
#2 変化の足音
大人になってから自然と起こる身体の変化は、大抵が老化現象だと思っていた。
限られた回数しか細胞分裂出来ないというのが生きる身体の単純な仕組みというのだから、怪我の治りは遅くなってゆくし、放っといて疾患が改善される事はない。あきらめとかではなく、それが至って自然な事なのだろうと思っていた。
単純明快な細胞の仕組みだけじゃない。生き物が赤ちゃんの時に光っているようにみえるのは内面の清らかさが反映しているからで、色んな事を知りながら生きてゆくにはその輝きを少しずつ失ってゆかなくてはならない、とスピリチュアル系の本かテレビ番組かで聞き齧った事がある。生きる即ち死ぬ事である、などと哲学者達が説いてきたようなものだろうと思う。
それら論理は大抵が頷けるもので一般的と言えるのだろうけれど、除霊後のわたしの身体ときたら、そういった人の常みたような原理に抗いはじめた。三十四歳にして成長する事柄ではないだろうと思える変化が多々現れてきたのだ。
とりあえず、除霊してから変わった点を箇条書きにしてから説いてみる。
◯生理が正確に来るようになった
月経不順は一番困っていた十代後半からの不具合で、初潮を十一歳で迎えてからふつうの周期だったと記憶しているが、どういう訳か十五歳の時に突然来なくなった。
こどもだったわたしは生理なんて面倒くさいものなのだから来なければ来ないで良いや、と一年間くらい放っておいたのだが、買い置きのナプキンの減りが遅過ぎると母に気付かれ産婦人科へ強行突破、診断結果は子宮が上手く育っていないそうで、自分の力では生理を起こす事が出来なくなっていたのだ。
ドクターや母から、いかに月経不順が良くないかについてをすごい剣幕でよく聞かされ、それからは仕方なくホルモン注射やピル処方、漢方薬を定期的に繰り返す事にして大体二〜三ヶ月に一度は生理を起こす事が出来ていた。
おしりの皮膚にぷつりと打たれるホルモン注射は痛いし、膣内環境を診るらしい鉄のストローのような物体をねじ入れられるのはもっと痛いし、漢方薬は苦いくせに効いてるのか効いてないのか不明だったけれど、それらをしないで放っておくとまた来なくなるので、三十三歳まで細々と続けてきたのだ。
Aさんとのカウンセリング中に驚かされた事は様々あるけれど、体感として一番驚いたのは除霊から帰宅後、通常ではあり得ないくらいの量と勢いでおりものが出た時だと思う。その二週間後に生理が来てから、どういう訳か、注射や薬がなくても約二十八日周期という正常の月経周期が続いている。
◯万年冷え性が治った
冷え性が治ったから月経不順も治ったのか或いは逆か、そこの順番は解らないけれど、はじめに気が付いたのは冷え性改善の方だった。
除霊後、母と馴染みのスーパーによって晩御飯の買い出しをしていた際、いつもなら寒くて仕方がないスーパーマーケットという場に対して全く寒気を感じず、寧ろポッポ、ポッポと身体の火照りを感じ始めた。試しに母に手を握ってもらうと、「ミチルの手があったかい!」となかなかの大声で母は叫んだ。
冷え性というのも十五歳頃からのものだったと記憶しているけれど、手足が冷たいというのはあまり自分では気が付かないもので、ふと他人に触れられて、ぎょっとされてあらためて気が付くくらいなものだった。低体温を保っている本人は冷えている事がふつうの状態で、前回も書いたけれど、不思議があたりまえになると、それはもう不思議ではなくなるのだ。
◯女性らしい体型になった
冷えは万病の元などと言われる通り、冷え性改善されたから身体全体に何か良いものがまわり易くなったのか、三十四歳にしてようやく大人の女性らしい体型になった。
通常なら、女の子が女性の体型にぐっと近付く歳頃は高校生あたりだと思うけれど、自分は中学生くらいで止まっていた。
ホルモンバランスの関係なのか、痩せ型といえたこれまでのわたしの身体は例えるなら成長期の子供みたいなもので、そこに女性らしさは感じられない。太らないなんていいわね、などと言う同性はいたけれど、本人としては変なところで成長が止まっている中途半端な体型と感じており、モデル志望でもないので痩せているのは何も得しない。峰不二子ほどのグラマラスになりたいとは言わないけれど、ある程度の曲線美がずっと欲しかった。
貧相だった胸を適当なブラトップなどで済ませていたところ、やっと育ちはじめたかわいいものを護るように、レースやリボンがあしらわれた素敵なブラジャーを沢山買い込んだ。
◯顔色と耳が良くなった
冷えというのは顔面も強張らせるのか、どこか陶器のような冷たい硬さのあった肌質から変わって血色が良くなったと思っており、その顔色の変化はまわりにも言われた。
が、耳が良くなったと感じるのは自分自身にしか解らない事ではある。聴こえが悪かった訳ではないけれど、何か今まで聞こえなかった音が聞こえるようになった。それに関してはまた改めて書き出そうと思う。
