育休という挑戦

3年前、かつて一緒に仕事をしていた先輩が「1年間の育休」を取得した。ぼくには全く縁のない制度だと思った。

「男性育休」に対して、肯定的に捉えてくれる人はどれくらいいるだろう。かくいう、ぼく自身も男が育休をとる意味も必要性も感じていなかった。

だからこそ、「育休」は挑戦だった。奥さんの一言で、育休を取得することを決めた後、同僚や同業の人からいろんなことを言われた。

大半が、「自分には無理」というものだった。
男側の「無理」という意見の中身は、仕事してないと無理、家にずっといるのが無理、奥さんや子どもとずっと一緒なのが無理、といったものだった。
女性側の「無理」の中身は、似たようなもので、旦那とずっと一緒なんて無理、旦那が家にいてもどうせ家事や育児はしてくれないから無理、といったものが多かった。

もちろん、生き方や夫婦観などもあるが、そもそも金銭的に無理というものも多かった。そういう意味では、ぼくの家庭もぎりぎりだった。

反対に、「羨ましい」という意見も多かった。「仕事しんどいから育休とりたくなるよね」と言ってきた人もいた。そうではない。そう思われてしまうのが何ともかなしかった。

「男性育休」や「育休パパ」という言葉に、嫌悪感や拒否感などを感じる人が一定数存在するのも分かっている。

それに仕事は、いろいろなことを与えてくれる。絶望感も、達成感も、充実感も、脱力感も、安堵感も、焦燥感も、無力感も。仕事が嫌だから育休を取るわけではない。

いわゆる働き盛りであるこの30代半ばで育休を1年間も取得するのは失うものもたくさんある。その1年、仕事をするかしないかで大きく変わる。得るはずだったお金、キャリア、経験、それらを捨てて育休を選択するわけだから。

「育休取得」はぼくにとって大きな挑戦だったというわけだ。

1年育休が終わって、5ヶ月ほどになるが、結果からいうと、育休を取得してよかった。心の底から断言できる。

まだまだ男性が育休を取得することについて、理解してもらえない部分もあるが、本当によかったし、すべての父親が取るべきだとも思った。

仕事では決して得られないものを得た。こんなに、堂々と合法的に立ち止まり、自分や奥さん、子ども、家庭のことに向き合えた期間はなかった。

取っても意味がないとは言われるが、FP3級の資格を取って、家計に活かすことができている。ITパスポートという資格もとった。

自分の親と旅行することもできた。育休中に、おもちゃや絵本のことを勉強した。1年間で読んだ本は100冊に達した。

離乳食もたくさん作った。離乳食教室にも行った。子育て支援センターにも定期的に行った。ママ友やパパ友は1人もできなかったけど。

ぼくは、覚悟をもって育休を取得した。だから、決して無駄にしてはいけないと思い、毎日を過ごした。家庭の未来につながることなら、何でもした。それが自分のためにもなるし、家族のためになる。

自分が寝かしつけやお風呂に入れること、おでかけなどができるようになって、奥さんの「1人時間」をたくさん確保して提供してあげることもできた。

挑戦してよかった。復帰後の今にも生かされている。挑戦したことって、その時に輝くだけじゃない。挑戦したことをきっかけに未来が変わる。

ゴールとか結果とか成果とか、そんなことは抜きにして、挑戦したことそのものに大事なことがつまっている。

育休を取る前の自分と、育休後の自分。比べてみて何が変わったか、明確には分からない。そこらへんに落ちているような言葉を拾うと、必ず定時に帰るようになったとか、奥さんの気持ちが少しは分かるようになったとか、そんなことかもしれない。

ただ、少なくとも、人生が豊かになった。家事にしても、育児にしても、できることが増えた。そのことで、奥さんも子どもも喜んでくれているような気がする。

こんなに大きな結果はない。挑戦してよかった。「育休は挑戦」と言い切れるだけの1年間を過ごせたように思う。

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