
あえての「あんパン」【#2000字のドラマ】
買ったばかりのヘアワックスを指ですくう。
1回のセットで使う量は10円玉程度の量が良いと、この前買った雑誌に書いてあった。
手のひらで薄くなるまでよく伸ばして髪に付けていく。そして仕上げに、短い前髪をグッと立てた。
「よし」と小さく頷き、口角を上げて鏡の中の自分に笑いかける。
「おはよう」
…ちょっと声が小さいか。トーンも暗い気がする。
「おはよー」
ラフ過ぎるか。適当な感じもする。
「おはよう!」
うん、良い感じだ。これだな。
「インコかよ。鏡に向かって『おはよう、おはよう』って」
後ろから突然声がしたので、身体がビクッと反応した。
「ビックリしたぁ!いるなら言えよ」
パジャマ姿の妹が眠そうな目をして僕の背後に立っていた。
「お兄ちゃん、最近朝早いよね。今日も休みなのに朝から学校行くの?」
「まぁ、受験生だからな」
「変なのー。勉強するのにヘアセット必要?」
「あーうるさい」
妹の指摘を適当に受け流しながら玄関へ向かう。
学生服のボタンを上まで留め終わったくらいで今度は母親から声がかかった。
「亮太、朝ごはんがもうすぐ出来るから食べちゃって」
キッチンからは、パンの焼ける美味しそうな香りがしている。そして、コーヒーの香りもたまらない。それに加えて、ソーセージでも焼いているのだろう。ジュージューとフライパンで何かを炒める音がしている。
お腹も空いてきたので、美味しそうな朝食の香りに一瞬心が揺らぎそうになる。だが、ここで食べるわけにはいかない。首をブンブンと振って誘惑を吹き飛ばした。
「あ、いらない。どこかで適当に食べるから」
「え〜、せっかく作ったのに!」
母親の不満を表す声が後ろから聞こえたが、そのまま玄関から外へ出た。
自転車に乗って、学校へと急ぐ。ペダルをこいで朝の街をすり抜けていくと、陽の光で少しずつ街が色付いていくのが分かる。朝早く家を出るようになって、その様子を見るのが好きだということに気付いた。
学校に着く前に、一度コンビニへ寄った。
パンコーナーで並んでいるパンを物色する。できだけ質素なものがいい。100円のあんパンを選び、あわせて紙パックの野菜ジュースを買った。
コンビニの袋をぶら下げながら、そこからはゆっくりとペダルをこいだ。着いた学校の駐輪場は、休みの日の朝ということもありガラガラ。自転車を降りて自分のクラスの場所に止める。駐輪場には、自分の他にも自転車が一台止まっていた。
「もう、来てるんだ」
3階にある教室の窓を見上げた。
靴箱に靴を入れて、校舎の階段を駆け上がる。3階に着くと、さすがに少し息が切れていたので、その場で大きく深呼吸をした。気持ちを落ち着かせてから教室に入ると、彼女は窓際の自分の席にいた。
「おはよう!」
声をかけると、相手はこちらを振り返って微笑む
「おはよう」
席に近付いていくと、彼女は僕がぶら下げたコンビニの袋を見ながら言う。
「今日もコンビニのパン? 本当に朝ごはんは適当で大丈夫なんだね」
「朝ごはんとか、別になんでもいいしさ」
彼女の前の席に座り、袋から取り出した野菜ジュースのパックにストローをさした。
「良かったら、これ食べる?作り過ぎちゃって。あんパンよりは、マシだと思うよ」
彼女が食べている分とは別に用意されていた紙袋を渡された。
やった!
心が浮き立つくらい嬉しかったが、あくまでも声や表情にそこは出さない。
「え、いいの?ありがとう。助かるよ」
開けてみると、ふっくらと形の整ったタマゴサンドが入っていた。両手で持って一口食べてみる。
「…うまっ!」
思わず漏れた言葉に、彼女は嬉しそうな表情を浮かべた。
そのタマゴサンドは、柔らかいパンにマヨネーズで和えたタマゴが優しく挟まれていて、ふんわりとした食感だった。
マヨネーズや塩がタマゴと絶妙に絡んでいて、味も美味しい。そして、おそらくパンにマスタードが少し塗ってあるのも、旨さを引き立てている。
夢中になって一つ食べ終わったところで、彼女は数学の教科書を広げた。
「で、今日はどこまでやろっか?」
1冊の教科書を2人で覗き込む。
ふと相手の顔を見ると、彼女の髪が風でふわりと揺れた。
『変なのー』
今朝、妹から言われた言葉が頭に浮かんだ。
違う。変じゃない。
これはきっと…
「ん、どうしたの?」
僕の視線に気付いた彼女が顔を上げたので、目が合った。
不意のことに動揺してしまい、こちらは慌てて目をそらす。
「あ、いや…。えっと…今日、寝不足?」
「なにそれ、ひどい!」
彼女が少しふてくされる。
でも、その様子すら愛らしい。
「ウソ、ウソ!ごめん!だってさ…」
いま、分かった。
これがきっと、僕の初恋だ。
----------------------------------------
今回はこのコンテストに参加してみました。
テーマや文字数制限があるからこそ、色々と考えるのが楽しいですね。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。読んだ感想など、教えていただけたら幸いです。
(note更新217日目)