関わりたくないと思った友人の話
友人にもらった観葉植物を枯らしてしまった。
殺風景な部屋に植物でも置いおしゃれな空間にしようと思い、植物が好きな友人にオススメの花屋を聞いたところ
「うちに小さいけど育てやすい子がいるからあげるよ。」っと気前よく1本の苗木を頂いたのだった。
直径1センチほどの幹から伸びる細い枝。大きく深い緑色の2枚の葉。背丈は50㎝にも満たないその子を、テレビの脇に置いた。灰色の部屋の中で、一人だけ居心地悪そうに目立っていた。
大学で知り合った友人。何度か会話をした時、直感的に気が合わないなと感じた。
私の中での「関わりたくない」は「嫌い」よりも酷く下に位置付けられている。なぜなら、嫌いの対義語は好きで、嫌いと好きは表裏一体だからだ。
今までの経験上、「嫌い」はちょっとしたことで簡単に「好き」にひっくり返ることが多い。食わず嫌いだったもろみキュウリもそうだった。
しかし、「関わりたくない」はイコール「興味がない」であり、私の関心の範囲を越えた外側に位置している。対象が好きだろうが嫌いだろうが、未知の生物だろうがどうだっていいのだ。
だから、その友人とは知り合い止まりになるだろうと確信していた。
数年経った今、私はその友人のことが好きだ。
自分の弱さを受け入れて成長し続けたり、部屋や暮らしを豊かにする方法を知っている友人を尊敬している。
高校時代に距離をとっていたあの子も、中学生以来連絡を取っていないアイツも、本当は「好きか嫌いか」だったのかもしれない。
私は、人の本質を見抜く直観力は、まだ持っていないらしい。
日が経つにつれ、居心地悪そうな「よその子」はだんだんと部屋の雰囲気に馴染んでいった。見慣れて部屋の一部になるのではなく、はっと目を引く鮮やかなグリーンに合わせて部屋が輝きだした感じがする。
今では大きくなり、部屋のメインになっている…
と言いたいところだが今はもうこの部屋にはいない。大事に育てていたはずなのに、弱り茶色くなった葉は落ち、細い幹はさらに細くなった。
友人に呆れられて、嫌われるのを恐れて
まだ枯れたことは伝えられずにいる。
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