クレージーさん
楽健法は、足で全身を踏む健康法です。でも、実際はそれだけにとどまらず、神髄はちゃらんぽらんにいかになれるかということで、クレージーになれるかということで、がらんどうになれるかということです。
日々のいろいろ思いつくままに
夫がカッパになっちゃったので、カッパのワールドを妄想で作り上げます。カッパのイベント企画して勝手に告知したりします!
クレージーさんの旅の手帖。旅行記多めで、その他もちらほら。
楽健法は、踏んで踏まれて2つがセットになった健康法で、踏まれると気持ちがよく、体がほぐれてそれで循環が良くなり健康になっていく。初めの印象で、おそらくほとんどの人がそう思うことだろう。 踏むことを続けること5年半。楽健法の全く広まっていない私の住む地域で広めるには時間がかかる。教室も定期的に開催しているが、私の踏むことと踏まれることの割合で言うと、踏むこと : 踏まれること= 98 : 2 ぐらいじゃないかなと思う。 流石に踏むのは上達してきたように思う。足を置けば、その体
楽健法の講習会に2回目の門をたたいたとき、宥厳先生の話中に、有害食品研究会と、それから、聖シャンバラ大白色聖同胞団日本細胞準備局のことが出てきた。 それらの話題に納得し、楽健法を進む決意をするのだが、さてシャンバラへの道はいかに。 ところで、私はシャンバラについて詳しいわけではない。月間ムーおたくの夫の影響もあり、巨大地下帝国シャンバラへの妄想のみが先行している。 2年前、エジプトへピラミッドパワーを通す目的で訪問した際、ピラミッドは地表と同じ形を地底にも有していて、正
わたしは、芝居をしているのでしょうか。 いまわたしはひとつの真 実を、語ろうとしました。 劇場は、わたしにとって、ひとつの、広大な原野なのです。 ここには可能性以外の何もありません。原野には何もないのです。 何もないからこそ、パラドキシカルに言えば、全てがあるのです。 神父は、わたしとあなたがたが、こうして向いあっている ように、祭壇を背にして立てば、それは神秘的な、そして体系と呼ん でいい世界を背おって、あなたがたに向います。 そして、わたしたち は人生という重荷を背おっ
我等懺悔す 無始よりこのかた妄想に纏(まと)はれて衆罪(しゅざい)を造る 身口意(しんくい)の業 常に顛倒(てんどう)して 誤って無量不善の業を犯す 珍財を慳悋(けんりん)して施を行ぜず 意(こころ)に任せて放逸にして戒を持せず しばしば忿恚(ふんに)を起して忍辱(にんにく)ならず 多く懈怠(けたい)を生じて精進ならず 心意(しんに)散乱して坐禅せず 実相に違背して慧を修せず 恒に是の如くの六度の行を退して 還って流転三途(るてんさんず)の業を作る 名を比丘(びく
もう、今のこの暇な時期に、いろいろと妄想を膨らましていたら、いろいろとやりたいことがありすぎて、ようやく行動にでてきました。 以前からずっと撮影をしようと思っていた新事業のFOR YOUってブランドの服の撮影をついにやろうとカメラとか準備していたんですが、なんだか一人だとなかなか動き出せなかったのです。 知り合いのプロのカメラマン オカマティック氏(岡松さん)は少女を撮るのを結構やっていたんですが、ダメもとで岡松さんに聞いてみたら、出世払いでOKしてくれました!!! (
我が家は、熊本城から歩いて10分ほどのところにあり、昔っから熊本城はとっても身近なものだった。 3日坊主の私が運動始めるって言って、走りに行くのも二の丸だったし、小学校の教室の窓から授業中ぼーっとながめるのも熊本城、中学校のスケッチ大会も熊本城で、石垣描くのは結構大変だった記憶がある。 春は桜並木が大変綺麗で散歩コース。 お正月は、市民は無料で入れるので、天守閣に登ったりして、近所ながらに楽しんでいた。 知り合いが奈良の東大寺まで歩いて行ける距離に住んでいて、なんて贅
この文章は、9年前に書いているので、今見ると恥ずかしい気持ちですが、せっかくなのでその当時のまま残しときます。当時は先生をしていました。これらのレポートは生徒向けにつくったものです。 *************** 被災地を巡って今思うこと ■地震、津波と原発■ ホテルでは、今回の震災について語り合う機会があった。地震発生から5カ月間ずっと気仙沼に住み復興支援をしている若者がこのホテルのボランティアの受け入れを担っている。その人が私たちにいろいろ投げかけてくる。
気仙沼のこと! ■ずっと燃えていた場所■ 私の泊まったホテル望洋というところのすぐ側に鹿折唐桑という場所があります。そこは、ニュースなどでずっと燃えている映像がながれたところです。ホテルの人に頼んで、そこを案内してもらいました。私が駅からホテルまで、歩いた道にはまだ人が住んでいる気配がありましたが、そこに一歩足を踏み入れると、また別の世界に来たのかという錯覚に襲われました。住んでいる人もいなければ、歩いている人もいません。家はほとんどなく、見晴らしがいいのです。瓦礫
