スーパーサブ【創作短編】
トイレの個室に入り鍵をかけると、とりあえず座り込んだ。
極度の緊張。
呼吸は浅く、手先が小刻みに震えている。目を閉じ、祈るような体勢で呼吸を整える。こんな時は決まって、子供の頃のある記憶が頭をかすめる。
「そこの野球帽をかぶった君!手伝ってもらえるかな」
ビシッとした黒いスーツの男性から、突然の指名を受けてステージに上がった。小学2年生の時に、母親と見に行ったマジックショー。
「このステッキを持って、上に掲げてください」
渡された白い棒を両手でギュッと握った。キラキラと華やかなステージ。目を輝かせているお客さんの顔。全てが新鮮だった。
少しすると、マジシャンが声をかける。
「いくよ。ワン、ツー、スリー!」
かけ声と共に「パチン!」と指を鳴らすと、持っていた白いステッキに火が灯った。
ワーッ!
マジシャンに惜しみない拍手が送られる。自分もそのステージの仲間になれた気がして、火が灯ったステッキを高く高く掲げていた。
コンコン…。
トイレのドアが叩かれる音がして、ハッと我に返った。
「水崎―、大丈夫かー?」
先輩の声だ。何とか呼吸は落ち着いた。手先の震えも止まっている。
水だけを流してトイレから出た。
「いや〜、昼ごはん食べすぎちゃったみたいで」
「お前、無理すんなよ」
先輩は少し顔をしかめたが、明るく振る舞う。
「今どんな状況ですか?」
「変わらずだ。1対3で日本が負けてる。やっぱアメリカは強いな。だけど、9回裏1アウト、1・2塁。逆転は可能だ」
先輩の説明の途中、ワッ!と歓声が聞こえた。ダグアウトに戻ると、野村の打球がセンター前ヒットになっていた。これで1アウト、満塁。次の打者高木がバッターボックスに入る。
「水崎。次、いけるか?」
監督から声がかかった。
「こういう場面で打つために、俺がいるんですよ!」
「さすが『マジシャン』。頼むぞ」
「マジシャン水崎」なんて、誰が呼び始めたんだっけ?チームの土壇場、一打で流れを変える男。与えられたチャンスをコツコツと積み上げてきた結果、いつの間にかそんな呼び名が付いていた。
ここでまたも会場が沸く。ふと顔をあげると、高木の悔しそうな顔が見えた。
空振りの三振。
いよいよ2アウト。
ここで代打のアナウンスが入った。
歓声がうねる波のように辺りを取り巻く。
次の一振りで、優勝が決まる。
「…俺、打てますかね?」
思わず隣にいた先輩に聞いていた。
「それはさすがに分かんねーけど…」
先輩は、あごヒゲを触りながら少し考えた後に続けた。
「仮にお前が打てずに負けて、日本中を敵に回すことになったとしても、俺はお前の味方だ」
その言葉でパッと視界が開けた。まるでマジシャンが「パチン!」と指を鳴らしたかのように。
そうだ、すごいのは俺じゃない。
支えてくれる周りが、いつも一流なんだ。
「見ててください。一世一代のショータイム」
バットをギュッと握り直して、大歓声の中心へと向かう。心に灯った大きな火が、ゆらりと揺らめいた。
【文字数:1,200字】
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今回は下記の企画に参加しました!
テーマは「ゆび」
文字数規定:800〜1200字
GWに自分なりの爪跡を残しときたくて、参加してみました。テーマの「ゆび」。他の方々がどんな物語を書くのか、とても楽しみです。