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【実録レポート】100年の想いが夜空に!ブラジルの日本人移住地に花火があがった日

日本人がブラジルに移住し始めてから116年が経ちました。
今では4世が生まれ、日本語が遠ざかる日系社会ですが、一方で日本文化はブラジルの人々の間で新たな形で発展を続けています。
第一アリアンサ移住地は今でも日本文化が大切にされている土地の一つです。

同移住地は1924年に長野県の信濃海外協会が作ったと言われていますが、ブラジルで発行されている資料を見ると、日本力行会にも深い関わりがあります(のちに第二、第三アリアンサも作られました)。
この移住地の興味深いところは、「ブラジルで一旗揚げて日本へ帰る」と考えていた出稼ぎ移民たちが作った移住地とは少々異なる点です。

アリアンサの入植者は、ある程度の資産を有し、比較的教育程度の高い人が多く、これまでの日本移民のなかでは異色の存在であった。ピアノや多数の蔵書を持ち込んだりする人がいたといわれる。先輩移民からは、銀ブラをするような「文化的生活に耽溺」している人たちが原始的生活に憧れて移住してきたとして、「銀ブラ移民」と揶揄された。

ブラジル移民の100年

つまり、第一アリアンサ移住地は完全なるブラジル移住を目指した土地なのです。
この「文化的生活」というのは、後に第一アリアンサ入植者によって開設されるユバ農場を知るためのキーワードとなっています。
ユバ農場としてしられるコムニダージ・ユバ(ユバ共同体)は、バックパッカーの人たちの間で「ブラジルの日本人村」と親しまれる有名な場所です。

第一アリアンサ移住地はサンパウロ市内から601km(東京から和歌山の最南端まで行ける距離)。
現在は人口1200人(うち日系人は200人)の小さな町です。以降、親しみを込めて「アリアンサ村」と記したいと思います。
大型スーパーマーケットを利用する際は、お隣のミランドーポリスという町へ行くのだそう。

内陸部に位置し、夏はめちゃくちゃ暑いです!

毎年9月には恒例の盆踊り大会が行われており、2000人を越える人々が来場しますが、今年は入植100を記念して更に大規模なイベントとなりました。

これまでの歴史を作り上げてきた地元の皆さんと、JICA青年海外協力隊員として昨年からアリアンサ村で日本語教師をしている赤羽晋治くんが中心になってクラウドファンディングを開催。
見事、金額目標を達成し、記念碑、記念はっぴと手ぬぐい制作の他、なんと村ではじめての打ち上げ花火が上がることになったのです!

私も当日のお手伝いができればと思い、ユバに住む稔子さんに相談したところ「それなら演奏してくれるかな?」と言っていただき、図々しくも櫓(やぐら)に上らせていただくことになりました。

アリアンサの盆踊りは、ブラジル各地で開催される盆踊りの中でも珍しく、地元のメンバーによる生演奏で行われるのです。
事前にリハーサルの音源と楽譜を送っていただき、前日入りして最終リハーサルに参加させていただきました。

|どこか懐かしい!盆踊り当日の様子

熱波の影響で非常に暑い日が続いていましたが、この日は夕方になると少し涼しくなり一安心。
私が宿泊先させてもらったユバ農場でも、屋台の準備から戻った人たちが浴衣や記念はっぴに着替えています(アリアンサ村とユバ農場は車で5分程度の距離)。

私たちは音響チェックのため早めに到着しましたが、もう大勢の人で賑わっていました。
暗くなる前に灯された提灯の光を遠くから見て、子供の頃のお祭りの記憶がよみがえります。なんとも言えないワクワク感です!

遠くに見える櫓は地元の方々が立てたもの

会場はアリアンサ村の野球場。
入植当時から野球が盛んで、今も若い人たちを中心に盛り上がっているそうです。

音響チェックを済ませ、長い演奏時間に耐えられるように食事です。
屋台には美味しそうな日本食がたくさん並んできます。私たちは賄いとして、特製肉うどんを頂きました。具と汁はもちろん、なんと麺も手作りです。

ボリュームたっぷりの肉うどん!美味しかった!

