#1 備忘録、はじまりのはじまり
除霊してから一年が経った。色々な事を忘れないうちに、きちんと書き出していこうと思う。
はじまりとしては、三十三歳を終える頃。母が自身の事を視てもらうために霊媒師Aさんのお宅へ足をはこんだ際、わたしに二十年モノの悪霊が憑いていると言われた事からだ。
母は、離婚してから自営業者としてこれまで培ってきた仕事の事、土地持ちの実家跡継ぎ問題の事、ふたりの娘(わたしと姉)の事に関してはスマートフォン上で写真を見せるなどしながらカウンセリングを受けていた。自分にしか解らない筈の事がどうしてこの人には解るのだろう、と不思議に思う受け答えは幾つもあったという。要は本物の霊媒師さんであるという事だけれど、それはカウンセリングを受けた本人にしか知り得ないものではあると思う。
過去と現在そして未来を含めた至極スピリチュアルなお話をしている最中、
「あの。次女さんには、悪霊が憑いてます。」
と突然言われた母も吃驚仰天だったろうが、それを寝起き一番、朝のLINEにて知らされたわたしだってなかなか驚いた。夢の続きかと思ったくらいである。
まさか十三歳の時から約二十年間、自分に悪霊が憑いていたなんて思いもしなかったというか、まずそんな事は想像に余りある奇想である。
ホラー映画や心霊ドキュメンタリー番組などは好んで観る方だったけれど、オバケやらUFOやらの非科学的と言われている存在を肯定も否定もしてこなかった人間にとり、憑依というのはどうにもピンとこなかった。
それでも、このまま憑かれていると生きてゆくにあたり何かと大変らしいのでとりあえず除霊してもらおうと思い、次の休みを一泊二日の実家帰省にあてて人生初の除霊を受ける事とした。人生初、と輝かしく書いても、そんな事しなくても構わない人生だってあるのだから、よろこばしい事ではないのかも知れない。
☆
「ここがAさんのお宅。ね、ふつうでしょ。ママもこの前Aさんとお話してすっきりできたから、多分ほんとうに凄い人だよ。除霊とかは、まあ何だかよく解らないけど、きっと変なオバケとれるよ、大丈夫! じゃ、終わったら迎えに来るからまた連絡してね!」
わたしは別にこわがってなんかいなかったけれど、母なりに、憑依されている娘を気遣っての言葉だったのだろう。適当な母の応援文句に押し出され、Aさんのお宅のベルを押した。
Aさんは、一見ふつうの人と変わらなく思えた。母から聞かされていた通り、家の中は何の変哲もない雑多なリビングで、服装はいたってカジュアル。カジュアル過ぎてどんな洋服を着ていたかすら覚えていない。黒魔術を使いそうなビロードのマントを羽織っている訳でも、水晶玉片手に迎えられた訳でもない。しまむらで売っていそうなディズニーキャラクター模様のテーブルクロスがかけられたこたつ布団に足を入れさせてもらいながらの、友達の家にお邪魔しているかのような形態のカウンセリングだった。
「よろしくお願いしまーす。ええっと、こちらにお名前と、生年月日と、今お住まいの住所、書いていただいてー。あ、書ける範囲で大丈夫です。」
話し方も特に仰々しい訳ではない。霊媒師としての威厳的な雰囲気もからきしなく、かといってニコニコと笑いかけながらこちらの様子を伺いつつ話を持ちかけてくるような営業顔の人でもなかった。ゆっくりと話して語尾がたまに伸びるところなんかは、むしろかわいく思えた。
「あ、すいません、今住んでいるマンションの住所覚えていなくて。引っ越したばかりなんですよ。」
「あ、はーい、大丈夫ですー、書ける範囲で。」
見た目、話し方、お宅、全てが一見はふつうなのだけれど、やはりふつうとは違った。どこがどう違うとは言い難いのだけれど、単語で表すなら雰囲気というのが近いと思う。占いの諸々をそれなりに学んだからこういう事をしている訳ではなくて、生まれつき霊界に近くて、ふつうの人にはみえないものがみえる性質の人。
こういう人って統計学で占う訳ではないのだろうから、あくまでカウンセリングの定式として、変に思われないようにとりあえず情報を書いてもらっているだけじゃないのかな、などと思いながら自分の名前と生年月日を綴っていた。
母のカウンセリングの際、わたしの写真を見ただけで悪霊が憑いている事を解った人なのだ。名前やら生年月日やらを紙に書いたところでどんな意味があるというのだろう。霊能力の無い至ってふつうの人間の見解は、こんなところだろうと思う。それ以上もそれ以下も、この時点では測れなかった。
「えっとですね、ミチルさんには今、生霊がふたり、憑いているんです。」
カウンセリングはいきなりはじまった。
「え、生霊ですか? しかも、ふたりもですか?」
