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【自己紹介】はじめまして!私はこんな人です。

はじめまして!島田愛加と申します。
2014年から日本の反対側ブラジルで暮らしています。

最初の投稿なので、自己紹介を兼ねて、私について少しお話させていただこうと思います。

1984年、東京都青梅市生まれ。
父の転勤で幼少期は茨城県古河市で過ごしました。
小学校高学年の頃に通っていた音楽院にアンサンブルクラスがあり、そこでボサノヴァの有名曲「イパネマの娘」に出会います。
その時に担当していた楽器はドラム。ボサノヴァのリズムが好きになりますが、当時はインターネットもない時代。「The girl from Ipanema」という英語から勝手に米国の音楽だと思っていました。

中学生になり、運動が全くダメな私は迷うことなく吹奏楽部に入部。
アルトサックスを始めます。

高校は吹奏楽強豪校の埼玉栄高校へ。
吹奏楽の甲子園といわれる普門館で行われた全国大会で金賞2回、アンサンブルコンテスト全国大会で銅賞、演奏旅行でハワイやフロリダに行くことも出来ました。

その流れで武蔵野音楽大学へ。
クラシックを勉強しますが、心のどこかでいつもポピュラー音楽がやりたいと思っていました。

ある日、 友人から「ボサノヴァベスト50曲」というコンピレーションアルバムを借り「イパネマの娘」と再会。ブラジルの音楽だということをしります。

|ボサノヴァ、そしてブラジル音楽

演奏家になってボサノヴァを演奏したいという夢を抱きながらも、現実を考え就職を選びました。今思い返せば、音大入学時「教師になる」と両親に言っていたのに、それを成し遂げられなかったことが引っかかっていたのだと思います。

そんな思いで受けた自衛隊の音楽隊に合格し入隊。
運動が全くダメですし(音楽隊も訓練有)、組織に属するのが向いていなくて精神的に辛くなり退職。

退職して数ヶ月後、埼玉のショッピングモールにある某楽器屋さんでインストラクターとして働くようになりました。
お給料で自分のパソコンを購入し、インターネットでボサノヴァについて検索をはじめます。

ブラジル音楽好きの仲間が欲しいと思い、ネットで探した西荻窪にあるブラジル・コミュニティAparecida(アパレシーダ)へ。

ボサノヴァが流れる店内を想像し、緊張の中、ドアをあけたら…
聴いたこともないような最新ブラジル・ポップスが流れており、唖然。

店主のウィリーさんは「もう現地でボサノヴァは流れていませんよ」と教えてくれ、ますますブラジルに行ってみたくなりました。
今思えば、私の運命が変わったのはこの日だったと思います。

初のブラジル、コパカバーナにて。強盗を恐れてスーパーの袋でウロウロ。笑

翌年の2010年、アパレシーダが開催するブラジルツアーで初めてブラジル(リオデジャネイロとサンパウロ)へ。

いろんな人種が入り混じり、まったくしらない音楽が流れていました。

ブラジル音楽を知るにはブラジルをしらなきゃダメだ!
ご飯が美味しいから心配ない!!
と、帰国してすぐに短期留学のための貯金をはじめました。
また、この頃から東京のブラジル関連イベント(演奏)にも出演するようになります。

|2014年、30歳で念願の単身渡伯

4年後、ようやく短期留学が叶いました。

観光ビザで滞在できるのは6ヶ月間。
2014年2月から、サンパウロとリオデジャネイロにて楽器の個人レッスン、コンサートやライブを堪能する予定でした。

サンパウロに到着して数日後、日本人ギタリスト金田聖治さんに出会います。
彼はブラジルで最も歴史が古く、南米最大規模の音楽院であるサンパウロ州立タトゥイ音楽院のMPB(ブラジルポピュラー音楽音楽)/ジャズ科の生徒でした。

早速、見学に連れて行ってもらうと、学校では至る所からブラジル音楽が…。
夢のような世界!!
更には州立なので学費もかかりません。
興奮してこの日は眠れませんでした。笑

ここで勉強したいと考え始めますが、その年はブラジルでワールドカップが開催されていたため、試験日が延期。帰国日を変更しても、私の観光ビザの期限が切れてしまうので断念せざるを得ませんでした。

すると急遽、生徒を補充するための中途入学試験が開催されることになったのです!!
これは運命だと思い、すぐにエントリー。
当時ポルトガル語が殆どできませんでしたが、実技試験のみだったため合格することができました(音大卒業していたおかげです)。

音楽院の入学許可書。嬉しくてバスの中でひとり静かに泣きました。。😭

晴れて音楽院の生徒になりましたが、両親は大反対。

また、当初は短期留学の予定だったので、音楽院を卒業するまで滞在できるほどの生活費を賄える貯金がありませんでした。
それでも「やれるところまでやろう」と思い、音楽院のあるサンパウロ州の田舎町タトゥイで下宿をはじめます。

ポルトガル語ができず、下宿所と音楽院の往復。
授業を全て録音し、帰宅後にわからない単語を辞書で調べる毎日でした。

そんな生活を半年。
全く日本語を話さずに頑張った甲斐もあり、ようやく意思疎通ができる程度になりました。放課後に一緒に出掛けられるような友人ができはじめます(ここから一気にポルトガル語を覚えました)。

ある日、友人の家でコーヒーを飲んでいると、奨学金オーディションを受けるようにすすめられます。

オーディションに合格すれば、音楽院専属のオーケストラやグループで演奏活動をする代わりにサンパウロ州からお金をもらえます。
タトゥイ音楽院の学費は無料ですので、生活費がもらえるということです。

友人に手伝ってもらい、ジャズコンボという音楽院の中でも非常に実験的で斬新なグループにエントリーしました。

私の名前はAで始まるため、オーディションでは一番最初に呼ばれ、緊張しながらもあっという間に終わったことを今でも覚えています。

そして、またもやミラクルが起こります。
奨学金のオーディションに合格し、晴れてジャズコンボのメンバーになることができたのです!!

