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生い立ち(その1)

こんばんは。AIKAです。

今日は私の生い立ちについてちょっと語りたいと思います。


東京生まれ。
両親は普通の人。父は会社員で、母は専業主婦。
父は貿易関係の仕事をしていたので、生まれてすぐに海外へ。
なので幼少期のボンヤリした記憶は海外です。
弟がいますが、その時に海外で生まれました。

5年ぐらいで帰国しましたが、数年後にまた別の国へ。

日本に戻ってきたのは高校生の時です。
ちなみに日本人学校だったので語学はサッパリです。
TOEICも500点あるかないか(ショボ過ぎる)。

両親は非常に仲が良かったです。
こう聞くと、恵まれた家庭のように見えるかもしれません。
実際、経済的に困ったことはなく、幼い頃から海外で色々なことを経験できていたので恵まれていたかもしれません。

ですが、

母は母自身のことが第一。

父は家族皆を平等に見ようとしてくれていましたが、
そうすると母がすぐ不機嫌になり、喧嘩腰になるため結局母を最優先に振る舞う。

そんな家庭でした。


私は幼少期からずっと「自分を一番に考えてもらえない」という寂しさがあったように思います。

なので、それはそれは頑張ってきましたよ。
良い成績取れば褒めて認めてもらえる、自立して良い子になればちゃんと自分のことを見てもらえる、と幼い頃から奮闘してきました。

でも結局、そうやって注目してもらっても、それは瞬間的なものであって継続しないんですよ。
頑張ったらその瞬間だけは自分を見てもらえる。
そんな感じでした。

父は母に、母が欲しがる宝飾品などを色々と買い与えてましたが、
私が欲しいものをねだると、父は「将来の旦那に買ってもらえ」と一言言って終わり。
その様子を見て、母は勝ち誇ったように「あんたも頑張って良い旦那さん捕まえなさい」と言ってくる。

そういう子供時代でした。
ちなみにこの話は中学生の時のことです。
普通、中学生相手にそんなこと言いませんよね…?


本当に両親が大嫌いでした。
中学生の頃、子どもが成人するまでに1000万かかるということをネットで知り、
「将来1000万貯めてそれを叩きつけ、一生縁を切ってやる」というのが人生の目標でした。

改めて考えても、これが中学時代の目標って相当ですよね。
そんな私に転機が訪れたのは、高校生になってからでした。


次に続きます。

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