ケツメイシの「また」と「まだ」

おそらく世の中がまだ「平成」というのっぺりとした響きに慣れきってはいなかったであろう、平成のはじめの頃に私は生まれた。

平成初期の象徴として扱われることが多いバブル経済も、その後のバブル崩壊も記憶にはない。

東西ドイツ統一もソ連崩壊も私の誕生日の前後1年くらいの範囲に収まる時に起きていて、当然、東西冷戦のピリつきを経験していない。
政治やら国際情勢やらがおぼろげながら理解できるようになったときには、自民党はぶっ壊されていて、アメリカはイラクに攻め込んでいた。

デジタルネイティブとくくられることもあるけれど、家に「パソコン」なるものや、「インターネット」なるものがやってきた瞬間は記憶の中にあって、自分自身としてはネイティブなのかどうか個人的には極めて怪しいと感じている。

音楽の面で振り返ってみると、一番古くかつ強く記憶に残っているヒット曲は『めざせポケモンマスター』だった。
その当時にCMで流れていたイマクニなる人物が歌う『ポケモンいえるかな?』をそらんじれる人はクラスのヒーローのように扱われた。

環境、特に親の趣味によるところが大きいけれど、平成の象徴たる小室ファミリーや安室奈美恵の大きな影響力を感じたことはなく、その後のつんく♂ファミリーのモーニング娘。は強く記憶に残っている。
小学校の時、昼休みに空き教室で女子たちがLOVEマシーンを踊っていたことを覚えている。

個人の趣味趣向が確立される中高生、いわゆる思春期のときのJ-POPは、今思うと、どこかスッポリとエアポケットに入ったような状況だったと感じる。

というのも、その前後のヒットチャートの上位を占めるハロプロ系やAKB48、坂道グループのような女性アイドルグループは下火だったし、ジャニーズ勢もSMAPとTOKIOは確固たる地位を築いていたものの、その下の世代でいうとKAT-TUNが強烈な個性を発揮していたものの、それ以外は正直それほど勢いはなかった。
あの嵐ですら、その当時は雌伏の時だった。

そんな中、ヒットチャートを賑わせていたのがケツメイシ、オレンジレンジ、倖田來未といったアーティストだった。

ケツメイシは『トモダチ』『夏の思い出』といった息の長いヒット曲を量産、『さくら』が花開き、それが収録されたアルバム『ケツノポリス4』がダブルミリオンになる。

オレンジレンジは『上海ハニー』『ロコローション』のような中高生の心をくすぐるノリノリ陽気でちょっとスケベな曲で心を掴み、バラードの『花』で涙を搾り取った。

倖田來未は「エロカッコイイ」というキラー形容詞をひっさげ、ヒットを連発。12週連続シングル発売という今思うとよくわからない企画を成功させていた。まだCDが売れる時代だった。

そんなJ-POPを浴び続けた中高時代を経たにもかかわらず、違う世代の人に「青春時代に聞いていたオススメの曲は?」と聞かれても、上記のアーティストは挙げないだろうなあ、と思う。

たぶんBUMP OF CHICKEN、東京事変あたりを挙げちゃうのだろうな。

なんでだろうか。
バンプは青春の一ページなのに、ケツメイシとかオレンジレンジは若気の至りのような扱いをしてしまっている。

「あれは世間に流れていたから聞いていただけで、自分で選びとったものではなくて、思春期の心に刺さったものは他にあるのだ」などと折り合いをつけようとしている。

たしかに思春期のころのことなんて、思い出すだけで頭をかきむしりたくなるような、枕に顔を埋めて叫びたくなるようなもので、そのそばで流れていた曲、クラス行事の打ち上げで行くカラオケで歌う用の曲もまた、ついでにそんなザッツ思春期の思い出にカテゴライズされてしまっているのかもしれない。

刺さらずとも、そんな曲たちは確かに日常に彩りを加えていたという事実に気がつく頃になって平成が終わった。令和になった。

あいみょん ヒゲダン Vaundy
米津玄師 に King Gnu
YOASOBIさらには 藤井風

このアーティストたちも、やがてはZ世代の「若気の至り」プレイリストに組み込まれてしまうのだろうか。

いや、みんなまとめて「青春の一ページ」に入るのだろうと予想している。
正直、「若気の至り」にしてはお洒落すぎるし、カッコよすぎる。

そんなことをぼんやりと考えているときに、ラジオからケツメイシの新曲『一等星☆』が流れた。

聞きまごうことなきケツメイシの音楽だった。
かっこいいとか、お洒落とかではない。これはケツメイシだった。

あまりにもケツメイシで、正直、今の時代には浮いている、というか失礼を承知で言えば時代遅れのように感じてしまった。

しかし、なんというか、染み込むようにこのケツメイシの音楽が体に入ってきた。
そして、「あの日」の自分の感覚と今の自分の感覚が繋がるのを感じた。

そして、30代になることが想像もできなかった15、16の自分と、自分が中高生だった過去に現実味がなくなってきている今の自分が、ケツメイシを通じて繋がるような感覚を覚えた。

