安らかさや感謝で満たされる暮らしを。"知足" を意識してみませんか、というお誘い。
コロナという言葉が、そのウィルスの存在が、人類史に名を刻むであろうほどに、話題の中心となり続けて約一年。
彼の存在を意識する、意識し続けることを通して、世界中のおひとりおひとりが、何かしらの想いを巡らせているのではないでしょうか。中でも、恐怖や動揺、疲労、怒り、悲しみを感じている人が多いのでないでしょうか。
常に移り変わる外の状況を肌身で感じながらも、おひとりおひとりが、暮らしの中で、ご自身の安らぎのためにできることとは。
この一年でなにがどう変わったのでしょう。
得体の知れないコロナウィルスという存在が、日に日に存在感を増していく状況。対して。おひとりおひとりの、自身の存在、存在感はどうでしょうか。
外の存在への意識が向くことで、意識が遠のいていく "自身" という存在。自身という存在は、この一年でなにがどう変わったのでしょうか。
生まれたての丸裸なあかちゃんの場合はいかがでしょうか。時間の流れに伴って、言うまでもなく、身体的な変化が見られるでしょう。母親含め誰かや何かと接する中で精神的な変化もあるでしょう。
それでは。五歳、十歳、二十歳、四十歳、六十歳、百歳の人だといかがでしょう。丸裸のあかちゃんと異なるでしょうか。いえ、同じではないでしょうか。要は、”自身” を構成している心身(精神・身体)に変化はあるでしょう。が、それ以外には、なにがどう変わったのでしょうか。
Be Simple、”自身” に意識を向けると視えてくるね。”自身” という存在は変わっていないのではないしょうか。変わったのは、"自身" に付帯していると捉えている条件や情況ではないでしょうか。
なぜ、心が揺らぐのでしょう。
では。なぜ、"自身" に付帯していると捉えている条件や情況が変わったことで、心が揺らぐのしょう。
恐怖(不安、恐れ、こわい、心配で)や動揺(混乱した、かき乱された、落ち着かない、どぎまぎした、居心地が悪い、無念な、歯がゆい)、疲労(燃え尽きた感じ、うんざり、疲れた、くたくた、やる気が出ない)、怒り(激怒、恨み)、悲しみ(ふさぎこむ、絶望感、心が暗い、心が重い、憂鬱な、緊張、神経をすり減らした、集中できない、行き詰まって)など。
外(自身を取り巻く条件や情況が変わったこと)がきっかけで、自身の状態・状況に感謝するのがむずかしくなったときに、心が揺らぐのではないでしょうか。
"自身" が、内なる "願い" を叶えてあげられない・満たしてあげられないと感じる(、その可能性が増していくように感じる)ことで、(心ここにあらずとなり、ただそこにある豊かさや、既に満ちた存在である "自身" に意識が向かなくなり、)心が揺らぐのでしょう。鍵は、自身の在り方、感謝にあると感じていますが、いかがでしょうか。
ほっとしていたり、たのしんでいたりしているときは、無意識に何かに対して感謝しているような気がしませんか。
知足。足るを知る。足りていることを意識し、満足・感謝で満たされますように。
外の条件は、常に、移り変わっていますね。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)を表した VUCA という言葉が周知しているほどには、"常が無い" のを体感されている人も多いのではないでしょうか。
だからこそ。いかなるときも、いまこの瞬間におけるご自身の存在や、ご自身が身をおいている状況に意識を向けて、「I know I have enough. 必要としているものは十分にあるね、大丈夫だね。」と気づいて、「当たり前じゃないんだね、なんだって。ありがとう、存在してくれて。わたし自身もまわりの存在も。」と、ご自身やまわりの存在に敬意を表しながら、感謝の声をお届けしてさしあげられたら、どれほどに満たされる・安心するでしょう。
「吾唯足知」(吾唯足るを知る)
「知足のものは、貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し」
とはいっても、いま、この在り方を受け止めやすい人は多くないかもしれません。何をしようともしまいとも、ご自身や他者がいかように捉えようとも、意識的にか無意識的にか、心の奥深くで葛藤を味わいながら、わたしたちは必死で生きることに励んでいるからです。だからこそ、敬意を込めて、胸に手を合わせて、深々とお辞儀しながら、「お疲れさまでございます。ゆっくりと呼吸をして、そっと瞳を閉じて、少しだけあたりを見渡してみませんか。」と声をかけさせてくださいませ。
いまここの、ただそこに在る豊かさへの感謝を。
長らくの間、自身に対し不安や怖れを感じることがなかったのだが、それほどまでにこの身がなにかから護られている環境下にあったことを意味していたのであろうことに気づき、改めて、まわりの存在ひとつひとつに感謝の念が深まった。
ただそこに在る豊かさを鮮明に感じさせていただける。いかに、この身があらゆる生物によって支えられているかを感じさせていただける。いかに、この身が特別ではない何者でもない存在であるかを感じさせていただける。無私無欲を育んでくれる、透明度の高い瞬間を紡いでいた。
昨夏、一ヶ月半の間、山籠りしていたときに感じた、自身を支えてくれている(大いなる)存在への感謝。
実は、八経ヶ岳や釈迦ヶ岳に登山しているときや、コロナウィルスの存在へ意識を向けたときにも、同じような感謝の念があふれてきました。ああ。大抵の病においては助けていただける、と身を委ねさせていただける医療機関の存在に、無意識下で、支えていただいていたんだなぁって。
