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18年生きてみた感想

私は高校2年の時に全日制高校から
通信制高校のS高等学校に転校しました。
3年生になり今レポートを出し切り、あとはテストを受けるだけです。
時間が有り余って仕方がないので、ここで振り返ってみようと思います。
(自分の為にも)

※最初は「通信制高校の感想」という記事でしたが、
書いてたら自分の人生を振り返ってるだけだったので、振り返りにします。

転校しようと思ったきっかけ

  1. 学校に合わなかった

私は中学受験をして中高一貫校に入学しました。
中受をするきっかけは小学3年生から始めた吹奏楽を強豪校でやりたかったから。

初めは地元の音楽科がある中学を受験する予定でした。
あまりにも学費が高くてお嬢様ばかりで馴染めそうになく、小6の受験ギリギリで関西の学校さん(たまたま演奏会で会った)を受験することになりました。
出願ギリギリだったのを覚えています。

入学して部活にも入部しました。
小学校の吹奏楽部では、チューバというでっかい楽器を担当していました。
とにかく私はこのチューバが大嫌いでした。(3年間やってたのに)
コンクールの写真では顔がほとんど映らないし、重くて階段での運搬は最悪。
何が楽しいの。とずっと思っていました。

でも、なぜかチューバはできました。
耳が元々良かったのもありますが、困ったことがありませんでした。
挫折を一度も経験しなかったのです。

小学校時代の部活は部自体の仲もよく、コンクールの成績はあまり良くありませんでしたがチューバは嫌いでもみんなと奏でることが楽しくて毎日練習に参加できていました。(先輩もみんな優しかった)

ところが、中学の部活では
上下関係・礼儀・ルールがたくさんあり古い体制の会社みたいな感じでした。
合奏は常にピリピリしていて、先輩も意地汚かったです。いじめまではいかないけど、うっすらパワハラが普通でした。

何より驚いたのが、強豪校なのに上手な人がいない。ということです。(誰目線)

小学校時代はチューバパートは基本二人でした。(先輩1人と私or私と後輩)
弱小校ではありましたが、上手な先輩が多くたくさん吸収させてもらえる環境でした。(東京藝大に行った人が先輩に知っているだけでも2人)
しかもみんな丁寧に教えてくれる方ばかり。
チューバパートが1年間、私1人になった時もいつもパート練習に入れてくれて基礎練も付き合ってくれていつもアドバイスをくれました。

中学では演奏面と性格面ともに参考にしたい・尊敬できる先輩がいませんでした。
それもあるけど、結局合奏もパート練もどちらもストレスだったのが大きいです。
メトロノームの音で腹痛になるくらい嫌でした。
合奏では同級生や先輩がみんなの前で詰められる。
パート練では先輩にチクチク言われる。

1年生からコンクールメンバーだったので、練習スケジュールが違うので接点を作れず同級生からも孤立しました。(自分が尖ってたのは大いにある)
練習中に足を捻挫して夏の練習を離脱して、さらに孤立しました。

ここで私のメンタルは限界でした。
学校にも行けなくなり、中学2年の夏に部活を辞めました。

今こう文字に起こすと、周りの環境のおかげで小学校時代は上手く楽しくできていたのだと。
中学で孤立しても「頑張ろう」と思えなかったのは、
・周りに感謝できなかった傲慢な心を持っていたこと
・下調べ不足
→私は何事も直感に従って生きてしまう癖があります。
もっと調べて学校を選んでいたら。なんて考える夜もあります。

中学は音楽から離れられなくて、
声楽を習ったり、ピアノをまた習ったり。市民楽団の見学に行ったり。

結局どれも続ききませんでした。(市民楽団は楽器を買うお金がなく断念)

こうなったら吹奏楽の強い学校に行こう!
と思って好きな演奏スタイルで自由な校風が有名な学校を目指すために勉強を始めました。

ですが、結局中学のトラウマに勝てずそのままエスカレーターで
系列の高校に行きました。
(結果論ですが、あのまま吹奏楽を続けていたら系列の学校にも行けませんでした。成績悪すぎて)

高校はいわゆる自称進学校で課題とテストに追われる日々になります。
少人数制の学校で2クラスしかなく、いい意味でも悪い意味でも先生の面倒見が良い学校でした。

正直あまり記憶がありません。
テストの点数もギリギリでビリまでいかないけどこのままで大丈夫?みたいな成績を取り続けます。(進級はできるくらい)
そのまま行けばきっと卒業は出来てたから良かったんだけど、自分のプライドが許さなかったのかな…
どこかで心が壊れて、毎日泣きながら勉強してました。
ストレスで毎朝トイレとお友達になってて、気づいたら学校に行けなくなってました。

もうこの学校には通い続けられないな…と思って
通信制高校に行こうと思いました。

完全に心が壊れる前に、周りにも通信の子が多く興味があって転校したいということを母に伝えていましたが反対されていました。
結局学校に行けなくなり母は許可を出さずにはいられなかったんだと思います。

アクティブラーニング形式の学校に行きたいなーとうっすら高校受験の時に思っていて。(小学校がこの形式だった)
だからN/S高しか選択肢にありませんでした。
見学に行って、プロNの授業を見て私のやりたいことはこれ!!だと思って
すぐに入学手続きをしました。(またこれも出願ギリギリだった)

