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「世界」に恋した男と、その男に恋した「世界」の壮大すぎるラブストーリー
つまりバイオーグトリニティってこういう話でしょ?
主人公が恋したのはそのままの意味で世界そのものだった。その恋のために世界は壊れ、バイオバグやブラックコーカソイドとかわけわかんないのがいっぱい出て来ちゃって、話がややこしくなる。
俺ははっきり言って、筋金入りの舞城王太郎ファンだ。どれくらいファンかというと舞城王太郎の一般的に入手可能な本は全部読んだ。本当に、全部だ。
だから俺は舞城王太郎がこの作品で自分の言いたいことを盛りに盛ってんなってわかったし、調布の神が出て来たところでは爆笑してしまった。
作中にも出てくる「愛は祈りだ」という言葉。これは愛と祈りの作家である舞城王太郎が過去に書いて来たテーマだ。祈りや物語など、強い意志は世界に影響を与えうる、ということを様々な作品で言っている。
今回、このバイオーグトリニティでは主人公が恋したのは榎本芙三歩という女の子で、彼女は文字通り、本当に世界そのものなのだ。そして恋愛は人の心をたやすく変えてしまうので、世界は主人公の愛によって滅茶苦茶になってそれを解決するためにみんなで走り回るのがこの物語だ。
いつもの舞城テーマだが、今回はそのままの意味で、愛することが、直接世界を狂わせてしまうという構造になっていて本当に壮大すぎてなんて傍迷惑な話だ、というのが俺の感想だ。結局こいつらの恋愛に巻き込まれただけじゃねーか!と俺はホサやキワと一緒にこの宇宙規模のバカップルに飛び蹴りしてやりたいくらいだった。
……全く、なんて奴らだ。と俺は思った。こんな話があっていいのか。でも、芙三歩が世界そのものなのだから仕方がない。
………いや、仕方なくないだろ。ふざけるのもいい加減にしろ。一人の男のために世界をやり直すわ、男は男で「魂」と「肉体」を穴に取り込んで世界を裏返しにするわで意味が分かんない。もう恋愛の次元が違う。もはや恋愛とは何かを考えさせられるほどだ。お前らもっとまともな恋愛しろよ、と俺は思う。
だけどそれと同時に、まあそういうものか、とも思う自分もいるのも確かだった。
それは俺が筋金入りの舞城王太郎ファンだからだ。俺は舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる」の最後の一文を思い出す。
「愛し過ぎるというのはそういうことなのだ。そしてそれくらいで、人を愛するにはちょうどなのだ。」
つまりこういうことだ。
結局は愛なんだよなあ。
あ、舞城先生は早く新作出してください。
以上。