終活日記#02「やってはいけないこと」
最近、前向きに終活をめた私ですが
「最近、終活始めたんだよね〜」なんて言うと、
周囲の反応は「心配」の一色。
健康診断で何か引っかかったの?
それとも精神的に追い詰められているの?
ネガティブな想像が頭をよぎるようです。
どんなに私がポジティブに終活と向き合っていても
やはり取り扱うのは「死」に関すること。
私の家族や周りの人たちは、どうしても一度は私が死んでしまった時のことを想像して、悲しい気持ちになってしまいます。
私自身は、前向きに終活に取り組むにしても
「センシティブな内容である」という認識は心に留めておくべきだと思いました。
そこで、終活を進める上での注意点、
もとい、もっと強いニュアンスの「やってはいけないこと」を
私なりに3つあげてみました。
ちなみにこの3つに科学的根拠はなく、
完全なる私主観の「やってはいけないこと」3つです。
✖️スピーディーにテンポよく作業を進める
私としては、約1週間くらいのタイトなスケジュールで終活を一気に終わらせたいところです。
ですが、家族の協力と理解が必要となる終活では、
家族や第三者を交えてじっくり話し合ったり、
長い時間をかけて向き合わなければならない課題もこれから多々発生するはずです。
自分の都合で、自分のペースで進めていくのは望ましくないでしょう。
終活を全て終えるのに10年〜20年、もしくはもっと多くの時間がかかることを覚悟して取り組みます。
(ということでこの記事の更新もゆっくりと10年以上続くかも・・・)
✖️周りの意見に振り回されず、自分の意思を突き通す
あくまで自分の死後の処理を行ってくれるのは家族です。
そのための道筋を今から立てておくのは自分ですが、
ひとりよがりにならないように家族の意見もちゃんと取り入れようと思います。
そして、時には家族や周りの意見に振り回されることも必要だと思っています。
それも含め、コミュニケーション。さらに言えば終活かもしれません。
死んでしまったら、自分以外の誰かに頼まないといけない作業ばかりなので、自分の意思を完全に突き通すことは出来ないものとして考えます。
まず大前提として、自分の考える終活がその時代、その時の家族にとって適しているとも限りません。
自分の死後、極力家族の負担を減らすことを目標にしつつ
家族と第三者の意見や助言は積極的に受け入れます。
(が、ときに我を通すこともなきにしもあらず・・・)
✖️感情に左右されず合理的に物事を進める
「死」に関することを取り上げると、誰にでも様々な感情が生まれることでしょう。
もちろん、実際に私が死んだ際にも悲しみといったネガティブな感情が周囲に発生するはず。
(どうか恨みの感情が発生しませんように・・・)
終活では、書類上での手続きや私の死後、必要になりそうな作業のリストアップを行う予定です。
そのため「この通りにすればOK」といった引き継ぎ書のようなドキュメントを家族に託すことになりそうです。
文字で自分の意思をや計画を残すことは、分かりやすく効率的な手段です。
しかし、その反面で文字は情報を圧縮する特性があるため
その時の感情といった情報がトリミングされることも多々あります。
さらに文字として残すことで、残された家族の感情を無視して、すべきことを強いる形になってしまうかもしれません。
家族の負担を極力減らす目的で始めた終活です。
私の死後、家族がどのような感情に陥るのか
私が終活で伝えたことに対して家族がどのような感情を抱くのか
私以外の人たちの感情を常に想像することを心に留めなければ。
また、私が終活をする上でどのような感情で取り組んでいるのかをきちんんと伝えなければと考えているのです。
まとめ
終活においてやってはいけないことをおさらいすると以下の3つです。
✖️スピーディーにテンポよく作業を進める
✖️周りの意見に振り回されず、自分の意思を突き通す
✖️感情に左右されず合理的に物事を進める
お気づきでしょうか?
社会人になれば「これができれば優秀なビジネスマンだよ」
といった形で、どこかで聞きそうなことの3つです。
ビジネス書を意識してこの記事を書いたわけではありません。
私自身が、終活をしていく上で
自分と家族の状態を想像して「これはやらないように気をつけなきゃ」と思ったことです。
もしかすると私の終活では
良き社会人を目指し、長年意識してやってきたことが
阻害要素になってしまうのかもしれません。
終活をするということは、
自分と向き合うということ。
家族に理解してもらうということ。
ビジネスとは真逆のマインドで進めることなのかもしれないし、
普段読み漁っているビジネス書とは全く違う学びがあるのかも?
不謹慎にも少しワクワクしてしまうのでした。