人もスマホの充電くらい分かりやすければいいのに
「バッテリー残量はあと20%です」
スマホに表示された画面を見て「あ、ヤバいヤバい」と思う。このタイミングでスマホの電池残を示す右上のアイコンも赤くなる。
ケーブルをスマホに差して、しばし充電。そこでふと思う。
人もこのくらい分かりやすければいいのに。
「大丈夫です」と言う人ほど、だいたい大丈夫じゃない。おそらく本人は本当に大丈夫だと思っているが、実は自覚していないだけでエネルギーが切れる寸前ということもよくある。
自他ともに一目見て「あ!残りの電池少ないね。充電しないと」と思えるような表示が人にもあるといいのに。そんなことを時々思っていた。
幸か不幸か、最近僕の体にはそのシステムが備わった。「紫斑」表示システムと、勝手に呼ぶことにする。IgA血管炎を患って以来、運動が基本的に制限された。医師から「あんまり動かないで、安静にして」と言われているのだが、この指示に反すると途端に体に紫斑が出てくる。
紫斑自体は痛くも痒くもない。ただ、皮膚の下で内出血を起こしていて見た目が良くないので「これはヤバい」と見た人は誰もが思う。
症状が出始めてそろそろ3ヶ月。最近気付いたのは、自分の疲労度によって紫斑の出る量が変わるということだ。
今週の月曜日。久しぶりに朝から夕方までフルに近い形で活動した。すると、夜には両足に大量の紫斑が出現。「うわーマジかよ」と落胆しながら就寝した。翌朝を迎えると、その日は体の疲れが全くと言っていいほど取れていなくて動けなかった。そこで初めて、前日は自分が考えていた以上に疲れていたのだということを知った。
もしかして、紫斑は自分の疲労度を教えてくれる目安になるのではないか。
そんな仮説を立ててみた。
今日も午前中から夕方近くまで出社して仕事にあたった。出来るだけ体に負担がかからないようにと意識しながら1日を終えた。
今日の体感の疲労度は10段階でいうと、6か7くらい。夜、風呂上がりに足を確認すると、紫斑の出方は月曜ほどは悪くない。
「あーもうダメですよ。あなた、バッテリーありませんから」
体が僕に伝えるために、紫斑表示システムを起動させる。
「はいはい、分かってますよ。もう帰りますから」
体からの忠告に従って、そそくさと帰路につく。そんなやりとりが体と僕とで行われていると想像すると、少し笑える。
体との会話に紫斑を利用してみようか。
治すというよりも、共存という形で過ごすしかない状況の中で、小さな活路を見出した気がした。