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いろんな側面があって1人の人間

こんにちは!Aismilehrart(アイスマイルハート)代表、ホリスティックアプローチカウンセラーセラピストのaikoです。
今日は「みんな同じ、だけど、みんな違う」「いろんな側面があって1人の人間」ってお話。

01.「職業や肩書き」<「一人の人間」

私の職業はこれまで保育士、チャイルドマインダー、心理カウンセラー、フィトセラピスト(植物療法士)、ハンドケアセラピスト、企業で働くOL、アーティストなど本当に色々と経験してきたのですが、どの仕事をしている時も私の根底にある想いはずっと一貫していてどの活動をしていても繋がっていました。そしてそこにはストーリーがある。

なので、今もホリスティックアプローチカウンセラー兼セラピストとしてクライアントやお客様に関わる際も、私の持つあらゆる引き出しから出てくる様々なアイテムやツールをそれぞれその人の人生に有効活用してもらえたらと考え活動しています。そして相手との更なる相互作用でプラスの相乗効果が生み出されることを望んで。

なので、
私の仕事(職業)は、肩書き云々より
「一人の人間aikoとしてのこれまでの人生」が個性であり、強みでもあります。

02.最終的には「人間性」そこに尽きる!

もちろんこれまで、それぞれの専門職で生きてきた経験があるからこそ、そこでしか得ることのできなかった知識や体験・経験が山ほどあります。
だけど私は、一人の人間として公私共にあらゆる社会、人、物事、事象と関わってきたからこそ抱いた感情や思考、体験のリアリティが今の自分に大きく影響し、今の自分を作っていると思っています。

​優しさ、嬉しさ、温かさ、愛おしさ、儚さ、悲しさ、切なさ、みじめさ、どうしようもない苛立ちや葛藤、不安、孤独、後悔、伝え切れないほどのありがとう、感謝の想い、、、本っ当に色々な感情すべて。

同じ体験・経験をしても、人それぞれ感じ方や感想が違うのと同じように、同じ職業(肩書き)を名乗っていても、最終的にはその人の「人間性、人格がその人の言動を左右する」最終的には「人間性」そこに尽きる!と思います。

私自身、これまでも色々な経緯であらゆるタイプの企業の社長さんや先生と呼ばれる方々、医師やカウンセラー、芸能関係者と関わることも多々ありましたが、肩書きが凄い(偉い)のではなく、その人の人間性(本質)でその人を見ることが基本です。(この考え方はaikoが育った環境も影響しているかな (* -ω-)ぅんぅん)

03.これまでも沢山出会ってきたし、見てきた

正直、どんなに社会的に凄いと言われる肩書きや職業の人でも本当にどうしようもない人も見てきました il||li_○/ ̄|_il||li ナンテコッタ

肩書きは世の中的に立派でも中身がなく肩書きという名の服を着て横柄に生きている人やコンプレックスの塊のような人、世の中的には見下されるような生活でも一生懸命生きていて思いやりのある人、人と比べることなく堂々と生きている人、または肩書き通りの人など、、
要するに「肩書きは関係ない」ということを、いっぱいいっぱい見てきました

なので私の場合、肩書きやその人を飾る装飾品に左右されたり惹かれることもほとんどなく、かなり本質主義。
そういった意味では、幼い頃から他の子供より世の中の表裏を見る機会も早かったり、それらを結構敏感に察知する子供だったこともあったり。(だからこそ生きにくかったり^^;)

04.大事なのは中身やそれぞれの関連性

私自身これまで様々な仕事(活動)をしてきた中で、自分自身の肩書きについてそこまで意識したことはありませんが、とはいえ、社会で活動する上ではやはり名刺代わりの「肩書き」は必要なわけで、、
だけど、色々な活動をしているからこそ、周囲からどれか一つの「肩書き」に括られることに、肩書きで人を判断する世の中があることにずっと違和感を感じていたし、しっくりきていなかった。(最近は風の時代や大谷翔平選手など二刀流に留まらず多方面で活動、活躍する人も増えてきましたが当時は、、(-。-;)

