な毛糸で、これから出会う誰かへの 気持ちを、一目一目、丁寧に編んでいく。
古い記憶を持ってきた老人は、 窓の外を見ながら微笑んでいる。 その記憶は、もう何度も洗濯されて、 でも、その度に少しずつ違う色に染まっていく。
洗濯機の音が、やさしく響いている。 記憶が洗われる音は、 波のような、風のような、 誰かの囁きのような音。
店主が、静かに声をかけてくれる。 「もうすぐ終わりますよ」
洗い終わった記憶は、 まるで初めて出会った日のように、 でも、どこか新しい輝きを帯びている。
店主は記憶を丁寧にアイロンがけする。 温かい光が、記憶の隅々まで行き渡る。 シワが伸びていく度に、 思い出の中の声が、また鮮やかに聞こえてくる。
「はい、できました」
受け取った記憶は、確かに軽くなっている。 でも、大切な部分は、ちゃんと残ったまま。 むしろ、今まで気付かなかった優しさが、 そっと浮かび上がっているような気がする。
支払いは、小さな微笑み。 店主は、それだけで十分だと言う。 「また来てくださいね」 その言葉も、どこか懐かしい。
店を出ると、空はまた違う誰かの 思い出の色に染まっていた。 洗濯された記憶を胸に抱きながら、 ゆっくりと帰路につく。
明日は、また別の記憶を持ってこようかな。 少し重くなった記憶も、 ここで洗えば、また優しくなれる。
そうして人々は、 古くなった記憶を持ってきては、 また新しく生まれ変わらせていく。 この小さな洗濯屋で、 永遠と続く、やさしい魔法のように。