秋鹿一花

月一で書評書きたいという気持ちだけはある 第48回すばる文学賞最終候補/第60回文藝賞短編部門最終候補 etc.

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月一で書評書きたいという気持ちだけはある 第48回すばる文学賞最終候補/第60回文藝賞短編部門最終候補 etc.

最近の記事

じゃあ、存在するのは誰?――市川沙央「オフィーリア23号」(文學界2024.5)

 存在する、ということは、そもそもどういうことだろうか。  名前があることだろうか。他者から「ある」と認められることだろうか。そうであるならば、誰からも、すなわち自分自身からさえも、その存在を「ないもの」とされていれば、それはすなわち「存在しないもの」として元より立ち消えるものだろうか。 そんなことができるのだろうか。本当に?  市川沙央「オフィーリア23号」は、生育環境によりミソジニーを植え付けられ、男尊女卑思考に(半ば意識的に)過剰適応している女性「那緒」が語り手の小説

    • 感想、そして交錯する幾層もの感情――福海陸「日曜日(付随する19枚のパルプ)」(文學界2024.5)

      「ゲイ小説」「LGBT小説」「当事者小説」……。  そのような表現の宣伝や批評を見るたびに、言いようのないもやもやが湧く。異性愛を扱っているだけで「ストレート小説」とは言わないし、シスヘテロの人物が主人公なだけで「シスヘテロ小説」とは評されない。もっと言うとシスヘテロ男性健常者純日本人当事者がシスヘテロ男性健常者純日本人主人公の小説を書いても決して「当事者小説」とは扱われないからだ。伝統的な文学のジャンルとして「私小説」と呼ばれるそれを、何らかの少数性を属性として持った者が書

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