「はい。悪霊の方とは関係がなく、生霊なのであくまで現在生きている、存在している人の霊です。生霊と言っても、このふたりの場合は良い意味の生霊になるので大丈夫ですー。おふたりとも、ミチルさんの肩にそっと手を添えて見守っているような、そんな具合です」
肩にそっと手を添えて、と聞いておもわず身震いしつつ自身の肩近辺を触ってみたけれど、どうしたって、何も見えないし手ごたえもない。
「誰なんですか?」
生霊がふたりと聞いて、瞬時には消息不明の父、それと半年前まで共に住んでいた元彼の事だろうかと思った。父とはもう何年も連絡をとっておらず、というか生きているのかも解らない。三年程同棲をしていた元彼とは最後に酷いケンカをして別れたので、ぱっと浮かんだのはこのふたりだった。
世の中でいう生霊のイメージとしては、大抵は恨み辛みや歪んだ未練など、何か毒々しいパワーからくる怨霊みたいなものだと思う。生霊イコール怨念という、それが一般的な考えだからこそ、このふたりが漠然と浮かんだのだけれど、全く違った。
「えーと。おふたりとも、だいたい同じ時期に生霊となって憑かれたみたいですねえー……。うーん、半年くらい前です。右の方は、今のお仕事をするきっかけになった方ですー。背が高くて、髪色は明るいです。年齢はミチルさんと同じくらいか、少し歳下かも知れませんねえ。ダウンベストみたいなの着てます。それと、煙草を吸います。」
「?」
はてな、という記号が生活上こんなにしっくりとくる事もあるのだ。Aさんは、わたしの右肩上あたりを見ながらつらつらと話すのだけれど、勿論わたしには何も見えない。じわじわ、じわじわとくるその不可思議を噛み締めた。
一ヶ月ほど前に転職をしたばかりだったので、きっかけの人物といえばその仕事を紹介してくれた男性の事かと思った。けれど、その人の背は高く年齢もそのくらいだとしても髪色は決して明るくない。ダウンベストを着ていたかは覚えていないけれど、ダウンベストくらい誰でも着ていそうだ。それと、煙草は吸わなそうな人物だった。煙草でいえば、元彼はヘビースモーカーだったし背も高いのだが、年中スキンヘッドなので髪色を語れる頭をしていない。それに歳上だ。どうしたって当てはまらない。
「えーーーっと……。思い当たるようで全く思い当たらないというか、何というか。ちなみに、元彼ではないですよね? この人なんですけど」
一応、スマートフォン内の過去のフォト画像を見せた。
「あ、違いますうー。ああー、この方とても相性が良いですよー! 今でもミチルさんの幸せを願っています。でも、この方から復縁を持ちかけてくる事は無いみたいです。」
ほんとうに、どこをどうすればそんな事柄がみえるのか。しかし説明を求めたところで解り得ない事くらい解っている。
「ミチルさんとこの元彼さん、前世でご夫婦だったんですー。お子さんはいなかったけどとても仲が良くて。元彼さんは今世でも一緒になりたかったみたいですねえ。復縁、考えてないんですか?」
ケンカ別れした時もその後の暮らし上でも一切泣かなかったのに、前世で夫婦だったと聞いて涙が出た。何故かそこだけに、ポロリと泣いた。
「いえ。今わたしは付き合っている人がいますし、元に戻りたいとは思ってません。ケンカも一度だけではなくて、しかもケンカをするとすぐ家を出ていっちゃうんですよ。しばらく帰ってこなくて、その間ずっと音信不通で、凄く疲れちゃったんです。その繰り返しになる事が解ったので、復縁は全く考えてません」
「そうですかあー。あの、この方はやさしい方です。人の幸せを願える人です。でも口下手で、上手く謝ったりはできなくて、ミチルさんに出ていかれる前に自分が出ていく事で別れる事を防いでいたのでしょうけど、ケンカして出ていくのはミチルさんを傷つけないためもあったみたいですねえ……。かっとなると、力に出てしまう方ですよね?」
元彼の学生時代のケンカ沙汰話は聞いた事があったし、おそらくそういう性質はあると思う。最後のケンカでは、わたしが平手打ちをしたら柔道技をかけられた。でもそれが最初で最後の暴力だったし、あの時手を先に出したのはわたしだ。わたしだって、人なんてはじめてた叩いたけれど。
「元来、やさしい奴なんだとは思いますよ。でもかなり口下手ですし、また口がほんとうに悪いんですよ。ロングヘアが好きなのか髪切ったら怒られるし、パーマはきらいみたいで却下されてました。自分は万年坊主頭なのに。向こうの意見が通らないと不機嫌になるところとか一緒にいるとストレスになるし、相性が良いとは思えないんですけどねえ。だから、わたしではなくて、もっと相性の良い女の人を見つけて幸せになって欲しいとは、思ってます。」
「ええっと。相性は、すごく良いみたいですうー。ミチルさんもほんとうは解ってるんだと思いますが、相性ってそういう事ではないんです。まあとにかく、元彼さんにとってミチルさん以上の人はもう現れません。かといって復縁を求めてくるような事はしない方なので、もし元彼さんのご様子が気になるようだったら、お友達としてお付き合いしても良いのかと。」