ああ、たしかにあの日とこの日は途切れることなく流れてきているのだな、なんてことを考えた。


『一等星☆』の歌詞は少し変だ。
油が焦げるやら、餡は素材の相性が大事やら、お湯をいれて蒸すやら、変なフレーズが並ぶ。

それもそのはず。この曲は餃子の王将のタイアップ曲、コラボ曲らしいのだ。

餃子を使ってうまいことをいう大喜利みたいで少しコミカルな要素もある。
無理やり王将を絡めているところもあって、なんかモヤモヤする。もっとスマートにやってもいいのに、などと考えたりもする。

しかし、サビの歌詞。
この部分は王将を無視して歌っている。

簡単に言えば、涙を拭いて仲間たちと頑張っていこうぜ。みたいな歌詞。

これはJ-POPが食いつくしたテーマなんだけど、今、このタイミングでケツメイシらしい音楽にのせて歌われると刺さる。

「また」立ち上がろうぜ
「また」夢を見ようぜ

これはつまり、あの日のままでも構わないじゃないか。今に無理して合わせなくても、あの日のままでも、またやれるはずだぜ。と伝えてくれてるんじゃないか、と。ケツメイシが。

サビの歌詞の頭は「また」「また」「また」と続いて、

「まだ」上を見ようぜ

と来る。

まだ上を見よう。なんて言うってことは、今、自分は下を見ようとしてしまっているってことなのかもしれない。

下を見ようとする自分をなんとか律するために、「まだ上を見よう」と言っているという風にも思える。

サビとサビの間のこのフレーズ。

「変わってないぜお前らしさは」

とケツメイシは歌う。
ケツメイシからリスナーへのメッセージ。

変わらない自分らしさ。というのは平成生まれのテーゼだ。

思春期が訪れる前、小学校を出るか出ないかの頃に大ヒットソングが生まれた。

『世界に一つだけの花』である。

ナンバーワンよりもオンリーワンの方が尊い。
そういう価値観が充満した時代だった。
あのころ小学校の卒業式の祝辞では校長からPTA会長まで「ナンバーワンよりオンリーワンを目指してください」と定型文のように話していた。先生からの寄せ書きでは多くの先生が「オンリーワン」という言葉を使っていた。

三十路を超えて思うことは、ナンバーワンよりオンリーワンを目指すことが至難の業である、ということだ。

ナンバーワンを目指すには努力をして、他人と戦えばいい。
努力を続けていれば、いつか勝てるんじゃないかって希望を抱ける。
で、自分よりも他人が異常に優れた人ならば、しゃあないってあきらめることだってできる。

でもオンリーワンならその逃げ道がない。
自分自身の戦いは永遠に終わらない。
明確な勝ち負けがないその戦いをずっと続けなけらばならない。

自分らしさを貫いたところで、勝負は永遠に終わらない。試合終了はその人生が終わったときになる。なんたる長期戦!

でも、ケツメイシはそのまま、ケツメイシらしさを貫いている。

ああ、それでいいのだ。

ケツメイシはケツメイシでいい。
だから、あの日、ケツメイシを聞いて若気の至りにはまっていた自分たちもそのままでいいのだ。

時代の流れが速すぎて、最先端を行っていたと思っていた自分があっという間に時代遅れになる。
もうダメか、と思っていたりもする。

けどケツメイシは、「また」やれると伝えてくれる。「まだ」やれると伝えてくれる。


気付けば、「令和」というのっぺりとした響きに慣れ始めている自分がいる。

徐々に自分が古い人間になりつつあることを痛感する。

でも、自分は「また」と「まだ」の間にいるんだと信じてみたい。

だってケツメイシが言っているんだもの。あのケツメイシが言っているんだもの。

あの日、私たちを夢中にさせたケツメイシが、あの日のまま歌っているのだから。
信じてみたい。
あの日、シーブリーズの冷感スプレーを振りかけて、リプトンのフレーバーティーの紙パックを飲んでいた、あの日の自分のために。

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