◯たまねぎアレルギーが治った
酷い時は呼吸困難を起こした事もあり、匂いでやられてしまう時すらあった。散々胸がつんつんと痛くなる思いをしてきているというのに、除霊から数日後には「食べてみよう」という気が起こり、以降難なく食べられるようになった。言っておくが、食わず嫌いだった訳ではない。
◯ホラー要素のあるものが苦手になった
一般的に「こわい」とされるジャンルの本や映画、漫画、テレビ番組、全て興味をもって受け入れてきたけれど、それは実在する事を理解していないから簡単に見てこれただけなのだろうか。あまりこわがりもしなかった気がする。
こわいものをこわいと感じるようになってからは大好きな雨穴さんのユーチューブ動画も直視できなくなってしまい、しかしファンである事に変わりはなかったので番組や御本は積極的に見れずともフォローはそのままに、陰ながら応援させて頂く事として自分の中では良しとした。その他、ホラー系統のものはもう目も向けなくなった。
ひととおり自覚している変化を書き出したけれど、自分では気が付いていない点もあると思う。変わってゆく事柄が多過ぎて、一年経った今でも理解が追いついていない事もある。
追いつかない頭なりに考えて、生き物の老化は避けられないとしても、そういえば退化という表現の仕方もあったな、と書きながら思った。深海を生きてゆくために完全に目を閉じた魚のように、退化は生物学上では進化の側面とされるらしい。そこに霊的な現象が関わる事もあるのだろうか。
☆
除霊から一ヶ月が経った頃、ひとつ気がかりな点があったのでAさんにLINEにて相談させて頂く事にした。相談窓口は広くという事なのか、Aさんは何かあったらLINEをどうぞ、という案内をされているのだ。
『Aさんこんにちは、その節はありがとうございました。突然すいません、気になる事があってLINEさせてもらいます。
先月のお祓い以降、冷え性が治ったり生理が正常に来たりしてとても健康体にはなったのですが、以降も金縛りが起こる事があります。それも、以前では聞こえなかった足音のようなものが聞こえるようになってしまい、その音がどうにもひっかかるのです。
仕事の関係もありこの冬を越すまではN市には帰らなそうなのでLINEにてご相談させてもらいました。ちなみに、塩のお風呂は定期的に続けています。』
塩のお風呂とは、小匙二くらいの天然塩を入れた自宅のお風呂の事である。どうやらわたしは霊に憑かれ易い性質らしく、今後も変な霊を寄り付けないためにやるべき事柄というのをAさんから聞かされており、中でもお勧めされたのが塩風呂であった。
『こんにちわ(^^)/なるほどなるほど。えっとですねー、まず、腎臓が冷えてます。こちらに対処法を書きますね』
返事はすぐに来た。腎臓が冷えてるってなんだろう、と思ったけれど、とりあえずAさんの対処法とやらを待つ事にした。
『まず、金縛りの時の足音は、良い前兆と悪い前兆があります(´ω`)
良い前兆→これから金運が上昇する。
悪い前兆→自身のトラウマが出てきている。
ちなみに足音はどんな感じですか? 重たい感じですか?』
AさんとのLINEのやりとりは、除霊後お礼のメッセージとして数回交わした事があった。Aさんは、LINE上でも全く畏まっていない。ふつうの主婦、いや、学生くらいの女の子みたいなイメージをもたせる。スタンプや顔文字などを使用する頻度が高めで、「なるほどなるほど」とか、「はぁい」、「おおっ!」 というリアクション相槌も多く、良い意味で気楽なのが好ましかった。
対面している時も思ったけれど、セラピー相手に気を張らせないようにわざとふつうっぽく振る舞ってるのかな、と踏むのは考え過ぎだろうか。
『少しはやめのトントントンという感じで、子供のような軽い感じではなく、大人の足音かなという重さはあります。金縛りになる直前にこちらにやって来る感じです。除霊したのにどうしてなんだろう、と気になってます』
わたしは元来金縛りが多かったけれど、金縛りには身体疲労のものと霊的なものがあると思っていたし、自分のそれはあまりに頻繁なので身体疲労から来るものだろう、きっと癖になっているのだ、くらいに思うようにしていた。だというのに、これまでミチルさんが感じてきた金縛りは殆んど件の悪霊ですよ、と除霊の日にはっきりと言われてしまった。
『なるほどなるほど。睡眠はしっかりとれていますか?』
『度々起きる癖があるので総合時間にすると多い方ではないのでしょうが、自分としては少なくは感じていないです。ただ、金縛りの際にはこわくて眠れなくなったりするので、毎日順調とは言えないかも知れません。』
これまでの金縛りの殆んどが悪霊の仕業だったと言うのだから、除霊後はもう金縛りも無くなると思っていたのだ。