というのも、なぜか想像力や柔軟性に欠ける人達は、一人の人があらゆるツールを担って活動していることに不思議ささえ抱いていたような感じでした。
だけど、わかる人はすぐわかる!
アウトプットする方法が違うだけで、やりたいことも、それぞれのツールも底辺全部繋がってますね」って。

でもそれって、表面だけ見ていてもわからないこと。
中身は表面の内側に詰まっているから。
だからこそ想像力!イメージする力が必要!!

私はシンガーソングライターであり、アーティストであり、カウンセラーであり、セラピストであり、保育者であり、ハンドメイド作家であり、フリーランサーであり、企業で働く企業人であり、なんの肩書きも持たない1人の女性でもあり…
そんな時代がありました。

大事なのは中身やそれぞれの関連性(繋がり)であって、例えそれら肩書きや装飾品がなくなったとしても堂々と胸張っていられる自分でいられるか、自分なりの考えが一貫しているか、その場その場で自分がどのように変容して自他共にHAPPYな相乗効果を生むことができるか、そっちの方が私にとっては大事だった。

04.初対面の人に自己紹介をするときの肩書き

社会に出て仕事をするようになると自分の肩書きや職業を名乗ることが増えます。
そんな中で私は、毎回自分が何者なのかを名乗るくだりが嫌いでした。

なぜなら、「で、何者なんですか?」「結局何をやられている人なんですか?」
「全部やっているんですか?」の返しが本当に多かったから。
だから次第に自分がその時その職業(肩書き)で身を置く環境によって、出会う人によって、自然とその場その場で、自分の役割を使い分けて自己紹介するようになり、その自己紹介した時の一つの肩書きとしての人格で生活していたことがあります。

すると、面白いくらいにそれぞれのコミュニティにおける価値観も、周囲が私に抱く印象も大きく違うし、常識といわれることも、ある環境では良しとすることが、また違う環境ではダメだったり。
私自身、常識が真逆にある環境に身を置いたことで、それぞれの環境でその場合(その業界)ならではの固執した先入観や決めつけがあることにも感じ気付きました。そして苦しく葛藤した時期もあった。
​(そもそも、よくそんな同時進行で何ラインも走らせていた体力があったな、と今では考えられないですが!!!!=͟͟͞͞(๑ò◊ó ノ)ノ

確かにどの肩書き、側面からも、その側面、立場だからこそ伝えられることがあるし、関わり方や表現できること、捉え方の視点、アプローチ方法があります。
だけど、またある別の既存概念や定義する枠組みから見ると(見ている人にとっては)、時にあるアプローチ方法は、ある肩書きから見れば「タブー」とするアプローチ方法となることもある。
なので、自分がどの位置でどの角度から物事を見て捉えているかによって現実が本当に変わるのです。
だけどそれも私にとっては当たり前のこと。

だって、「みんな同じ、だけど、みんな違うから」。

一般常識や既存概念に収まっていることだけが良しということではないと私は思うんです。
時に常識や既存概念から逸脱した所に自分(その人)にとっての「Best」があることがある。
そして、その「Best」は人それぞれ、一人の人だって時と場合によって異なったりもする。
だから私は、一つの肩書きに絞り括られることにずっとモヤモヤというか葛藤というかしっくりしない感をずっと持っていたのだと思います。

だって一人の人が一つの側面しか持ってないなんてことまずないし、いろんな側面があって一人の人間。
ましてや一人の人をケア、サポートする時、多角的な視点とアプローチが必要であることは私にとっては当然のこと。

このような考えが私に根付いたのも、後に綴ると思いますが私の生い立ちと高校を自主退学した時の出来事が影響しているのかな。

最後まで読んでくださり、ありがとうございましたm(._.)m

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