どこか冷静で物静か、動じることなく自分のスタイルでいつもの生活をする。引き篭もることもなくアクティブで、時間の河を緩やかに渡り歩く。喋り方、見てる景色、穏やかな雰囲気、芯の強さと独りの意味を理解する脆さ儚さ愛おしさ。自分はセッカチで感情にムラがあり、いつも何かに追われてる。だからそんな人に憧れる。いつかなれる日が来るのだろうか
漸く逮捕されてオマエの気持ちは少し報われた?命と引き換えにするほどの価値はあったか?俺には何の意味も感じないぞ。なんて無駄で意味のないことをした?本当のところは、色んなことが面倒臭くなって逃げたかっただけだろ?それを正当化する為にゴミのような奴を盾にしたんだろ?俺はオマエのとった行動は許してないからな。ほんとバカな奴だ。
好きなことを仕事にしてる人がよく言われる "お前は自由でいいよな"って嫌味な台詞。この歳になると直接言われることはなくとも、未だにそんな空気を味わうこともある。その台詞の裏側には嫉妬だったり、好きなことを選べなかった自身の人生を肯定したい気持ちがその台詞に繋がるんだろうけど、自由人は組織やルールに縛られる不自由さを言い訳に出来ないからこそ、自分の中のルールでブレない気持ちを維持し続けないといけない
バブルの頃、日本のあらゆる企業は世界を先導していた。あれから30年、今、世界に誇れる日本企業は何社あるだろうか。逆にこの30年で何故ここまで世界との差が生まれてしまったのだろう。でも、これが日本人たる所以なのかも知れない。人の顔色を窺い、遠慮し、防衛策を盾に、痒いところに手が届くように手厚いサービスと親切。これがどうゆうことか。手取り足取り、人の為に尽くすことによって生まれる甘えと想像の欠如。考えさせることをさせない、ことなかれ主義の世界に新しく何が生まれよう。家電にしろ、車
何に対しても希望的観測に身を委ねる人と前向き思考な人が苦手だ。いかに限られた時間の中で現実的に何が出来るかを冷静に判断して目の前のことをしっかり地に足をつけて取り組むか。それ以上でもなければそれ以下でもない。遅かれ早かれ人は必ず死ぬ。時間はない。
綺麗事が大嫌い。 人は前向きとかポジティブって感覚なんだろうけど、それは違う。ただの綺麗事だ。 自殺は良くない、ひとりで悩まないで、生きていこうとか、こんな言葉で救える命があるとするなら、それは最初からそんな言葉がなくても生きていけるだろう。いのちの電話とか、自殺の記事には必ず記載されてるけど、見るたびにイラっとする。もうそのラインに立ってる人は誰にも相談しないし救いなんて求めない。そもそもいのちの電話になんて何の意味もない。掛けても繋がらないらしいし、相談に見合う人材も少な
例えば、平和なこの国から世界平和を唱えても、全世界の中で血の抗争がなくなることは歴史上あり得ないし、サステナビリティに対する意識が変化したとしても、人口の6割を超えることはないだろう。そして、ヴィーガン、ベジタリアンが牛耳る世界も生態系的にあり得ない。その現実的なことを目の前にして考えた時、自分はどうありたいかという姿勢だけが大切で、それを主張したり、強要したり、肯定や否定すらする必要はない。そんな姿勢から考えれば、マスクをしようがしまいが、ワクチンを打とうが打つまいが、そん
もともと喫煙者ではあったけど、今は煙草の臭いすら受け付けなくなってしまった。勿論、理解はあるけど喫煙者の近くには寄りつかないし、同じ空間では吸わないようにお願いする。 その感覚と近いのが、去年までミュージシャンとして生きては来たけど、今はミュージシャンという仕事もロックという言葉も自分の中では死語のように、そこでの価値観は冷め切って全て遠い過去のものになってしまった。あの頃、良かれと思って着てた洋服も、当たり前のようにしてた夜遊びも、今は何ひとつ心動かされることもなく、取り憑
何の為にやるのか 誰の為のものか 生業として成り立ってるか これが揃ってるから プロフェッショナルと言える 好きだからやってる これはただの趣味 趣味が誰かの人生に負担を与えるなら 今すぐ考え直すべきだ
もっと面白いかと思ってたけど幅も深みもない。すごく小さな町の大きな欲求な集まり。インディペンデントの感覚で階段を登ろうとすると、一番大事な部分を捨てていかなければならないのか。それは形式に当てはめた答えが最初からあるからで、人の心理的にも不安に対する安心の補填でしか物事を結論付けれないからだろう。
良くも悪くも人間的に魅力のないミュージシャンの奏でる音には名前がない。
戦争は勿論反対だ。でも、何故戦争が起こるのかと考えると、人種差別も迫害も貧困も何もない国の中で平和に生まれ育ってる日本人の自分には分かり得ない。では、そんなセーフティゾーンから平和を祈るのか、愛を乞うのか。自分にはこの矛盾した世界からは簡単にも発信は出来ない。嫌いなんだ LOVE&PEACEを掲げる芸術家は。それこそ薄っぺらい。
仲間、絆、感謝 この言葉をやたらと使う人って 薄っぺらいなって思ってしまう
夢を追いかけて、夢に向かって努力を重ねる。 そんな人のエネルギーやパワーをいつも羨ましく思う。羨ましい、、?というより、多分、冷めて見てるんだと思う。でも馬鹿にした視線じゃなく、ただ単に客観的なだけで、そんな人の活躍や実った時の姿には一喜一憂している。元々が冷めてるんだろう。その事について最近よく考える。子供の頃からきっと何かやることに対して100%の力で向き合ったことがないんだと思う。80%位出来たら、もう出来た気になって残りの20%を同時に別なものに傾ける。平均以上なとこ
喜びとか悲しみとか、沢山の感情を使ったり、努力とか勇気とか、色々な苦難を乗り越えたり、積み重ねて築いた自分、明日の事なんてあるようで、ただの希望的な予定で、今ただ息を出来てるだけ。人の一生なんて一瞬で儚いものに変わってしまう。
映画と違ってネフリの新聞記者は引き込まれた。と、同時に本当に胸糞悪くなる。これがフィクションなのかノンフィクションなのかは置いて、限りなく現実の世界で起こった事実なのは変わりない。そして国の出した答えは僕等の税金の中から一億やるからもうこの話は終わり、、、は?である。ハッキリ言って許せない。本当この国の政界は腐ってる。当本人の殆んど黒のグレーご夫婦はきっと今でも言うだろう。私たちは知らないし、そんなこと言ってない、と。それでまかり通る、まかり通す。心の痛みや苦しみすら持ち合わ