合格後は、先生や同士と共にサンパウロ州各地を演奏して回りました。

2015年ジャズコンボのコンサート、サンパウロにて🎷

その後、毎年行われるオーディションに合格し続け、2019年12月に音楽院のMPB/Jazz科を卒業することができました。

音楽院では、ブラジル音楽のリズムや即興、歴史、アレンジ、和声、アンサンブルなどを学びました。日本の音楽教育とは異なる所が多くてびっくり(いつかnoteにまとめます)。
放課後も仲間とリハーサルしたり、イベントをしたり、踊ったり歌ったり、24時間音楽漬けの日々を過ごしました。

音楽院の仲間たち、先生と共に

音楽院のおかげで生涯の友と、尊敬できる恩師に出会えたことは人生の宝物となりました。

|2020年、音楽プロジェクトでペルー共和国へ

タトゥイ音楽院には南米各国から留学生が勉強しにきているため、在学中はブラジルだけでなく、ペルー、アルゼンチン、チリ、ウルグアイ、パラグアイ出身の友人ができました。
彼らから故郷の文化について教えてもらううちに、私の興味関心はブラジルから南米へと拡大してしまいました。

私が音楽院を卒業するタイミングでペルーに帰国する友人に誘われ、2020年1月から5月末まで、ペルーでブラジル音楽を普及するプロジェクトに参加することになりました。

リマのミラ・フローレス地区にある有名ライブハウスCocodrilo Verdeにて

リマの文化センターから招待状をもらい、演奏したり、音楽教室で教えたり、リマのブラジル大使館でブラジル音楽講座をする予定でしたが、3月半ばに新型コロナウイルスによりペルーは緊急事態宣言を発令。
24時間後には国境閉鎖となり、出国できなくなってしまいました。

ペルーにて予定されていた全てのプロジェクトが中止。
演奏とレッスンで生活していた私の収入はゼロとなってしまいました。

プロジェクト中止後も住居を提供してもらえたことと、住んでいたエリアでは食料品が比較的安価で買えたのが不幸中の幸いでした。

|新型コロナが人生の分岐点

パンデミックがこんなに長引くとは思っていなかったのもありますが、できるだけポジティブに考え、外出できない時間を有効的に使うことにしました。

それまで貯めていた資料をまとめたり、本を読んだり、ドキュメンタリー映画を視聴したり。

私の人生はずーっと楽器と一緒。
人前で演奏できないことや、それに加えて収入がゼロになったことで不安で眠れない日もありました。

それから2ヶ月後。
いろいろ考えた末、私がこれまで学んできた
・ブラジルや南米の音楽に関する知識(理論/演奏/背景)
・ポルトガル語(特に音楽用語など)
・現地在住ならではのリアルな情報

を発信しようと決意します。

南米音楽を背景や歴史と共に紹介する『南米音楽365日』(2020年5月~2022年6月)というブログを立ち上げました。
開店休業中の個人ブログはありましたが、ここで本格的に日本向けに発信をするようになりました。

『南米音楽365日』はマニアックなブログでしたが、読んでくださった方々から感想を頂き、これがきっかけでライターとしてのお仕事をいただくようになりました。

ペルー、コンドル飛ぶコルカ渓谷の展望台にて。海抜3000mを越えます😲

2020年11月に商業便が再開し、ようやくブラジルに戻ることができました(実は日本に帰国することも考えましたが、いろいろあってブラジルへ)。

レッスンやレコーディングなどの仕事に復帰することができましたが、これからも書くことを続けようと決心しました。
同時にYoutubeも始めました。

ブラジル、南米は想像以上に大きな国です。
8年住んでいますが、毎日のように新しい発見があります。

まだ伝えられていない文化や才能あふれるアーティストを紹介し、自分の目でみたことを書くことで、新しい情報を提供や、少しでも偏見をなくすように努めるのが私の使命だと思っています。

そんな私の夢は“南米文化のスペシャリスト”になること。

「日本から最も遠い国をもっと身近に感じてもらう」、これが合言葉です。
まだまだ沢山勉強することがありますが、残りの人生、南米文化の研究に捧げたいと思います。

|noteの投稿について

多くの人々に「南米って面白い!」と思っていただけるように、できるだけわかりやすく書くことを心掛けています。
現在考えているテーマはこちら。

・楽曲紹介(サイト南米音楽365日の続き)
・人物、映画、本など南米文化の紹介
・ブラジル生活全般

他に気になるテーマなどがあったらお気軽にコメントくださいね。
もし本文に間違いがありましたらご指摘いただけると幸いです。感想もシェアも大歓迎です。
また、noteでは少し踏み入れた有料記事も書いていく予定です。

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