感傷に浸る夜は
今夜は久しぶりにハチャメチャやってた20代の頃を無性に思い出す。
いま何にもなれていないのに、一体何に向かっていたんだろう。
あのパワーと自惚れはいったいどこから来ていたのか。
今となっては消え入りそうなその頃の証はメキシコのオアハカ州でボランティアをしたこと。役に立つことなんて何も出来なかったけど、オアハカでのたくさんの思い出は、今では微笑ましいことも今でも苦しいこともある。その2年後にはメキシコシティの大学院に留学した。メキシコシティは今でも好きになれない街だけれど、素敵な人にはたくさん出会った。ネガティブなことがたくさんあったけれど、素敵な人がたくさんいる街。
コロナ禍で寄付をしたら、同じ時期にオアハカで勤務していた人が組織のディレクターをしていることが分かった。そのやり取りは当時の自分なりに頑張ったことへのプレゼントかもしれない。
数年前にオアハカを再訪した時に感じたオアハカの変化とコロナ禍の状況。正直に言うとリンクしない。もう現場にいないから分からないのだ。分からないという事実は悲しいこと。でもそろそろ受け止めなければ。そして、今ここでできることをしたい。
38歳になったばかりのいま。何にもなれていないけど、何かが残っている。頑張ることは無駄じゃない。年齢を重ねて再びそう思えるようになった。残っている何かを再度研ぎ澄ませていきたい。
クリスティーナ・アギレラのreflectionを聞きながら感傷に浸っています。
お読みくださった方、ありがとうございます!
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