生きて

昨今、芸能人の自殺が後を絶たない。どうして、、成功者に見えていたのに、、と何も知らない自分は思ってしまう。

『暗い場所よりも明るい場所の方が影ははっきりとしている。』
勝手な想像で話するのは失礼極まりないが、やっぱり人間だからどこかで悩みはあったんだろうなと。

死んでしまってはもう何も伝えることはできない。でも人間っておかしなもので人の死から学ぶこともある。自殺は悪い行為でいけないことだとされている日本だが、実は自分も自殺未遂をしたことがある。。。

「生きててくれてありがとう」
これは助かった、助かってしまった自分に友達が言ってくれた言葉だ。

色々あり、社会に貢献することができなくなり、自分なんかが生きててごめんなさいと思ってしまったら、そこから気持ちは落ちてくばかりで、思い返せば生きていて良かったなんて思ったこともなかった気がして。
このまま社会のゴミとして扱われるくらいならその前にこの世界から居なくなりたかった。

5人家族。誰よりも先に旅立つ自分の遺品整理を母や兄弟がしているところなんて想像したくない。なんて綺麗事だよなと思いつつ、親不孝の自分にできることはできるだけ自室を空っぽにすることだった。

1つまた1つゴミ袋に無心でぶち込む。ゴミ置き場まで3往復。全部捨てきれなかったのはまだ心の何処かで生きたいと願っていたからなのかと今となっては思ったり。

よし、悔いはない。今までで一番死に近い瞬間に思ったことは
『生きていて楽しかった。ありがとう。』
だった。涙を流しながら遺書を書いた。

痛いのが嫌いな自分が起てた計画は、薬を大量摂取し、嘔吐する前に縄に首をかけ、窒息死する。想像で何度も練習した。完璧だった。

プチっプチっと計130錠床に並べ、1錠、10錠、30錠、50錠、、、無我夢中で口の中に放り込む。口の中にへばりついて気分が悪くなるが、こんな少ない量じゃ足りない。もっともっとって1錠も残さず飲み込んだ。

「あれ、何ともなんないじゃん。足りなかったのかな。失敗かな。」
多分そんなことを考えてた。

ふと目が覚めると、意識は朦朧としているが右手には包丁を握っていた。また意識が飛ぶ。

また目が覚めた。意識は朦朧としているがなぜか玄関にいた。戻ろうとたった瞬間また意識が飛ぶ。

また目が覚めた。意識は朦朧としているがさっきのことは覚えてた。まだ玄関か。戻ろうと立った瞬間また意識が飛ぶ。

それを何度も繰り返し、その度に後頭部から倒れ、少し意識が安定した頃には頭はでこぼこ。周りは嘔吐物の海。空き巣が入ったのかと思うほどに荒れ果てた部屋。包丁、、、左胸には本当に浅いが数十か所の刺し傷。

自分で書いた遺書の日付は8.28。スマホ画面には8.30の文字。約2日間。生死をさまよったが助かったようだ。助かってしまったようだ。ついさっきまで死を望んでいたのに、苦しくなり周りに助けを求めた。

病院に行き、自殺しようとしたのにできなかった。と言うのが情けなかった。1時間の点滴。死を誰よりも望んでた自分はどこに行ったのやら、周りの人に心配をかけまくって生きるための治療を受けた。腎臓がやられてしまってると伝えられたが、これ以降病院には行っていないので今はどうか分からない。これだけではない。あの薬の感覚が新鮮に残っていて1ヶ月立った今も薬を飲むことができない。胸の傷もくっきりと残っている。記憶が曖昧で何か思い出そうとすると脳みそがキュってなる。時間の感覚がおかしくなり、たったの15分ですら1時間に感じてしまい、今は1日が30時間以上あるのではと思うほどとても長く感じる。死にきれなかった自分には沢山の後遺症が残った。

そして、家族をとっても悲しませてしまうことになり、心から笑い合えることができず、大きな大きな溝ができたように感じる。

死ぬって1人だけじゃない。正直、友達のいない自分が死んだって悲しむのはせいぜい家族だけだろうと思ってた。でも違った。自分よりも悲しんで苦しむ人がいた。それを見るのは死に近い瞬間よりも辛く苦しく、それなのに一生背負うこととなる。

死なないで。死ぬのはやめて。とは言わない。と言うか言えない。
だけど、生きて。

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