いつも私の小さな手を握っててほしかった
お金がある生活ってどんなんだろう?未だにわからない。
きっと不自由しない生活なんだろうなと想像できる。寝れる家があって、毎日ご飯が食べれる生活ではあったけど決して裕福ではない家庭に生まれた。
私は小学生になるまで毎日夕方になると身なりを綺麗にした母親と一緒にある所に連れていかれる。
電車に乗って、乗り換えていつもと同じ道。私は座席に膝立ちして変わりゆく景色を見るのが好きだった。いつも忙しい母と一緒に居られる時間がなりより嬉しかったから。
普段よりテンションが上がっている私に「静かにしなさい」と小声で注意する。それでも"構ってもらえてる"と満たされた気分でいた。
電車から降りて、小さな路地に向かった。そこは母の職場。私の手を引いていたその手から母より20くらい上の女性に握る手は変わった。
母の仕事が終わるまで待っている時間は苦痛な時間。母がいなくなるとその女性はすぐに私たちをベッドに連れていき「早く寝なさい」と部屋を暗くした。起きてしゃべるようもんなら絶叫のように怒鳴られていた。母がいるときにはまるで違う表情で私に話しかけるその人。私はこの人が嫌いだった。この時から表裏が激しい人は苦手になったのかもしれない。
仕事が終わり迎えに来た母はいつも酔っぱらっていて、我が子を見ると「迎えに来たよ」と頬ずりをしてきた。帰り道お酒の匂いと混じりながら嘔吐を繰り返す母を子供ながらに蔑んだ目で見ていた自分。
”私はこんな大人にはなりたくない”と。
両親はいい意味でどこまでも私の反面教師だった。
「お母さん、何にも出来なくてごめんね」
私が高校生の時も、専門学校に行っていた時にも言われた。金銭的な援助ができないことを後ろめたく思う母。離婚してから3人の子供を女で1人で育ててくれただけでも感謝しているのにそんなこと言わないでとそのころの私は鬱陶しささえ感じていた。被害者目線で語ってほしくない、全部自分で決めたことでしょ?
「オヤジと結婚しなかったらお母さんはもっと幸せになっていたかもしれない。なりたかった美容師になって今頃は自分の店を持っていたかもね」
いつも後悔をしていた。今更嘆いたってやり直せるはずもないのに。私は絶対に男で自分の人生を棒に振るようなことをしたくはない、その意地だけで資格を取った。母みたいに後悔を語る人生にはしたくなかったんだ。
「あいちゃんにも子供を持ってほしい、40までには作らないと大変よ」
お母さんごめんね、多分子供は持たないと思う。私は子供を持ってお母さんのようになるんじゃないか怖いんだ。自分と同じような思いを我が子にはさせたくない、だからどうしても踏み出せない。母に孫を見せることが親孝行ならどこまでも親不孝な娘だね、私は。
同級生や周りの人も当たり前のように子供を身ごもり母親になっていく。完璧な母親なんていない、誰でも手探りの中で必死に育てていると言う人もいるかもしれない。でも私はどうしても1人の人間を育てるということを重荷に感じてならない。今よりもきっと何倍もの幸せが待っている、それと同じくらいの大変さがある。
母親になって貧乏になるくらいなら。もう不幸になる子どもの姿を見たくはない。
いつか母親になる私を心待ちにしている。ごめんね、想像している将来は多分来ない。女に生まれてする役割を私は放棄した。
子どもを持たない選択をまだ母には言えていない。話したらきっと自分を責めるだろうから。
私は「母親にならない」という選択をした。多くの人には理解しがたい選択だろう。
しかし、生まれてくる子は親を選ぶ事は出来ない。どんなに貧乏でもどんなに非常識な環境だとしても…。
私はお金のことで両親が喧嘩をしている姿をよく見ていた。そのせいか殴り合ったり攻撃をするスポーツや戦争などの映像は見れなくなった。子供は親がいないと生きていけないからついていくしかない。私と同じような思いを子供には経験して欲しくない、そう思うのはいけないことなのだろうか?
昨今、少子化の問題は日に日に深刻化している。1つの家庭で3人以上の子供を産まなければ少子化対策にはならないそう。社会は結婚しているのに子作りしない夫婦に後ろ指を立てる。
それでも私は深く考えるんだ。
自分がいい母親になれるのだろうか
自分と同じ思いを我が子にもさせてしまうんじゃないかと。
子供を持たない選択
してはいけない選択
幸せって難しい。