この巨大な「のぼり」も手作り、しかも手書きです!!!
プロジェクターを使って布に文字を映し出し、下書きをしてから丁寧に筆で塗るんだそう。ユバのリエさんが中心になって、みんなで1枚ずつ書いたそうです。

のぼりのポールは天然の竹を使っています
アリアンサ村の日系ファミリーの苗字入り特製のぼり
この巨大な提灯、纏(まとい)、神輿も手作りです
年に一度の盆踊りは子供たちにとっても大イベント!

|生演奏、踊る方も演奏する方も楽しい!

19時過ぎ、会場は超満員。皆さん開始を待ちわびています。
アリアンサ体育協会の会長でイベントのリーダーである弓場的さん(実はこの方が何でも手作りしてしまう人らしい)の挨拶のあと、盆踊りスタートです!

私たちが山形県民謡「花笠音頭」を演奏すると、花笠をもって踊る先頭集団が現れます。その後ろをたくさんの人たちが真似をしながら続くのです。

この美しい民謡の旋律を歌うのは、村の「のど自慢」として有名な庄司さん(今年で82歳)、それをサポートしながら重要な掛け声を担当するのはユバのエミさんと熊本さん。あまりに完璧で、まるでレコードが流れているようです。
はじめて盆踊りに参加した方も、この3人の声に惚れ惚れでした。

その後は
北海道民謡「ソーラン節」
鹿児島県民謡「鹿児島小原節」
福岡県民謡「炭坑節」
盆踊りの定番「東京音頭」
ブラジルで親しまれる「ブラジル桜音頭」
福島県民謡「相馬盆唄」
を演奏しました。
そして最後に「オクラホマミキサー」でペアダンスをするのがアリアンサ村の盆踊り大会のお約束。昔はこの時に好きな人と踊るのを楽しみにしていたんだそう。

1セット目が終わり、隣町の踊りのパフォーマンスがあり、アリアンサ村の人が神輿を担いで櫓の周りを一周します。

その後はブラジルのお祭りで人気の相川七瀬「夢見る少女じゃいられない」で10~20代の若者が踊りまくり!足のステップを取り入れた進化した盆踊りです。長野県のつながりで「松本ぼんぼん」も流れました。

勢いよく担がれた神輿は迫力満点!

2セット目が始まると少し風が吹き始めましたが、大太鼓でみんなを支えるダイゴさんは汗ダラダラ!盆踊りの演奏は殆ど休みがないので、終盤はなかなか大変でしたが、櫓の上から踊っている村の人々の姿をみたら、疲れも忘れて「もっと演奏したい」と思うほどでした。

突然やってきた私を快く迎えてくれたメンバーの皆さんには本当に感謝です。みなさん仕事を掛け持ちしており、演奏が終わったらすぐに屋台へ行ってしまったので、メンバー全員で写真が撮れず残念。

ピアノの稔子さん、摺り鉦の規子さん、アラサツーバの日本語の先生、クラリネットの辻さん、歌の庄司さん、私

|100年の思いが夜空に

盆踊りの余韻がさめやらぬうちに、100周年記念としてアリアンサ村にはじめての花火が打ちあがりました。
ブラジルに花火大会はなく、こうして町のお祭りで花火を1つ1つじっくり観れるのは非常に珍しいことです。
私は花火よりも、アリアンサ村の人たちが花火を見上げる姿に心惹かれました。

櫓から花火を見上げる庄司さんと稔子さん

本番直前、庄司さんの手にしっかりと握られていたのは手書きの歌詞カード。何度も繰り返し読まれたのか、端がボロボロに破れていました。
20歳の時にブラジルへ渡り、47歳で歌をはじめ、毎年盆踊りで歌い続けてきた証です。
どんな思いでこの花火を見ているのでしょう。

*

若い人たちがそれぞれの持ち場を仕切っていたのも私には印象的でした。
今は都市部へ大学進学や就職をした出身者たちも、この日のために手伝いとして戻ってきていました(中には海外から弾丸で来た家族も)。

非日系ブラジル人の参加率の高さにも驚きです。
かつては混血がすすむことを望んでいなかった日本人移民たちですが、ここでは伝統を守りつつ、新しさも取り入れながら次の世代へとバトンタッチされているように見えました。

これからもアリアンサの盆踊りが続いてくれることを願っています(来年も参加したい)!

↑ ドローン撮影あり 当日の様子

↑ 準備中と当日打ち上げの様子ありバージョン

*この期間はユバに泊まらせていただきました。その体験は後日記事にします。お楽しみに!

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