"自身" を支えてくれている存在とは。
これまで、"自身" の内なる "願い" を満たしてくれていた存在、言うなれば、"生きる" 上での土台となる心身の安心や安全への "願い" を叶えてくれている存在とはなんでしょう。
それぞれの人生における主人公であるご自身は、その一存在でしょう。では、他にはいかがでしょうか。
今世に生を受ける過程で必要な存在だった生みの親であるご両親。必要な衣食住を整えてくださった人。話を聴いてほしいときに寄り添って聴いてくれた人。何も言わずとも微笑んでくれた人。
喉や身体の渇きを潤しくれる水。陽が暮れたら光を差してくれる電気。どんなに寒くても暖を与えてくれるガス・電気。
行きたいところへ導いてくれる交通機関。心身の違和感を診てくれたり、力尽きそうなときに共に闘ってくれる医療機関。興味を学ぶ環境を整えてくれる教育機関。贈りたいもの・受け取りたいものを届けてくれる輸送業者。離れていても想いをつないでくれる通信業者。怪我や事故が起こりにくいよう道を整えてくれたり、緊急時に真っ先に手を差し伸べようとしてくれる自治体。紛争が起きないように他国と関係を築き治安を守ってくれている国家。このような環境を整えてくれた・くれている、すべての人。
災害時などの非常時を目の当たりにしてはじめて、その恩恵を感じる人が多いのかもしれませんね。当たり前ってないんだなぁって感じます。ほら。目の前にある道路も、誰かが懸命に携わってくれた情熱と労働の結晶ですね。
机や椅子、お布団、水筒、お箸、携帯、パソコン、お財布、フライパン、キッチン、お洋服、本、、家の中を見渡すと、ほら。(必要過多なほどに)多くの物質に囲まれていますね。すべてが誰かの情熱と労働の結晶だなぁって。彼らを "使っている" のではなく、彼らの存在をお借りしている、暮らしの一部を支えていただいている、そのように感じています。
何も言わずただそこにいてくれる太陽や月。すべての命を宿借りさせてくれている地球。地球のカラダの一部である海、川、山。太陽の眼差しを受けて、海や川、土に宿借している微生物。微生物などの存在を頼りに命をつないでいる植物や昆虫、魚。植物や昆虫、魚の存在を頼りに命をつないでいる小動物や動物。植物による光合成で呼吸ができている、わたしたち動物。栄養をいただいているだけでなく、文字通り、植物の存在を頼りに命をつないでいるわたしたち。
巡っているね、恵まれているね。支えられているね。
道を歩いているだけで、涙があふれてくるときはありませんか。陽の光を感じて、あらゆる生物・無生物の存在を想うとき、この身はこの上ない祝福とよろこび、感謝の気持ちで満ちています。
手放すことをはじめてみませんか。
生まれたてのあかちゃんが、そのままで美しいように。採れたての野菜や果実が、そのままで美味しいように。生きている植物や動物が、そのままで愛おしく、尊いように。わたしたち、ひとりひとりは、本来、そのままで(ありのままで)美しく、美味しく、愛おしく、尊い存在なんだと感じています。性別、年齢、国籍、出身、職業、卒業校、会社名、肩書、年収、宗教など、形容する名前やラベルは必要ないと感じています。なにがあってもなくとも、なにをしていてもしていなくとも、関係ないと感じています。Simple に尊い、それだけでよろしいのだと感じています。いかがでしょうか。
地球上の資源である、必要最低限の食をいただく中で、食べられるものがあり、食べられる機会を得られることに感謝してみるのはいかがでしょうか。いただきます、ごちそうさまのときに、ゆっくりと呼吸をして、そっと瞳を閉じて、少しだけあたりを見渡してみませんか。おなじものをいただいたとしても、一層に美味しく感じるでしょう。
暮らしの中で、外から見えるなにかを気にかけて磨きをかけている時間や活力の一部を、内に秘める声に耳を傾けることに捧げてみるのはいかがでしょうか。
きっと、あなたにとって大切な存在に意識が集中していくでしょう。さすれば、自然に、大切な存在だけが残っていくでしょう。大切な存在以外を手放していけますように。そして、より一層に、大切な存在を大切にできますように。
安らかさや感謝で満たされる暮らしをお贈りされることを願って。
おひとりおひとりが、知足を意識することが、コロナウィルスや地球環境変動の危機から、ご自身を、大切な存在を、救うことにつながると確信しています。
「折れそうな心を支えながら、必死に医療を提供してきたわれわれの努力は、これ以上、感染者が増えては、全く報われない。国が先頭に立って、国民の移動や行動を制限することを、政策として掲げてほしい」
風邪を引くことが医療崩壊につながるかもしれないと捉える人はほとんどいないでしょう。ただ、コロナウィルスという感染症の場合は異なります。ご自身の命を救う、真に治療を必要としている人の命を救う上でも、わたしたちが助けてほしいと願うときに手を差し伸べてくれている医療機関(従事する人)の(既に起こっているとも言える)崩壊(維持するのがむずかしい状況)が軽減されることを願うばかりでございます。だからこそ、自治体・国家は、懸命に対策しているのではないでしょうか。
いまが、懸命に、知足を意識するときでしょう。生きとし生けるものが、安らかさや感謝で満たされる暮らしを、ご自身にお贈りされることを願って。一燈照隅の想いで、心よりの愛と慈しみを込めて。