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18. 自分の選択を納得、誇りに。“知足”、今ある恵みに立ち返りたい。いつもだれかのおかげ様で。心友との出逢い。

自己表現の目覚め。文章化と筋トレ。記事が爆発的に伸び、体脂肪率は一ヶ月で15%に。

呆然と立ち尽くすほどの驚きと一抹の不安を与えてくれたプロジェクト終了のお知らせに面して、26歳の私はどのような気持ちで過ごしていたのであろうか。状況を簡単に整理すると、大学卒業後の三年半の間に、京都と東京で計三社正社員としてお世話になり、アジアへバックパックで一人旅をし、待望の手放しで業務委託でお仕事をいただき、セブへ語学留学へ。夢のプロジェクト参画のため短期間で帰国するも、そのプロジェクトがすぐに終了。そのような過程を経て、学歴や海外、英語への劣等感から解き放たれる。マンガのような急展開の連続。自ら好んで納得して選択し続けてきた結果ではあったものの、恋のように情熱的に惹かれていた組織との別れを機にぽっかりと心に穴が空いたようにぼーっとしたり、社会からの孤立や先行きがどうなるかわからない不安におびえていたかもしれない。

と想像したが、実際はそうではなかった。当時の私は燃え盛っていた。実は、この頃から文章で表現するたのしさに夢中に。それから二年間、週末は一切どなたとも約束を交わさず、どのような魅力的なお誘いでもすべてお断りし、朝から晩まで自分だけに集中すると決め、ただひたすらに自分自身と向き合うことに熱心であり続けた。先にも記したが、自分が今この瞬間に取り組む上で最適なサインを直感で認識している私は、迷うことないがないためか、自己規律力が非常に高く、観察しながら(Observe)適切に判断し(Orient)決める(Decide)動く(Act)を、自分自身への挑戦と捉え、ゆるくゲーム感覚でたのしむため、一般的にはむずかしそうに聞こえる決め事も苦ではなく、歓びと感じる質であった。

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実はプロジェクト参画前に、筋トレをはじめていた。セブ帰りで人生二番目にふくよかな体型となっていた私は危機感を覚えたらしい。普段よりも体重に重みが増すと、身長147cm の小柄な私は影響を受けやすく、身体も頭も疲れやすく思うように動かなくなるため、その状態に嫌気が差し堪えたようだ。他者からの見た目云々は基本的に気にしていないため、関係はない。どれほどに些細なことであろうとも、他の誰でもなく自分が嫌なんだね、と気づいてあげられるようにありたい。

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一時間/回、週三回で一ヶ月間のマンツーマントレーニングプログラムにすぐにお申し込みし、それはもう必死に取り組んだ。やりすぎだよ、とトレーナーさんたちに指摘をいただきつつも、トレーニング以外の日も通い続け、週六か週七通っていた気がする。二週目中頃にして痩せることへの関心は薄れていた。というのも、体重にはほとんど変化はなかったものの、明らかな身体の変化を感じ、黙っていても結果はついてくると確信していたからであろう。指導では適切なトレーニング方法を学ぶことに重きを寄せ、あとは実践の繰り返しで、どこまで自分の限界に挑戦できるかだけに熱中。結果的に、21.5%あった体脂肪率が、一ヶ月で15.3%まで減るほどに引き締まり、全身の筋肉美に惚れ惚れし、心も身体もスッキリ整い、よろこびに満ちていた。

週末以外も時間がある時は、ご近所にあるスターバックスコーヒーで外を眺めながら、日本への貢献方法や日々感じた疑問など頭に浮かぶあらゆる考えに思いを巡らせていた。一日という限られた時間の中で、どうすれば最大限、頭が明晰な状態を保てるか、要は生産性の向上のための仮説検証に、特に熱心であった。朝起きた時の気分や睡眠時間の質、前日や起床時の状況をメモしたり、睡眠から一日の行動すべてを Google Calendar に書き込み、食べ物やお天気、風速、気温、湿度などあらゆる計測可能なものを計測・管理。どの日のどういう時に私は機嫌が良く、どういう時に気分が乗らないのか、その時はどういう状況であったのか、調子の程度はどうであったかなどを細かく書き留めては、時間があるときにそのデータと向き合い、自分にとっての最適解を探すために、自己実験を繰り返していた。

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ある日、それまでにいくつか書いていた記事の結果を元に仮設を立て、あるタイミングを見計らって書いた京都の記事が爆発的に伸びた。それを機に、ヒット作の要素の因数分解や仮説検証に心躍るようになる。それ以降、そのデータを元に連続でいくつかの記事を書いては、思うように伸びるようになっていた。一ヶ月以内には、自分がこれまで読者側だった有名なメディアも含めて、十ほどから寄稿依頼を受けるようになり、驚きとよろこびを噛み締めていたであろう。(自分が選んだ人たちではない)チームとはうまくいかなかったことで沈むように落ち込んでいた私ではあったが、語学留学に当たっての交渉、憧れの企業でのプロジェクト参画、筋トレでの想定以上に誇れた美、記事の伸びと、自分が納得して力を入れて取り組んだことは必ず上手くいくという自信がつくようになった。

