ブラジル留学日記06「桁が違った」
サンパウロに着いてから毎日あっという間に過ぎていく。
今日は渡伯前に掲げた目標達成に向けて、一歩進もうと決めていた。
それは「ポルトガル語を勉強する」ということ。
ブラジル音楽を知るためには、少しでも言葉を覚えて帰らなければならない。
着いてからというもの、友人のお世話になってばかり。
この日の朝も、滞在先(教会)の徳弘先生にSIMカードの購入を手伝ってもらった。
徳弘先生は機械に強く、教会に集まる高齢者やポルトガル語がわからない短期滞在者のためにスマートフォンの設定などもされていた。
昼過ぎ、今西さんと待ち合わせした。
今西さんが通っている外国人向けの語学学校に連れて行ってもらうのだ。
2回目のメトロで躊躇なく改札をくぐり、ブリガデイロ駅に降り立った。
この駅は南米で最も有名な通りの1つ、パウリスタ大通りに面しており、日本国領事館、JICA、国際交流基金や日本企業なども、このパウリスタ大通り付近に集中している。
語学学校と約束した時間よりも早く着いたため、近くのカフェに入ることにした。
フランス・カフェ(Fran's Café)は都市部にあるチェーン店。
落ち着いた雰囲気で、私的には日本の喫茶店ルノアールのような感じ。
というのも、値段が高いのだ。
特別なメニューがあるわけではないが、(当時は*)ふわふわのカフェラテを飲みたい時か、他に選択肢がない時だけ行くことにしている。
*最近、サンパウロはカフェが急増して、至る所でラテが飲める
時間になったので、ビルの高層階にある語学学校へ向かう。
ビルの隣はまたビルで、私が想像していたブラジルとは異なる風景だった。
スーツ姿で早歩きする人々を横目に、キャミソールに短パンの私は居心地が悪い。ビルの中は驚くほど冷房が効いて寒かった。
受付前にある椅子に座って待つ。
すぐに40代ぐらいの黒髪の女性がファイルを持ってやってきた。
流暢な日本語で、コースの説明を受ける。
コースの内容は良いに違いない。
それよりも気になっていたのは金額だった。
ブラジルのお店や学校は、現場に行って直接話を聞くまで金額がわからないことが多い。だからこうしてわざわざやってきたのである。
ようやく金額のページが現れた。
この表記は…
日本円なのか?
ブラジルレアルなのか、まさかドルなのか?
レッスン1回の値段なのか、1ヶ月なのか3ヶ月なのか。
桁が違う??
表記が不明瞭でクラっとした。
ちなみにブラジルと日本では金額の「.」の表記が異なる。
例)
ブラジルレアル R$ 2.000,25 →2千レアルと25センターボ
日本円 2,000円
想像以上の金額だったことしか覚えていない。
残念ながら、語学学校進学はすぐに諦めた。
ここの先生は評判が良いが、やはり価格はそれなりだった。
夜は初めて一人でタクシーに乗ってJazz Bというお店に行った。
(当時)サンパウロで活動していたピアニストの田中真希子さんに日本から荷物を頼まれていたので、届けるついでに彼女が出演するショーを観ることにした。
単独行動は初めて。
心配でかなり早く着いたので、目の前の特等席を確保し鑑賞。
でも正直帰りの事が心配で仕方がなかった。
帰りもタクシーで帰ろうと思ったが、なかなかみつからない(当時はまだ配車アプリなどなかったのだ)。
真希子さんがサックス奏者のセーザル(写真上の赤いシャツを着た男性)にお願いし、セーザルに送ってもらうことになった。
ポルトガル語が全く喋れず、見ず知らずの私を家まで送ることをセーザルは嫌な顔せず引き受けてくれた。
ブラジルでは女性の友人を一人で帰らせないように、周りが配慮してくれる聞かされた。
教会に着いた時、なんとお礼をして良いかわからず、「エスペーラ、ポーコ!」(ちょっと待って)と言い、部屋に駆け込み、日本からプレゼント用に用意していた紺色に染められた和柄の手ぬぐいを彼にプレゼントした。
ポルトガル語ができない自分に不安と苛立ちを感じた1日だった。
(余談)
このセーザルは、のちに私が進学/卒業するタトゥイ音楽院の先輩であった。再会した際は、私もポルトガル語で意思疎通ができるようになっていて、この日の事をもう一度お礼した。私があげた和柄手ぬぐいを気に入ってくれたようで、自宅で楽器を置くときのマットとして使ってくれているようだ。
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