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言葉には表と裏がある


昨日、言葉は元気づけることもできるし、逆に傷つけてしまうこともある。できれば優しい言葉を使っていきたいというNOTEを書いた。



それは会話の中でもそうだし、このNOTEでの伝える言葉もそうだろう。できる限り極端な意見を主張しないようにしてはいるけど、やはり主観が入ってしまう。わたしの少ない語彙力では表現することは限られてくるから、もっと文章力をつけないとと考えるばかり。NOTEを投稿するのは当然だけど、他の方の文章を読むのも楽しい。投稿後は日課のようにNOTEの中を漂っている。そうすると反論をしつつもとがっていない文章に出会うことがある。読むとその人の文章力に圧倒される。わたしも主張をしつつも特定の人を傷つけない文章を書けるように成長しようと小さな誓いをした。


今日はそういうことを書きたいのではない。文字や文章、言葉そのどれも誰にも傷つけないということはできないのではないだろうか。誰も傷つけないって本当に抽象的なもののように感じる。そこには自分もないし、思いもない。そういう言葉には誰の心にも響かない。響かない言葉は今、相手が欲しいと思う言葉ではないということなのだ。多かれ少なかれ「この人わたしのこと何にもわかってくれない」と感じさせ、結果傷つける言葉になってしまう。回りくどく言ってきたけど、ある程度極端に的を絞って伝えないと相手に届かないということになる。誰にでも当てはまる言葉、気休めの言葉は優しいと感じるけど本当は傷を大きくする材料になってしまうことだってあるのではないだろうか。

的を絞った言葉にはある程度の人には支持されるし、共感を得られるのだけれど、少数は傷ついたり否定的な反応になる人もいる。傷つけないとは表裏一体である人には元気づけるものになり、ある人にはナイフにもなってしまう。TwitterなどのSNSでも炎上するのは批判的なコメントが多くなり収集がつかなくなることでそうゆう視点で見ると自分の発する言葉には責任を持っていかないといけないと感じる。

とにもかくにも文章を書くということは1つの表現でしかないし、1つのコミュニケーションである。わたしも熱い思いをそのまま文章に表して、反対の主張も想定しながら投稿しないといけないなぁと思う。


昨日のNOTEにも書いた通り、先入観を気づかずに持ってしまうことはしてはいけない。でも、自分なりの理論づけができる文章を書くことが重要ではないだろうか。小さいころから作文や手紙など文章に携わってきた。身近にある簡単に思いを伝えられる手段。だけどとても奥の深いものだなと改めて感じる。そういう文章で誰かに柔らかく伝えられたらいいなと思う。批判的な意見もそのまま受け止めて自分のものにできればと思う。どっちにしてもわたしの言葉で反応してくれた人たちに感謝を伝えたい。


毎日投稿をはじめて今日で45日目、最初の文章よりも少しだけ気持ちを素直にのせられるようになった。でもまだまだ未熟だ、少しでも多くの文章を書き、文章に触れてもっともっと伝える・読まれる文章を追求していきたい。


このNOTEを今読んでいるあなたに伝えていきたい。





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あいかも
最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!