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生い立ち(その3)

こんばんは。AIKAです。
前回の続きです。


私は大学に入り、それと同時に母と弟との生活が始まりました。
嫌だなと思っていましたが、予想通り、嫌なものとなりました。

この時、父はまた海外転勤が決まりましたが、弟の高校受験も控えていたので、父は単身赴任となりました。

その結果、我が家は母の天下となりました。
私は大学生だったのでバイトもでき、家にいる時間を調整したり比較的自由に過ごせましたが、
弟は反抗期真っ只中でしたので、頻繁に母と衝突していました。

感情で爆発する母と、理屈でひたすら詰めていく弟とで母が勝てるわけがありません。
「誰のおかげで生活できてると思っているんだ」という母に、「ただの専業主婦のお前に養ってもらってわけではない」と返す弟。

感情が高ぶると言ってはいけない言葉を言ってしまう母なので、言ってはいけない言葉で返されるんだろうと傍から見ていて思いました。

八つ当たりがてら、母の怒りの矛先が私に向くこともよくありましたが、その頃にはひたすら流すという技を自然と身に着けていました。

そんなある日、自分にとってはショッキングな出来事がありました。
それは夕方、ニュースで不妊治療が取り上げられていた時のことです。
不妊症から子供ができず、離婚したという夫婦の話題が出た際、

「子供ができないからという理由で離婚するなんてバカみたい。
 私はあんた達がいなくとも父さんと幸せに過ごせていた」

と母の口から何気なく発せられました。
この時、「あー、本当に私はいてもいなくても良い存在だったんだな」と痛感しました。
長年自分を悩ませていた自分という人間の価値が、あってもなくても良かったものであったと、はっきりと目の前に示されたような感覚でした。

もう20歳前後だったと思いますが、その日の晩、お風呂で大泣きしたのを覚えています。

この言葉だけは流石に流せませんでした。
ですが、その10年後、私はこの言葉に救われることになるのです。

続きます。

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