パニック障害とのお付き合い
今回はこちらの続きを書きます。
初めての発作では“過換気症候群でしょうね”と言われて帰宅しました。
それから、私自身も気にしていなかったので、何事もなく過ごしていました。
4か月が過ぎた頃、家を買うことになりました。
それと、息子の幼稚園の入園が重なり、バタバタと忙しい日が続きました。
そして、引っ越しをした次の日に、足りない物の買い出しに息子と車で出かけました。
帰りに自分の体に違和感を感じながら運転していました。
眠い、怠い…
“しんどいけど、息子もいるし、家に連れて帰らないといけないし、どうしよう。どうしよう。”
その不安が大きくなり、運転中にまたまた、怖いくらいの動悸がして、過呼吸。
運転なんて無理ーーー!となり、ハザードつけて、路肩に停めて、救急要請。
3歳の息子もビックリしていました。
またまた“過換気症候群ですね”と言われて、搬送もされず…
そして、自分で運転して帰れないので、姉と義兄に来てもらい、私の車を運転して帰ってもらいました。
またみんなに迷惑をかけてしまったと、自分を責めて帰りの車の中で号泣…
家に着いたら、体調も気分も戻る…
この日から、運転する恐怖がとても強くなり、どこでも車で出かけていた私は、運転ができなくなってしまいました。
15年経った今でも、怖くて運転はできません。
誰かの運転する車は大丈夫です。
この日から、私と予期不安・発作とのお付き合いが始まりました。
私は一人でいるときに発作が出たら怖かった。
家で1人になることが不安だったので、お友達がたくさんいるので、ひたすら予定を入れていました。
誰かといると大丈夫!と思っていました。
当時、主人の夜勤があり、夜に息子と2人ということが恐怖でした。
あと、生理前だと発作が出やすいと思っていたので、主人の夜勤と生理周期を手帳に書き込んで“この日がヤバい”と思い、その日が来るのが怖い。
そして、その通りにその日の夜に胸がバクバク動悸がする。
息子に心配かけてはいけない。
親に電話したいけど、親も翌日、仕事があるので気を遣う。
でも、電話で話してもらわないと自分が保てない。
そして、電話をしてはまた“自分責め”
とても、悪循環。
そして、不安を口にするたびに、優しい主人でも
「また、そんなこと言ってるん!?大丈夫やって!!」
と強い口調で言われ、母にも、調べてみたらパニック障害って出ることを伝えても「アンタがそんな病気にわるわけないやん!」
そうなんです。
私は友達も多くて、毎日お気楽なんです。
優しい旦那様に、育てやすい息子。
病むほどのストレスなんてないんです。
自分でもわかっているんです。
でも、私の心と体はおかしいんです!!
発作が出ては、家族に迷惑をかけてしまった…と自分責めの繰り返し。
1年が過ぎた頃、症状がひどくなりました。
とうとう、眠れない、ご飯が食べれない。
1週間で7キロ痩せてしまいました。
かかりつけの内科の先生に、ご飯が食べれないから点滴をしてほしいとお願いしたら、点滴もされず、精神科に紹介状を書かれました…
主人が夜勤だったので、両親に付き添ってもらって、病院に行きました。
気さくで話しやすい、おじさんの先生で、しっかりカウセリングしていただいたけれど、すぐに「君、パニック障害やわ。よく1年も我慢したね。早く病院来てたら、もっと早く良くなってたのに」と言われて
「やっぱり私、パニック障害やったんや!」
わかった瞬間から、すごく気持ちが晴れました。
ご飯が食べれなかったけど、帰りにとんかつ弁当を食べたことは今でも覚えています。笑
ずっと、精神安定剤を飲むことに抵抗がありましたが、そんなことも言ってられない状況だったので、指示通り飲むことにしました。
ソラナックスでした。
それから、このお薬がお守りとなり、大丈夫のはずでしたが…
なぜ15年も長引いたのか…
それは次回投稿しますね。