人生の片道切符

「上京」

どれだけの人がこの言葉に希望を抱いたことだろう。きっとぼくもその1人なんだと思う。「思う」というのは、当時の気持ちをはっきりと覚えているわけではないからだ。かといって全く覚えていないというわけでもない。

今から16年ほど前。2008年3月26日だっただろうか。新幹線の切符を買う時は必ず往復切符を買っていた。往復割引なるものがあるからだ。生まれて初めて【東京行の片道切符】を買ったのがこの日だった。

「しばらくはこの場所に帰ってくることはない」
このことが現実味を帯びた瞬間だった。初めて親元から離れて生きる。あんなにも憧れた「ひとり暮らし」「大学生活」「東京」が、こんなにも不安になるなんて思ってもみなかった。

思えば、「片道切符」には慣れていたはずだ。今に始まったことではない。いつだって片道切符だった。人生において「往復切符」を手にしたことなどないはずだった。中学生になった時も、小学生に戻れるはずもなく。知ってしまったマンガの最終回を知らない状態に戻れるわけでもなく。言ってしまった悪口を言わなかったことにできるはずもなく。

そういえば、車窓が好きだった。動いているのは新幹線なのか、景色なのか。自分なのか、時間なのか。進めば進むほど、出発点からは遠ざかっていく。ゴールに近づけば近づくほど、スタート地点から遠ざかっていく。過ぎていく景色に、思いを巡らせるには、あまりにも速すぎる新幹線。時速270キロで過ぎていく「過去」。あの頃生きた18年とそれからの16年。比べるまでもなく、辿り着いている「今」。

ぼくの地元の駅の目の前には大きなお城がある。シンボルのように佇んでいる。どんな時も知ってくれている。はじめての「上京」のときも、その4か月後(つまり大学生活初めての夏休み)に地元に帰ってきたときも、また東京へ戻るときも、すべてを知ってくれている。

大学生でお金がなかったぼくは、長期休みで地元に帰るときも、それが終わって東京に戻るときも、ほぼすべて夜行バスを使っていた。半分以上安いから。そんなぼくが数回だけ新幹線を使って地元に帰ったことがある。

大学3年の夏休み目前、すべてのテストが終わった日の夜だった。数日後には夜行バスで地元に帰る予定をしていた。ほとんど電話することのない兄から珍しく電話がかかってきた。

「お母さんがガンになった」

詳しくは覚えていないが、母親は涙ながらに打ち明けたらしかった。「ガン」誰が名付けたかは知らないが、直面する者を屈服させるだけの響きがある言葉だと思った。

自分にできることは何だろう。心配すると同時にそんなことを考えていた。「自分にできること」一つしかない。20歳の自分にできることは、親に電話することでも、花束を買うことでもない。帰ることだ。会うことだ。

結局、転移もなく、胃をほとんど切除することで今の元気に生きている。ベッドに寝かされ、いろんな管をつながれ、手術室に向かう親を見送る光景は今も忘れることはない。

「上京」という言葉の定義を、ただ遊びで東京に行くことも含めるのであれば、大学を卒業して一度離れた東京に行ったことも思い出深い。主に友人の結婚式でしか行くことがなくなってしまった東京は、ぼくにとっては思い出の地になったからだ。第二の故郷と呼ぶにはあまりにもスケールが大きい、というか、そうは呼ばせない力が東京にはある。

その後の東京での暮らしを含めると計6年ほど暮らした。教えてくれたことは数知れず。「上京」が教えてくれたこと。よく希望も絶望も教えてくれるとはいうが、それは例外なくぼくにもご教授してくださった。

勝ったとか負けたとか、立ち向かうとか逃げるとか、達成感とか喪失感とか。現実とか幻想とか。空すらも見上げられない焦燥感とか星も見えない無力感とか。

生き埋めになっても這いずるしかない。挫かれても立ち上がるしかない。折られないようにするのではなくて、折られそうになっても曲がればいいんだと教えてくれた。

「あの日の上京」
ぼくが言うところの2008年3月。「親からの自立」「ひとり暮らし」「自分の力で生きていく」そう思っていた18歳の春。

違った。全然違った。現在、34歳。結婚して家も建てて子どもは2人いる。1年間の育休も取った。そうやって初めて分かった。親になってみて分かった。あの頃、思っていたうんぬんかんぬんは、本質的には一人暮らしでもなければ、ひとりで生きていたわけでもない。過ぎていく日々はようやく時速270キロに追いついてきたような気がする。

「片道切符」ではあったけど、自分で買ったものではなかった。親が買ってくれたものに過ぎなかった。ようやく「○○行の片道切符」を自分で買えるようになったわけだ。とはいっても、奥さんと一緒に買うのだけど。

結局のところ、1人では生きていけない。親にも未だにお世話になっている。意図的に面倒をかけている面もあるかもしれない。それは初めて上京した日からあまり変わっていない。

そういえば、昨年、1年間の育休を取得していたこともあって、家族旅行で東京に行った。ディズニーランドやらジブリ美術館やら、友人の家に行った。

「上京」
どれだけの人がこの言葉に希望を抱くことだろう。まぎれもなく、ぼくもその1人だ。断言できるのは、初めての東京に胸を躍らせ、遊び尽くした我が子の笑顔を見たからだ。

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