交わらない思いを抱えながら後悔する日曜日
苦しい
日曜日、遅く起きた私が本当はする事があった。忙しく過ぎていった平日が終わり休みの土日には存分にしたかった事。朝から晩までスマホに並ぶ文字を読み漁りたかった。できたのはたった数時間。大好きで大切な人たちが紡ぎ出す言葉達。私は読めずにいた。
どうして読めないのか分からない。
私には何か欠けているものがあるのか?
大事に思っている人の文章ほど目をそらしてしまう。この感情の扱い方を私は未だに分からずにいた。今患っている病気だけではない。これまで生きてきた中で育った環境、培った経験、傷ついた体験全てが私を作っている。当たり前なんだけどそうじゃない。そんな自分がする行動。
どうして大事な人を大切にできないのか?
今までいつもそうだった。好意を持つ人ほど話しかけなかったり、意地悪な行動を取ってしまう。捻くれた感情、そして私から離れていくのだ。いつも後悔していた。
なんであの時優しくできなかったのか
素直になれなかったのかと。
そして同じことを繰り返す。手に入れたいのに自分からはその手を握ることすらできない。相手から握ってくれるのを待っているしかない。
♢
私はこのnoteの中でネガティブな感情を吐き出す事が多い。それは、分かっているつもりの自分を客観的に捉えるため、理解するためだと思う。自分の気持ちなのに半分以上分からない。今まで俯瞰して見れなかったから。
苦しくなったり、悲しくなったり喜怒哀楽で言えば"哀"の感情が強い私。すぐに感情に支配される。傷つく事を恐れるがあまり他人と深く関わることにブレーキがかかる。
もっと仲良くなりたい
もっと深い関係になりたいと同じくらい
相手はそう思っていなかったらどうしよう、また傷ついてしまうと考える。
どこまでも自分を守りたいがために踏み込めない。
だから正直な気持ちを伝えられないんだ。
貴方の大切な思いに触れてしまえばもっと好きになってしまう、近づきたいと思ってしまう。だから読めない。
でも読みたい。
この気持ちわかってもらえるかな?
本当はすぐにでも思いに触れたい。あなたを分かりたい。外面ではよみずらいと思うけど気持ちがある分反対のことをしてしまうんだ。
好きなものを好きという
私にはなかなかできない事
本当に苦しい
あなたと思いを通わせられない事が
子供のような無垢な心で大切な人たちの文章を読みたいのに
不器用だね