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美しい人でありたい
もっと広い世界を見てみたい
高校生になって初めて書いた学級文春での文章のタイトルがこれだったな💭💭
そんな記憶が蘇る題名
ここじゃない世界に行きたかった
に惹かれて読み始めた。
全ての言葉が思慮深く
自分自身にスッと入ってくるもので、
今の世界を生きる上で自分自身も大切にしていきたいことが綴られていた。
私は高校生の時に1か月だけ
オーストラリアにホームステイした経験があるのだが、いい思い出ばかりではなく
人種差別を感じる瞬間は多々あった。
ただ、辛いことだけではなく学んだことも多く、人によって幸せを感じる瞬間は違って、
自分が大切だと思うことをすることが何より大切なんだということを学んだ。
こんな綺麗事のように今となっては言えるものの、その当時は自分自身を全否定されたような気持ちでお先真っ暗なネガティブガールに転落。
自分で言うのもなんだけど、小さい時から物分かりが良い私は、大人達の空気を読んで今自分がベストだと思うことをやる優等生キャラを演じて生きており、ヒエラルキーの中では上位にいたと自負していた。
ただ、大人達がひいたレールが正しいと思いこんでいた私はホームステイ先で
ちっぽけな価値観に縛られていきていたことを知るのであった。
ホストファミリーのパパは写真家でいつも笑顔。子供達にも好きなことをやってほしい精神でのびのびとしていた。
私の通っていた高校は進学率98%ほどの進学校で、大学に行くために勉強するという
大人達のひいたレールに沿っており
何のために勉強しているのかわからないまま
、自分の足で歩いてはいない感覚に苛まれる。
そんな自分に嫌気がさし、大人達を大嫌いになることで、今までの自分を少しでも保とうとしていた。
そんな惨めな自分に悔いて月日が流れ
それなりに自分が大事にしたいことを
大切に育んだ大学生活
素敵な出会いにも恵まれて結婚し
今は正社員をしながら夫婦2人暮らしを進行している
ただ、いつまで経っても嫌気がさした自分を好きになることができない自分がいる
社員になって役職もあがり
それなりの責任感を持って
信頼を得て生活しているはずだけど
自分が大事にしたいことを大切に生活できているだろか?
確かに大学生活の時に比べると
ぽろぽろとこぼれ落ち
いつのまにか空っぽの貯金箱を大事に握りしめているような感覚に落ちいる
自分自身の気持ちに向き合う時間を削って
時間に追われる生活
自分自身が思い描く生活とはやっぱり
なんか違うな
資本主義の中で無理に成長を強いられているそんな感覚に落ちいる
塩谷さんの本の中で
美しさを定義する文章がある。
美しさというギフトは、誰からももらえないし、どこに行っても買えやしない。両親から器や環境は与えられるかもしれないが、与えられてばかりの器では自ら輝きを発しにくい。美しさとはつまり、自分で自分に与える、自分にしか見いだせない、大切なギフトなのだ。
と。
この美しさは自分で自分のことを大切に思い
自分の感性を大切にすることなんだろうな
と私は思う。
ただ臆病な私は和を重んじる社会の中で自分を出しすぎることで嫌われるんじゃないかとビクビクし、自分へのギフトを与えられないでいる。
そんなことを感じ、自分自身の奥にしまってある錆びつきそうな思いの蓋を開けて
感想を書いてみることにした。
美しい人でありたいと私は死ぬまで思い続けるんだろうな
#ここじゃない世界に行きたかった #塩谷舞さん