海外でサッカー選手を目指すことになったきっかけ
こんにちは!現在住んでいるモンテネグロでは本格的に冬が始まる寒さになってきました。季節の変わり目で体調崩しそうになりながらもどうにか奮闘中です。
今日のテーマは、「何故海外で生活し、海外の地でプロサッカー選手を目指すきっかけ」について書こうと思います。
3年前の今頃、恥ずかしいながら大学生の頃に不祥事を犯したことがきっかけで海外に行く決意を決めました。
その失態については恥ずかしく口が裂けても言えないのでご想像にお任せします。
3年前に1年間大学サッカー部に所属していました。自分が想像していたよりもレベルが高く全国各地から選りすぐりの選手が集まる関西強豪サッカー部でした。
この1年間は「過酷であまりにも惨めで情けない」今でも思い出したくない1年を過ごしました。
1年を通して自分のパフォーマンスと周りの評価が一致せずに浮き沈みを常にしている日々に追い討ちをかけるように、周りの同期たちはTOPチームでバリバリ活躍したり、自分のカテゴリーより上に昇格していくのに焦りを感じ、次第にサッカーから逃げたくなっていました。
大学サッカー部の部員300人以上がJリーグでプロ選手になろうと全国各地から進学し、その中からTOPチーム30名、スタメン11名に入るために毎日鎬を削る中で、時には誰かの不幸を願ってしまう世界で、自分が全くプロ選手になれる未来が見えず、尚且つTOPチームに入れることさえも難しいと思っていました。
それでも現実に目を瞑りながらも毎日自分に自信と不安を持って「このままで大丈夫なのか」「俺ならできると」とよくわからない感情でグラウンドに行き練習して、授業に出て、バイトに行く毎日を過ごしていました。
バイト先は大学の近くのいつ常連さんで賑わう居酒屋がバイト先で、大学の近くに営むおかげかサッカーに携わってる人が多い印象のお店でした。
常連さんとはいつもサッカーについて話していました。
会う度に、「お昼食べな!」とお小遣いを渡してくれる方「お釣りはいらないから」と2000円以上置いてくれる方がいて当時は嬉しかったのを覚えています。
それとは、裏腹に「今のままでプロなれんのか?」「プロなるの無理やろ」と葉っぱをかけてくれる方もいて、当時は「黙れよ。お前に何がわかんねん」とムカついた事も多々ありました。(性格歪んでますよね笑)
バイトは週3日多い時は週5日行った週もあり、何かとお金がかかる大学生。
3人兄弟で両親にいつまでも迷惑かけたくないと、友達とご飯や遊んだり欲しいものは自分で買えるようにバイトしていました。
バイト終わりいつも12時過ぎ、寝るのは早くても2時になり朝練も寝不足だったり学校の授業もあまり頭に入らない事が続きました。
そんな日々が続くと現状になれていき「これが普通なんだ、当たり前の日常」と思うようになりました。 上を目指している人よりも自分の周りにいる愚痴をこぼしている人、不満も常に持っている人との愚痴り合いの環境が心地よくなりました。
当時、下宿先でTOP、Bチームにいた先輩3人と隣の部屋からオナラすら聞こえる壁の薄さに加え、今時あってはならない部屋にエアコンがない家に住んでいました。
人それぞれ色々な性格が入り混じった人達と生活していき、スポーツの世界は喜怒哀楽が激しく時にはギクシャクしていて気まずい時もありましたが、時にはみんなでワイワイと楽しむ時間もあっていい思い出です。
そんな生活の中で自分だけカテゴリーが下にいたのもあり、先輩と比べては「焦り」「恥ずかしいさ」などいつも周りの目を気にして過ごしていました。
時には顔すら見たくない時も多くはなく、家には帰らずに夜な夜な誰かと遊んでいたりした時もありました。
そうでもしないとストレスで頭が爆発するんではないかと頭を抱え、それと同時に自分のパフォーマンスは荒波ほど上下していました。
そんな不安定な時期に不祥事を犯し、周りの期待や学費を払って応援してくれる両親に対して「本当に何をしているんだ。」と本当に申し訳なく思い
「ここまでいいのか?」「こんな気持ちでプロになれるのか?」と思わせてくれました。
もう一度、自分の目標と将来に対して向き合いサッカー選手になるという目標を必ず叶なければならない。両親、応援してくる人達に恩返しなければならないと思い。日本ではなく海外で、今度は誰の力も借りず1人で目標を叶える決意しました。
ここだけ読むと「ただ嫌になって逃げたんだな、綺麗事並べてるだけだな」と思う人もいると思います。当時は逃げたいと思って逃げましたが今思えば大学を辞めるという選択に対しては正解だったなと思えています。友達の親、両親の知り合いなどから自分の大学を辞めることに対して、「辞めて何すんの?」「大学辞めるの違うでしょ?」「大学辞めてこの先何が残ってるの」と批判してきました。批判してきた人に対して悪くいうつもりはないですが、いつか見返してやるという気持ちはあります。
もし辞めていなければ無駄な4年間を過ごしていたのか、何をしに大学に行き、何を思ってサッカーをしているのか分からず見失ってしまっていたと思います。今は海外に出ようと決断してよかったなと心の底から思ています。
両親も快く海外に出ることに賛成してくれた事に頭が上がらないほど感謝しています。ありがとうございます。
自分がしんどい時期に、お母さんからこんな言葉を貰いました。
「ピンチはチャンス」「成せばなる なさねばならぬ 何事も やる気こそ宝 」
人生は1番しんどい時期こそ、多くのチャンスがありその場面で「何が出来るのか」「どんな準備をして取り組めるのか」1番大切だと教えてもらいました。
多くの人は逃げる事を良くないと否定してくる大人もいますが、逃げる事は悪い事だとは決して思いません。
自分が間違った判断をしていても、その間違いすら正解にしてしまえば間違いも間違いになりません。
人生は何度もチャンスはやってくるわけではありません。
そもそも中途半端なやつにチャンスなど訪れるわけもありません。
常に自分に対して自信を持ち「必ず成し遂げるんだ!」と意気込み続けれる人が神様からチャンスを与えてもらえる権利が貰えるかもしれない思っています。
だからこそ、これからも妥協せず挑戦し続けます。
熱が入りとても長くなりましたが、ご愛読ありがとうございます。
では、次回も楽しみに!