N高に入学してから

高一の夏頃から休みながら学校に行き、晴れて2年生からN高に転入することができました。
通学コースを選択し、週三回学校に行くという生活になりました。

最初の1週間は全く友達ができず、とりあえずいろんな人にはなしかけました。
たまたま移動教室のときに、席が足りず2人で一緒に余った女の子(Aちゃん)と「どうする?空気椅子で座る?」って話しかけました。(今思ったらきもい・面白くないで最悪です)
Aちゃんは爆笑してくれて、そこから毎日Aちゃんと放課後も朝も授業も一緒に受けるようになりました。

前の高校とは違い、いろいろな思いを持って転入・入学してくる人が多く、とても刺激を受ける日々でした。
例えば、起業するために頑張っている人・プログラミングを頑張っている人・IQ?が高すぎて学校がつまらなくて転校してきた人・受験勉強を頑張っている人・スポーツを頑張っている人・学校で問題に巻き込まれて退学した人など。
ここに挙げきれないほどたくさんの思いを持っている人がたくさんいました。

そんな周りの人に私もたくさんいい影響を受けて、2年間はたくさん「挑戦」ができました。
私の居場所はここだ。って教えてもらえました。
人生で初めてだったかもしれません。安心して学校に通えたのは。
前の高校ではどこにも自分の居場所がなくて、辛くてしんどくて。ネガティブな考えしか浮かびませんでした。
そんな自分が将来についてワクワクできるようになりました。
すごい成長です。

挑戦してきたことで特に心に残っているのは、課外活動です。
N高は課外活動・職業体験が充実していて、自分が将来どんな企業でどんな仕事をしたいのかを考える機会があります。
また、通学コースでも、自分の価値観を見直したり・自分の夢、将来を考える時間がたくさんありました。

課外活動で私はある企画に参加して、分野でいうと「コンサル・マーケティング」のような感じで、すでに存在するものをより良くするためには認知度を上げるためには。といったような企画内容でした。
ここが自分のターニングポイントでした。

たくさんアイディアが出てきて、今までになくその期間はいきいきしていました。
生きているな〜って実感できたし、時間を忘れて考えていました。
これこそ私のやりたいことだと思えました。

今までを振り返ると、中学校の理科の先生に対してコンサルしていました(笑)。
授業はすごく分かりやすいのに、上手にHRを運営できておらず…
むずむずして文に書き起こして、手紙を渡したのを覚えています。
今思うとおせっかいだし、意味不明な行動ですよね。
でもその一通の手紙のおかげでHRの運営方法は変わり、掃除の仕方まで変わるきっかけになりました。良い先生でよかった。

良いものがあるのにそれを知られていない・うまく行っていないということに対して、いつもほっておけない性格なのかもしれません。
例えば、上記以外だと好きだったアイドルに似合う番組やラジオ番組には頻繁にハガキを送っていました。

将来は良いものをもっと多くの人に届ける仕事をしたいです。
それがなんなのか。まだ見つかっていませんが、きっとN高との出会いのように突然訪れるものなんだろうな。

最後に

N高に入学するか悩んでいる中学生や高校生へ。

学校に行けない理由は様々あると思うけど、何事も身体と心が資本です。
これは私の経験からすごく実感していることです。

本当に辛いなら場所を変えて見てもいいと思う。
そこでもう少し頑張れそう。って思うなら頑張って見てもいい。
でも、学校がつらくて死を選んだり、ひきこもりを選択したり。
それはあなたにとっての幸せなのかな。一回心をまっさらにして考えて見てほしい。

今後どんなことしたいかな。誰に会ってみたいかな。行きたいところはどこかな。って考えてみて。叶うかどうかは別に。

私は辛い時に、お笑い芸人さんが好きだったんだけどこの人達の漫才見ないで死ねないと思ったのがきっかけでどうにかしてお母さんを説得できないかな。って考えるきっかけになったよ。

通信に行きたいけど、母が反対してる。
っていう人は、なんで反対してるのか探ってみて。

私は金銭的な問題と逃げることにつながるんじゃないかということだった。
そこで国の給付金は通信にも適応していることと、アルバイトで家にお金を入れることを約束して転入させてもらった。
アルバイトきつい時もあったけど、前の学校にいたときよりは遥かに楽だから頑張れた。

どこか説得できる線はないか探してみて。

それでも難しかったら、ここを参考にしてみて。

N高は様々な部活があります。
起業部・投資部・classH(勉強を頑張るところ)・美術部・マイプロ(部活とは少し違いますが、面白いことをしてます)など

この中から興味のあるものを選んでみてそれをやりたいから。という前向きな理由に変えるなど。色々方法はあります。

ここまで読んでくれた人には感謝しかないです。
全部で4171文字も書いていました。
ありがとうございます。
いつからどこからでも「挑戦」できるし、方向転換できます。
N高を卒業して何をするのかというところまで書ききれなかったので、次回そこについて書きます。
お楽しみに。

ほんとここまでついてきてくれた方に、何か完読プレゼントとか渡したいですね。
てことで、皆さんにファンクラブ第一号という称号をプレゼントします。
いらなくてももらうのはタダなのでね。

それではまたどこかで。
みんなが各々の幸せを見つけられますように。












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