色々な良い変化点はあったとしても、意味不明な金縛りにあうとまだその辺に変なのがいるのではないか、と恐怖にかられてしまう。
『そうですねえ。金縛りの時に聞こえる足音としては、ご自身が疲労とストレスが結構溜まっている状態というのもあります。金縛りになったら、なるべく大きく呼吸をして、手か足の指を動かしてみてください(^^)!』
金縛りの時に上手く呼吸なんてできないし何も動かせないからこそ辛いのだが……とつっこみたくなったけれど、ひとまずやめておいた。
『あと、お仕事ずっとお忙しいのでは? それと、カリウム不足ですねえ。腎臓が冷えてるので、カリウムをしっかりとりましょう!(^^)』
ほうれん草に納豆に小松菜、アーモンドにアボカドといったカリウムが豊富に摂れるらしい食材のイラスト画面、その他身体をあたためてくれるという食材が沢山載ったイラスト画面が同時に送られてきた。
『こちらを中心に食事をしてみて下さいね! あとは何か、心配な事はありますか?』
『腎臓が冷えているというのは自分では解らないものですね(笑)食事、気をつけてみます。
年末年始の仕事が忙しかったのは確かにありますが、仕事自体は負担には思っておらず、むしろ除霊後に変わった事柄を含め、うれしくて、毎日楽しく生活しているんですよ。それなのに金縛りは続行するのかあ、と気になってしまいまして。
Aさんからみて、他に金縛りの原因は解りますか? あとは、生霊に関しては未だに気がかりというか不明というか……。』
『なるほどなるほど。今はお祓いしたので、オバケ的なものは憑いてませんよ(^^)
そして、この前ミチルさんに憑いていた生霊は良い意味の生霊になるので、こわいとか不安な気持ちにならずに、そうですねえ⋯⋯、イメージとしては大きく手を広げて受け入れる感じにしてみてください\(^o^)/』
生霊を、大きく手を広げて受け入れる。手応えがなさそうでいながら滅茶苦茶ずっしりときそうだな、と苦笑した。
『生霊に関しては、この前Aさんが仰ってた通りあくまで良い意味としては認識してますが、ふたりというのがどうしても気になっていたのです。ひとりはおそらく今現在付き合っている人なのですが、もうひとりはどうして憑いているのだろう、と不思議なのです』
ひとりはアキなのだろう事は間違いないと思っている。Aさんが左側の生霊の特徴を挙げていった際には驚き過ぎて言葉が何も出てこなかった。わたしはAさんにアキの写真も見せていないし名前・生年月日すら告げていないどころか、同棲を始めた恋人がいるとも言っていない。
『もうひとりの方はですねえ、これからお仕事に関して力になってくださる方です。悪い方ではないので、楽しみに待って頂けたら幸いです\(^^)/』
アキの事に関して触れなかったのも気になるところだけれど、もうひとりに関してのこの返事も不思議なものであった。楽しみに、とはなんだろう。その人が現れる事を、わたしはだた待っていれば良いという事だろうか。LINEのやりとりだけでは、よく解らない。
『そうなんですね、解りました。ありがとうございます。またN市に帰った時にカウンセリングお願いするかも知れないので、その際はよろしくお願いいたします。』
『はーい(^^)/金縛り、少しこわいかもしれませんが、悪い霊の仕業ではなさそうなので、なるべく深呼吸と気合いで乗り切ってみてくださいね!』
深呼吸と気合いで乗り切れるものなら乗り切りたい。それができないから困っているのである。などとも思ったけれど、おそらくそういったこころもちはとても大切なのだろう。
金縛り自体は悪い霊の仕業ではなさそうとの事だし、生霊に関してはきっとAさんでもLINEだけでは解らない事があるのだろうと思い、このやりとりは終わりとした。
☆
除霊から二ヶ月が経つ頃になると変化はひととおり落ち着いた。わたしの手は冷えていないし、生理は正しい周期で来ていた。
Aさんのアドバイスをこころに、金縛りにあった際にはこわいオバケのせいとは思わないようにして、出来る限りの深呼吸めいた呼吸をしてみるようにした。やはり金縛りは自分にとって癖のようなものなのか、無くなる事はないらしい。相変わらずふとした時にやってくるけれど、それがなんだと言わんばかりに、こわがる事なく金縛りを受け入れようとしていた。
あれは二月のはじめだったと思う。深夜三時頃に目が覚めて、トイレに行ってから再び眠ろうとする際に金縛りが来そうだな、と感じた(特にうれしい事ではないが、長年の体験から金縛りが来る時をなんとなく解る事もあるのだ)。
隣ですやすやと寝ているアキを起こさぬよう静かに布団に入り、身体が固まりゆく際、トントントンと足音が聞こえた。目が開けられる状態にあったので開けてみた。こちらに向かってきた足音の主はアキだった。と思ったけれど、アキはわたしの隣で寝息をたてて眠っていた。