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YouTuber に。最も好きで尊敬、信頼している上司との出逢いと感謝。

並行して、行く先々の会で出逢った経営者から気に入っていただき、お仕事のお誘いをいただくようになる。七、八社から具体的なお話を受けたようにおもう。自信に満ちた姿が人を引き寄せるのかもしれない。当時仲良くしていただいていた経営者の誕生日会にお招きいただいた際、ちらっと聴こえたのであろう私の声の調子に反応して、遠くから声をかけてくださった人がいた。「YouTuber、興味ない?」と彼が放った一言目に耳を疑いつつも、気になって足が止まった。翌日会社に訪問させていただき、お話の詳細をお伺いすることに。

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中国を主にアメリカやアジアに多数拠点を置く、グループ含め社員千人規模、現一部上場企業の取締役である彼は、非常に頭の回転が速い人であった。純粋にかわいくたのしそうに微笑みながら、大変フランクでやさしい口調で簡潔に語られる言葉はいずれも説得力があり、圧倒された記憶がある。この会社を大きくしてきた自負含め経験による判断の適切さや広範囲に渡る情報収集力の高さ、これぞマネジメントだと感じる人の得意や良さを見る能力の高さ、社内およびお取引先、投資先などあらゆる人間関係において腹を割って築いてきた信頼関係の高さ。相手の課題を解決するためには、相手から悩みを聞き出すのが最も重要だと体現する営業の鏡のような彼は、冗談を交わしたり煙草を吸い必要なリラックスを相手に与え、さりげなく相手が話しやすい雰囲気を可能な限りご用意し、相手の話に丁寧に耳を傾け寄り添いながら、脳というパソコンでこれまで集めてきた情報を元にどのような手を差し伸べられるかを速やかに緻密に算出する、おちゃめなロボットのようでもあった。決して裏表がなく単刀直入で真っ直ぐで嫌味のない在り方は、謎めかしく未知にも感じ、惹かれた。一ヶ月後には上司となる彼に、当時お付き合いしていたパートナーが取引先としてとてもお世話になっていたこともあり、三人でお食事。両者の会話や姿勢を目の当たりにし、信頼できると確信した。

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新規事業を担当する上で、取締役付という名の新しいポジションを作ってくださり、基本的にはどこに行くにも上司と二人で行動させていただいた。彼は、投資部門の代表を務めていらしたこともあり、投資先のスタートアップや投資家との会議にもご一緒させていただき、良い経験をいただいたと心から感謝している。

当時の日本では、HIKAKINさんやはじめしゃちょーさん、あと数名だけが名が知られていた YouTuber の存在。彼は確実に流れが来ると読み、業界では多くの企業が未だ手を出していなかった頃、YouTuber 事業を立ち上げることにしたのであった。ただ、それを一切公にはしていなかった。後にいずれ知れるにせよ、競合他社に知られる前に圧倒的優位性を高めておくことが狙い。現在、具体的にどこまで公にしているのかが不明なので詳細を記載することは伏せておこうとおもう。

事業の題材である YouTuber。元々予定していたマネジメントのためにも、YouTuber への理解を努める必要があった。自分が経験していないことを他者に伝えることはできない、は私の信念でもある。ゆえに、自らがゲーム実況 YouTuber として動画配信する中で、動画撮影から編集、YouTube 内機能への理解、サムネイル画像作成やタイトル付けを一人で行い、仮説検証を元に繰り返した。並行で、上司と共に、かの有名な他事務所たちと業務提携を発表・実施をしたり、クライアントへの提案を営業チームと一緒に行ったり、企画や撮影現場を共にしたり。実験材料として数ヶ月疲労しながらも張り切った自ら YouTuber となる役割を卒業してからは、複数人の YouTuber のマネジメントに精を出していた。私に担当させてくださった役割は、ほぼすべてピタッと性に合っていた。特に、人のマネジメントが向いていたようにおもう。これまで表舞台に出るのが好きだと認識していたが、人を支える裏方の方が向いているかもとおもいはじめられたのもこれがきっかけであった。彼の人を見る力の鋭さには感嘆し、非常に感謝している。