何の根拠も無いお話なのに、ものすごく納得させられてしまう。感嘆のため息すら出てしまった。
「えーとそれで、生霊のお話に戻りますね。左の方なんですけど。えー、三十代後半くらいにみえます。髪型は、ツーブロックっていうんですかねえ……キャメルっぽい色の服、着てます。神経質そうというか気難しそうというか頑固そうというか、そういう表情される方ですねえー。腕を組む癖があります。腕を組む癖というのは、足を組む癖もあるという事です。あ、コンタクトレンズ入ってますかねー、目がクリアではないので」
「…………。」
「この方、おしゃれさんですよ。そして着る服をものすごく真剣に考えるみたいです。TPOをとても気にされて、よーく考えます。髭は、生やしたり生やさなかったり、しますかねえ」
右の生霊は解り辛かったけど、逆にここまで解り易いというのもこわいくらいだった。というか一体全体何をどうしたらそんな事が見えるのだろう、とやはり感想はそればかりである。
「生霊というのは、相手から発されているパワーみたいなものなので、さっきも言いましたがこの場合は良い生霊さんなので、祓わなくて大丈夫ですー。でも悪霊の方は、祓っておいた方が、良いと思います……。」
お祓いには三千円。カウンセリング料金はその人次第で決める、要は幾らでも良いですよ、というのがAさんのカウンセリングスタイルらしかった。でも勿論、お祓いだって強制するものではない。あくまで決めるのはセラピー相手で、Aさんが金銭目的でカウンセラーをしている訳ではない事くらいは解る。
「お母さんから聞いてらっしゃるかと思いますが、お母さんのご実家⋯⋯今現在、祖父母様が住んでいらっしゃる土地は汚れ地といって、昔人殺しがあった土地なんです。その霊が、ええー……ご両親の離婚後、こちらに引っ越されてからずっとミチルさんに憑いてます。」
十三歳の時に母の故郷に越してきた。つまるところは、約二十年もの間、悪霊と連れ添っているという事になるのだ。
「だいぶ長い事、憑いてしまっているので、とても大きな存在になっちゃってます。これまで不幸な事、多かったですよね? 引っ越されてから」
わたしは、自分を不幸だと思って生きていた事はない。基本的にネガティブではないのだ。
でも確かに両親の離婚後あたりから、何だかよく解らないけれど自分でも訳の解らない自分になっているなあ、わたしの生きる世界ってこんな感じだったかなあ、と感じる事は多々あった。しかしそれはあくまで人が子供から大人になるにあたっての成長過程の現象に過ぎない、誰にでも起こり得る事柄なのだろう、くらいに思うようになっていた。不思議があたりまえになると、それはもう不思議ではなくなるのだ。
その他、これまでの自分の事や謎の生霊についてをもう少し、それと離婚してからの父の事などを聞いてから、納得のいったところで除霊をお願いした。簡易ベッドに横たわり、1メートルくらいの重たい棒を握りながら目を瞑っているうちに除霊は済んだようだった。除霊自体は、体感三分ほどだったろうか。除霊をした事によりこれから変わってゆく諸々を、この三分で手に入れたと思うと短すぎる時間だった。
☆
「白昼夢かと思ったわよ。ふつうに考えたらあり得ない事柄がこちらにお構いなく矢継ぎ早にやってきて、でもなんだかんだ上手い事目が覚めるから結果オーライ、みたいな。終わってからあれは何だったんだろうなんて考えても、夢だったんだから何でもありなんだって思うしか納得のいかない受け答えが現実で起きたというか、何というか。」
翌日の晩、Aさんとのカウンセリングに関してを現在の同棲相手、アキに興奮しながら話した。
「俺はその場にいてやりとりを聞いた訳じゃないから何とも言えないところもあるけど、まさかなあ〜。でも、左の生霊の特徴はどう考えても……。」
「ね、まさか、アキが生霊になっているとはね!」
自身の恋人が生霊となって憑いている事を知りながら共に暮らすカップルがこの世にどのくらいいるのかは知らないし、こういうのは知らない方が良い事柄なのかも知れないけれど、わたしは知れて良かったと思っていた。
Aさんは良い意味の生霊と言っていたのだし、霊とはいえども恋人の生霊がいつも傍らにいてくれるなんて心強い、この上ない愛情の証ではないか! とすら思えるわたしは楽観的過ぎたのだろうか。
憑依の経験があろうと自分自身は霊視ができる訳ではないのだから生霊が傍らにいようと何の違和感もなく過ごせるだろう、と安易に考えていた。まさか今後、アキの生霊、その他諸々まで視える時がくるなんていう事は、まさに想像に余りある奇想である。