フェリーに乗って! ■大島■ 一日目、様子を伺って大体のボランティアの流れがつかめたところで、二日目の活動について考えました。せっかく来たのだけれど活動できる日数も少ないので、ここは力仕事に精を出そうではないか。宿で一緒になって、仲良くなった学芸大学附属中学校の国語の先生と、次の日の活動について話し合いました。大島は、気仙沼からフェリーに乗って十分ほどの島です。島ということもあって、まだまだ瓦礫が残っており肉体労働だということでした。島での交通手段も整っておらず、気仙
いよいよボランティア開始! ■準備■ ボランティアでは、自分のことは自分で何とかするのが基本です。できることなら準備は万端にしておきたいもの。体調を万全にし、朝食もヨーグルトやゆで卵、梅干しなど、不安要素のないようにばっちり準備しました。 ■8時半にVC受付開始■ ボランティアセンター(VC)というところで、その日のボランティアの受付が行われます。受付が済んだら、その日の要請を基にマッチングという作業に入ります。マッチングとは、こんな作業があるけど誰が行く?とい
思い付きでいつも初めてしまうので、いろいろと気が多くていろいろと中途半端に今までやってきた痕跡が多い。 ブログを整理していたら、以前書いた気仙沼のボランティアの記事があったので、ここに記録として残しておこうと思う。311から9年が経つそうで、311からちょうど5か月後の夏の話である。 ********** 気仙沼レポート1 ■ボランティアセンターへ■ 震災のボランティアといっても、どうやって行けばいいのか、参加はどうすればいいのか、現地がどうなっているのか、分らな
カイロからルクソールへは、バスで移動した。距離感があんまりわからなかったが、東京から岡山までよりちょっと近いぐらいみたいです。 途中、フルガダという紅海に面した街に寄り道して、そこでゲストハウスに泊まりました。 バスは、ピンからキリまでですが、長距離とのことで、良いバスをチョイスです。ひたすら乗っていますからね。 カイロを出てからの道中といえば、 砂漠 砂漠 また砂漠 こんな砂漠や こんな砂漠まで。 砂漠の景色はまるで爆破実験後の燃えカスの焼け野原のようです
エジプトに行くにあたって、一つだけついてすぐに間違えたー!ということがあった。 エジプトに行ったのは、1月末から2月頭にかけてだが、当初の想定ではエジプトは暑いから昼間でも30度ぐらいあるので夏服でいいっていうこと。 万が一の時のために、一枚だけ薄手のダウンを持って行ったのだが、なんと毎日それを着ないとまずいぐらいに寒かった。しかも、薄くて袋にいれると小型になるので、便利というので持って行ったので、こんなに毎日着ると思わなくって、めっちゃダサい!ぎゃおー。 ってことで、
エジプトで一番最初に食べた食事のことを思い出してみたところ、このピザみたいな生地を店頭ですごく伸ばすやつでした。 何味かわからなかったのですが、目の前でピザみたいなトッピングをしていてめっちゃおいしそうだったので頼んだら、 甘ーいコンデンスミルクがかかっている奴が出てきました。 こおはGATというお店で、日本でいうファミレスみたいなところで、人気のお店。ちょっと寄って食べるという感じ。 二回目には、ちゃんとピザみたいなやつも頼めました。薄いピザ生地の上にトッピングした
エジプトは、イスラム教徒がたくさんいるのでモスクがたくさんあります。 でもよく考えたら、旧約聖書でモーゼの十戒でもおなじみのシナイ山はエジプトにあったりで、古いキリスト教のコプト教の人たちもいるみたいです。 ちなみに、お土産屋さんなどで、正規料金をぼったくりなしで表示していて、その価格でそのまま売るお店は大体コプト教の人らしいです。 コプト教の教会も見学したりしました。 圧倒的にイスラム教徒の人が多いので、町のいたるところにお祈りできるモスクがあります。 電車の構内
エジプト料理ってどんなものだろう。 カフェ営業もたまーにやっているので、外国に行ったらそこの料理を身に着けて一品でもだせたらいいなとうっすらと思っている私です。 というよりも、本当は2年間ジャイカで協力隊をやって、そこの現地の料理を覚えてカフェをやろうと目論んでいた時期もあります。ジャイカのやつは、ちょうどその時ヘルニアになっていけなかったんですが、シリアかモザンビークに派遣される予定で、危うく内戦かエボラ出血熱できっと危ない目にあっていただろうと思うので、ご先祖様に守ら