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上司とは、会食や休みの日にたまに遊ぶのも含め、昼夜の多くを共にした。これまでたくさんの人を見て能力を引き上げたり、敢えて交友関係を広くしている彼からは固定観念を感じず、大きな器で受け止めようとしてくれているのが伝わり、彼と時間を共にいる人はみな、彼に対する一定の安心感や緊張の中にも気楽さがあったように見受けられた。口調が冷淡に聞こえることがあり誤解する人がいるかもしれない。が、本質的で本当に優しくてピュアで、無邪気に全力ではしゃぐ少年のような人で、一緒にいて単純にたのしかった。彼は、最も尊敬している上司であり、もう一度共に働きたいと心からおもえる唯一の存在でもある。彼と出逢えたことは本当にしあわせで、感謝が込み上がってくる。

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さて。これまで上司についてしか言及してこなかったが、本組織にいられたことは、社会人人生における恵みのシャワーを浴びたような幸福であったようにおもう。“人儲け”を経営理念に掲げ、社長を中心に“人を大切にする組織”であり、その想いが労いの形で表れていた。目の前の業務に追われ仕事自体には疲労困憊している人は多数見受けたが、ほとんどの人が会社を好きなように感じた。役員の多くがそうであるように、新卒入社で採用された人が多くを占め、平均年齢が若い。そのため、当時マネージャーさえも余裕がないように伺えた組織であった。

必要な人に必要な精神的ケアが行き届くことを願っていた私は、毎朝フロア全体を観察しては、他部署へ足を運び、表情に疲れや雲が見える人に積極的に「おはよう、今日の気分はいかがかな」と声をかけるようにしていた。次第に、社内を歩けば声をかける人数が増え、新卒一年目から三年目ほどの若手のだれかと毎日ランチに行っては、仕事や今後やりたいことなど人生相談に乗り、背中を押していた。中高時代に何気なくしていた「あなたを大切に想っています」の思いを胸に、「先生、いかがお過ごしですか」と問うていた自分と重なる。あの頃からずっと、それぞれの人が自分の選択に納得し、人や他者を想い、心身共に健やかに生きることを願っていたのかもしれないね。この際、人生相談に深く乗っていた妹や弟のような存在が、数年間の葛藤や苦悩を乗り越えて、ご自身の内なる願いを叶えようと活躍している様子を、今でも微笑ましく見守れることを心からうれしくおもっている。

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京都での運命の出逢いと一人富士登山、スターバックスでの“相談室”的役割。

翌年の初夏、三年前に好機をいただいた“超交流会”に参加するため京都へ。お恥ずかしながら、登壇の持ち時間までいただいた。振り返らずとも記憶に新しいほどに、本会には毎年お世話になっている。感動的な出逢いの翌年の会では、主催者や登壇者のみが集う前夜祭に図々しく突入して遊びに行かせていただき、今でも一部の方には気にかけていただいているほど、皆様にかわいがっていただいた。

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そして、2015年の会でも大きな導きを得た。登壇者の一人と瞬時に意気投合して親しくなったのだ。目上の人でも物怖じせず、対等におもったことを伝える私は、彼にとっては珍しい存在で、気に入ってくれたようだ。まわりの人の可能性を伸ばしたり、人をおつなぎする磁石のような役割を得意技にもつ彼は、私にも可能性を感じてくれて伸ばそうとしてくれたのであろう。出逢いから十日後、Microsoft Innovation Award にて司会のアシスタントを務める機会を与えてくださった。いつだって、だれかのおかげで羽ばたかせていただいている状況に、改めて感謝申し上げたい。

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その翌月には、一人富士登山をしたり、その際に出逢ったガイドさんに難易度の高い岩場に連れて行っていただいたりと、登山に夢中になった時期でもあった。当時の私にとって、頂上というわかりやすいゴールがある山という存在は、試練にはもってこいであったのであろう。お世話になったガイドさんがとても素敵な人なのでおすすめしたいな。また、幸運にも、富士山では、妹のような愛おしい心友と出逢うことになる。透明な海で美しく清らかな水しぶきを浴びるイルカのような彼女は、私の人生における宝物だ。

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相変わらず筋トレには熱心であったが、師走の一ヶ月は再びマンツーマントレーニングに励んだ。当時で体脂肪率は 17% ほどだったが、13%を目標に鍛えた。自分の限界を決めず、他のだれでもない自分自身に対してのみ挑戦するのが好きであった。結局、15%の壁は大きく、あまりにも体脂肪率を下げると体調を崩しやすいなど別のリスクが生じるため、それ以上を目指すのを快く辞めた。徹底的に向きあったからこそ視えた壁やセカイがあったのを、認識し、受け止められたのであろう。その状態によろこびに感じる。

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そして、週末スタバ引きこもりを続けて数ヶ月が経った頃、店員さんたちと親しくなっていた。あの空間は私にとって心地よい居場所であった。店員さんのほとんどが、“いつもテラスでご機嫌に歌って踊っている(変な)人”として私の存在を認識してくれて、「愛華さん♡」と愛おし気に話しかけてくれるようになったおかげ様である。次第に、大学生であった彼女たちの就活や恋愛、人生相談に乗るようになっていた。この中のひとりが、出逢うべくして出逢った異なる星からやってきた心友であり、出逢いから五年が経った今も毎日のように、存在そのものや導きに深い感謝を感じている。また、この頃ブログが伸びていたこともあり、見知らぬ人から毎日のようにいただく応援や励みのメッセージの中でも同様にご相談を受け、仕事や転職の悩み、人生相談に乗るようになっていた。

