9/4 PM10:37
あまりやらないが、というか全然やったことはないが、たまらず仕事中に友人に電話をした。罪悪感まみれの状況に耐えられず、自分が壊れてしまいそうだった。
開口一番「年上って難しいです」
場における年長者の在り方に、私は理想を追い過ぎてしまったのだろう。そして自分にその器がなかったのだろう。
もう何も言わないことが正解のような気がした。でもそれは逃げたいがための保身のための言い訳に過ぎないから、とてもダサい。だったらどうすればいいのか。
自分のやったことに対しての過程や結果を甘んじて受け入れる他ない。全部背負う。それが動いた人間の責任だ。そこから逃げるのは猛烈にダサい。
そして我慢は美徳ではないと、今は強く思う。良かれの我慢の結果が悪ければ、その我慢は間違っているのだ。
以前とある有識者が言っていた。「少しでも疑問があれば、その場で必ず確認して納得するようにしている」どんなに小さなことでも、例え相手に尋ねづらいことでも、だ。なんとなくその場をやり過ごして、後々の火種を胸の中に残すよりも、その場で鎮火すれば燃え上がることはない。私に必要なのは、我慢よりもこっちだ。
正しさにこだわるとき、私は自分に怒っている。
正義にこだわるとき、私は自分を縛り付けている。
「もっと適当になりなさいということよ。いい加減でいいのよ」こう言ってくれた友人は、正しさでガチガチに固くなった私に、柔らかい言葉でアドバイスしてくれた。
一昨日から始めた運動習慣、3日目にして辞めそうだ。手元には日本酒。本当はもう動きたくない。適当でいい加減なら休んでしまったもいいかもな、でもこれは種類が違うから、ちょっとだけやってみる。
やっぱりどうしたって、真面目は手放せそうにない。
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