「稽古」と「言葉」
(1)「日常生活」と「合気道の稽古」は同じ
① 合気道に欠かせない「礼」の言葉
当会の道場内規には次のような項目があります。
合気道では、稽古相手や稽古をする場所を大切にします。そして、その身体的な表現として「礼」は欠かせません。入退室時や稽古前の「礼」はもちろん、稽古が終われば、その日に稽古をした相手と正座をして向き合い、「ありがとうございました」と礼をします。とても清々しく、気持ちの良い瞬間です。
また、合気道を稽古していると、2つの言葉を口にする機会が多くあります。それは「よろしくお願いします」と「ありがとうございました」です。
そのため、合気道を稽古している人は、この2つの言葉をとてもスムーズに口にできるはずです。
②「言葉遣い」≒「その人の合気道」
また、稽古での言葉の選び方も大切です。良い稽古のためには稽古相手への敬意が欠かせません。そのため、自然と言葉遣いが丁寧になります。
相手への敬意を含んだ礼儀作法や言葉遣いは、気持ちよい稽古には欠かせません。そして、「道場」における礼儀作法や言葉遣いは、「日常生活」の延長線上にあります。
私の経験則では、合気道を稽古される方の「普段の言葉遣い」は、そのまま「その方の合気道」を表しているように感じます。生真面目な話し方をする人は生真面目な合気道を、論理的な話し方をする人は論理的な合気道を、、
合気道の開祖・植芝盛平先生は、合気道(武道)を次のように表現されました。合気道(武道)が、「普段の言葉遣い」だけでなく、「日常生活」と深くつながっていることがよくわかる表現です。合気道は「道場」という狭い空間に隔離された武道ではないのです。
(2)「技芸の上達」と「言葉の選択」
こうした言葉遣いと併せて、「技芸の上達を妨げる言葉遣い」にも気をつける必要があります。何気なく自分が使っている言葉が、知らず知らずのうちに自らの上達を阻害していることがあるからです。
今回は2つの具体例を挙げて、この点にフォーカスしてみます。
(その1)「難しいですね…」
合気道の稽古を続けていると、どうしてもうまくできない技や動きがあぶり出されてきます(どんな技芸でも同じですね)。こうした技や動きに対して「できない経験」を繰り返すと、ふと「難しい…」と言いたくなります。
私の場合、合気道の基本技である「一教」がそうでした。稽古を続けても正解が見えず、うまくできないと「一教は難しいですね…」とよくこぼしていました。
ですがある時、「難しい」と口にする潜在意識下では、次のような思考に陥っていることに気づきました。
さらに、「難しい」と口にするたびに、自分自身に対して「この技は難しいのだ」と、暗示をかけていることにも思い至りました。
「難しい」という言葉は要注意です(自戒を込めて)。「なかなかできないこと」なので「難しいこと」に相違ありません。ですが、それを「難しいこと」に分類しただけでよく見ないようにしていないか、この点には注意が必要だと思います。
なかなかクリアできない技芸に出くわしたときには、より具体的に考えると良さそうです。「何が、どのようにできないのか」「(最終的に)どうなれば、出来たといえるのか」など。
「難しい」に限らず、何気なく遣う言葉が技芸の上達を妨げていることがあります。日常生活でも道場でも、自分が遣う言葉には気を配りたいですね。
(その2)「すみません/申し訳ない…」
初級者の方がよく口にされる言葉です。
合気道の稽古は、基本的にマン・ツー・マンで行われます。そして、初級者の指導には、稽古内容を理解している上級者があたります。
合気道を始めたばかりの初級者にとっては、指導を受ける何もかもが始めてのことです。特に、合気道の姿勢・動きは日常生活のそれとは異なる点が多いので、教わったとおりに動けることは、まずありません。
教わる→できない→教わる→できない→・・・
これを繰り返していると、教わっている初級者の側は、指導にあたる上級者に対して申し訳ない気持ちになります(私もそうでした)。するといつの間にか、「(できなくて)すみません」「(できなくて)申し訳ないです」と口にしています。
断言します。
合気道を教える側は、教えている相手がどれだけできなくても、大して気になりません。なぜならば、「自分もそうだったから」です。自分自身も「教わってもできない経験」を繰り返してきたので、初級者の気持ちは手にとるようにわかります(申し訳ない気持ちも含めて)。
ですので、「(できなくて)すみません」「(できなくて)申し訳ないです」と口にする必要はありません。それよりも「どうすればできるのか?」を考えることに集中したほうが上達は早くなります。
この点、子どもは正直です。
子どもたちを教えるときに、「(できなくて)すみません」「(できなくて)申し訳ないです」と言われたことはありません。
大人の方が相手への配慮ができるとも言えますが、子どもは相手への配慮よりも、目の前のことに集中しています。何事も大人より子どものほうが上達が早いと言われますが、このあたりにも鍵がありそうです。
「すみません/申し訳ないです」と口にするとき、その人の意識は「教えてくれる人に対する遠慮/申し訳なさ」によって占領されています。そのとき、肝心の「(できていない)技芸」には意識が向いていません(下図)。
ということで、初級者の方は、できなくても気にしないでください。指導にあたる上級者に対して遠慮や申し訳なく思う気持ちは、上達にはむしろ邪魔でしかありません。それよりも、「どうしたらできるのか」を考えることに集中することをオススメします。
おわり
今回は「稽古」と「言葉」との連関を取りあげてみました。
「稽古」で何気なく自分が遣う言葉は、「日常生活」の延長線上にあります。そして、自分が何気なく遣う言葉が、自らの上達を妨げていることもあります。もちろん、その反対(上達を扶ける)も大いにありえます。
「稽古」と自分の「言葉」が、深く結びついていることを意識して生活していきたいですね。
-おまけ- 大先生の丁寧な言葉遣い
合気道を創始された植芝盛平先生(以下、「大先生」と表記)は、「最強の武人」と謳われる大名人でしたが、いつも丁寧な話し方をされたそうです。
たとえば、稽古をする技をかえるとき(ある技の稽古から、別の技の稽古に移るとき)には「申し上げます」と声をかけられたそうです。「申し上げる」は、「言う」の謙譲語です。自分の「言う」という行為をへりくだって、相手を立てる敬語表現となります。
道場の中で誰よりも立場の高い「最強の武人」が、道場生にへりくだる必要はありません。そのため、大先生が敬意をこめた対象は、道場生よりももっと大きな存在(神、その場、合気道そのもの 等)だと思われますが、この点は推察するしかありません。
いずれにしろ、「申し上げる」という表現だけを取りあげても、大先生がどれだけ「言葉」を大切にされていたかを汲み取ることができます。
最後に、私の師匠である多田宏先生(合気会本部師範・9段)が大先生の言葉遣いについて書かれたテキストを引用させていただきます。「申し上げる」ほどの敬語表現でなくとも、われわれも丁寧な言葉の遣い方を意識したいですね。
※テキスト内の「先生」は、「大先生」を意味しています。
(本文終わり)
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