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当時の未熟な私は時にアドバイスをしていたかもしれないが、どなたに対しても私が問いかけるのは、基本的には“なぜ”であった。答えは本人の中にしか存在しない。あなたにしかわからない、あなたの Special を、まずはあなたが知ってあげようと言わんばかりに、なぜを問うた。エントリーシートの添削依頼を受けては、「なぜあなたはそれを大切に思っているのかな」「なぜ気になっているのかな」といったように。それこそ、なぜこの時点で、自分の特性に気がつかなかったのかと不思議ではあるが、幼少期から当たり前にしている“問いかける”癖がまさか Special であるとは気が付かなかったのであろう。

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大転換期。“手放し”“知足”の旅がはじめる。

京都での出逢いを機に親しくなり、熱心なお誘いとそれに伴う多大なるフォローを享受し、奇跡的に英語含めすべての面接をクリアし、最後の転職を迎えることに。割と急遽な転職であったことで、最愛の上司や同僚にはご迷惑をおかけしたことを誠に申し訳なく、心苦しくおもっている。が、卒業後も何度か一緒にお食事をしたり、定期的に私が夢中になっていたことに耳を傾けてくださる彼のことは、今でも変わらず心底大好きで敬愛している。また、退職のご挨拶回りの際、懇意であったお取引先で某有名企業の社長や取締役の方々から「社長自ら鍛えるので、社長の右腕になるような秘書となってくれませんか。」と仕事のお誘いを熱心にいただいたのは、本当にうれしかった。実際に仕事している様を間近で見た上で一緒に働きたいとおもっていただけたことは、これまでにないパターンであり、光栄そのものであった。

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ほぼ同時に、約三年間お付き合いした三人目のパートナーとの別れが訪れる。以前からすこし見え隠れしていた、両者における“大切にしたいこと”の違いが明白になったゆえであった。「ロジカルシンキングを教えてあげる」の謳い文句からはじまった彼とのお付き合い。思考が得意な彼の背中を通して学んだことは非常に多かった。“考える”習慣に意識が向いたのも彼のおかげである。私の誕生日祝いに実家に泊まりに来てくれたり、東京で学会終わりの父と三人で食事したりする中で、私の両親も彼のことを大層気に入っており、ほんのたまに話題に上がっても、いい人だったねという着地点に落ち着くほど。彼は非の打ち所がなく穏やかで、穏やかさが皆無であった私はいつも優しく助けてもらっていたであろう。また、頭の回転が早く、和を重んじる彼は、今はじめて気がつくが、兄に似ていたような気もしている。

見ている先や衣食住の好みが異なっていたというシンプルな理由であり、別れてからも三ヶ月同居するほどにはいい友達である。彼の大きな器でどーんと構えてくれていた背中に、共に過ごせた日々に感謝している。が、彼も間違いなく SOUL MATE ではなかったなぁと確信している。後に SOUL MATE に出逢った今だからわかるのだが、魂が叫び合うような感覚ではなく、私たちは、というか彼らと一緒にいる時の私は、相変わらず自己主張は強いながらも、感情の出し方が分からず相対比較すると非常に淡々としていた気がしている。

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その後の転職先に関しては、社会人生活のはじめの方で綴ったことが多いものの、改めて。私の弱さで受け止めきれない状況となったが、全国ツアー出張やエンジニアの皆様とのミートアップ含め、ありがたい機会をたくさんさせていただいたと感じている。上司や同僚、関わったすべての人に対して、感謝の言葉だけがあふれてくる。お世話になった皆様、ひとりひとりが今、心身ともに健やかに安らかにいらっしゃることを心から願って。共に成長できたらまた違った景色が見えたかもしれないが、そうならなかったのにはそれ相応の理由や導きがあったのだと確信している。多くの人が一度は、時が戻ったらとおもうのかもしれない。私は一度もない。これまでの人生の一地点で一瞬でも異なる選択肢を選んでいれば、今、この瞬間はまったく異なるような巡り合わせが起こっているのであろう。自分が選択してきた道を誇りに思い、他の選択肢を“納得して”取り続けなかった自分をあるがままに見つめ、受け止めて、“知足”の想いを胸に今ある恵みに立ち返りたい。

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社会人最後の想い出の写真たちが愛おしい。♡















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Aika Avadhany
お気持ちを添えていただけたこと心よりうれしく想います。あなたの胸に想いが響いていたら幸いです。