6/9 AM8:58
中年独身が主役の小説を読んでいる。鋭い爪が心に刺さって、そのまま引き裂かれるような抉り方をしてくる。読んでいて痛い。でもなぜだろう。似たような思いに駆られる人たちがいるんだと思うと「しょうがないか」と明日を生きられる気がしてくる。
できなかったこと、持てなかったこと、無くしていくもの。
子どもの頃、大人になったら当然持っているであろうと思っていたものを、この歳になってほとんど持っていない自分と対峙した時の気持ちは「惨め」だ。そしてこの気持ちはなかなか人に共有できない。惨めさには嫉妬も含まれる。そんな自分を認めることすら苦しい。何よりみっともない。だから、本当の気持ちを奥深くにしまい込んで、何も感じないふりをして生きていく。
主人公たちの傷をなぞりながら、似たような気持ちを持っている同志がいるとなんとなく生きられるもんだと思う。明日への希望など、もう容易く持てないけれど、あぁそれでも生きていかないといけないんだと思う。
個人的には、もっとみっともなく生きられたらと願う。誰になんと言われようと、世間に沿った生き方をしていなくても、やぶれかぶれでも、私の普通を生きられたら満足だ。
側ばかり気にして中身から目をそらす人生だったようにも思う。逃げ続けてきた、ずるい自分がいる。因果応報。そういうふうに生きてきたから、こういうふうになっている。自分しか変えられないから、自分がやるしかない。
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