「息子の不登校」③ 〜公立小学校登校へ〜
今回は、前回までの
<不登校児童の親の受容過程>について
「息子の不登校」①〜はじまりと私の反応〜
「息子の不登校」②〜親の私がどうありたいか〜
の続きで、このシリーズは今日が最後です。
息子である長男が不登校をしはじめてから公立小学校へ登校する時の、親の私の過程について書きました。
今回は、少し長文となっていますが、休憩しながらお付き合いいただけたら幸いです。
2019年 小学2年生の頃
長男が不登校をしはじめた当初、怒りにまみれたままの私と長男のやりとりは、悪循環でしたが、この状態にあるという事についての私の解釈は
『長男にとって学校という社会に出る為に必要なだけのエネルギーを、親子関係や家庭環境で十分には感じられていなかった経験があるのだとしたら、やはり親子関係や家族関係においてやるべき大切なことがあるだろう』
として、親子関係家族関係の再構築に優先的に取り組みました。
不登校しはじめた当初、長男の気持ちは公立小学校へ行く事には全く向いていなかったので、学校へ行かない代わりにどのように過ごすかについて、子どもと一緒に決めたいなぁと、感じていました。
でも、そもそも文字を書くのが苦手で、宿題が嫌で、学校に行かない事にした長男ですから、本人が学ぶ事の楽しみや学んだりお勉強する事の大切さを感じられる為には、私がこれまでに無意識に持ち続けてきた
学びとは何か?
学びについて大切に感じている事
学びにおいて優先する事
などについて振り返って、今直面している子育て用に改めて明確にして、意識的に選択する必要がありました。
その詳細については細かくなり過ぎそうなので、上の3つを前提にした“私自身の行動の基準”として明確にしたことを書いておきます。
私と学校との関係性でやる事に決めたこと
子どもがいつでも公立小学校へ行きたくなったら行けるように、担任の先生には常に息子の今を認識していていただく事で、息子と学校との関係を繋ぐために
「公立小学校に登校していない息子がどのような経験をして過ごし成長しているかを、週に一度レポートにまとめて担任の先生へ提出」
私と長男の関係性における“私の軸”を明確にする
公立小学校で取り組む学習については、学校に行かなくても大切にする事。
それ以外は、息子自身が好きだと感じる事を優先し、やりたいと感じる事を実現できるように私はサポートする。(ここについては、長男の特性と子どもの学びの過程を踏まえた上で、10歳までは感性を育つ経験(感覚的刺激の体験)に重きを置いてもいいのかなぁ?という思いがありました。)
上のような行動の基準を明確にする時に、いつも私の力となっていたのは、今回で言えば私の目的地として選択した「軽さと自由の実感」でした。
この実感は、私が進む方向性を示す方位磁石のような役割で私の中にあり続けていました。
そして、この実感は前にも言いましたが、私個人だけではなく子どもや家族や学校の先生方の視点も含んでの目標として私自身が選択した実感でしたから、その都度ピンとくるもの、しっくりくるものを自分自身の内側で確かめながら、行動を選択するようにしていました。
この後実際に、長男は公立小学校に行かない時間の過ごし方を大まかに決めるにあたって、私と長男とで、県内外のフリースクールや私立の小学校に見学や体験に行きました。
その経験を2人で互いに話し合ったり、長男自身が過ごしたいと感じる場所や大切に感じる空間はいったいどんなところなのかを、一緒に体験しながら探しました。
私と長男では当然、同じ場所で同じ経験をして一緒に感じてみても、感じ方も経験も心地よく感じる基準も、力に感じる基準も違うわけですが、この一連の体験が出来たことで、私が長男の感じ方や彼なりの学びの過程を、より理解する事に繋がったと感じています。
長男自身の方向性が見えてきた
こういった一連の事を経験しながら、大まかに決めた1週間のスケジュールは
・月曜日は自宅や外出をして、学習したり体験をする。
・火曜〜金曜はフリースクールで過ごす。
・端末(学校の進度に沿ったもの)を使って、毎月の課題に取り組むことを最低限の学習とする。
でした。
その後の私は、長男のこの選択に沿って彼をサポートする立場を取ることを心がけました。
上記のスケジュールを決めるに当たって、長男と私はいろんな学校やフリースクールを訪ねてみたのですが、私から見ると、当時の長男は自分自身がイキイキと感じて学んだり体験して過ごしたい場所というよりは、安心して安全に自分としていられる居場所を好んでいたように思いました。
そういった居場所が彼にとってはとても大切なんだなと私が感じられた事は、大きかったと思っています。
人が、どのような基準で子育てをするのかは、往々にして無意識に自分自身が生きてきた経験を基準とすることが多いと思いますが、子どもたちが生きているのは、私たちが生きていた時代ではなく今である事を思うと、、、
今に生きている子どもと大人が、改めてその時そのときに、それぞれの感じ方や解釈を知り合い、今に必要な行動を選択していく事に真摯に向き合わなければ、双方のコミュニケーションや関係性にズレや歪みが生じるのは当たり前だなと、思いました。
こうやって、長男自身が向かおうとしている目的地はまだよく分かりませんでしたが、方向性は見えてきていました。
そう思いながら私は、当時小学2年生の長男に、ふと次の質問をしてみました。
「もし、何でも可能で、理想の学校があるなら、どんな学校に通いたい?」
と。
すると・・・
「(長男が籍を置いている校区の)公立小学校が、フリースクールみたいになればいい。」
と、キッパリ言い放ちました。。。
長男のこの言葉が、後の長男と私の人生の展開に繋がる方向性を示すものとなるのです。
2020年 小学3年生の頃
新しく担任となった先生は、不登校やオルタナティブ教育にとても理解のある先生で、積極的に今の息子のことを理解しようと努めてくださったので、息子自身と担任の先生との関係は、終始大変良好でした。
その為に私が行なっていた
「公立小学校に登校していない息子が、普段どのような経験をして過ごし成長しているかを、週に一度レポートにまとめて担任の先生へ提出」
は辞めました。
そしてこの年は、私から学校への希望としては一つだけ次のように伝えました。
「息子が在籍しているクラスの中に、息子が登校していてもしていなくても、クラスの一員として存在している雰囲気がクラスにあることを望みます。」
と。
そのように伝えた理由は、
一つは、息子が公立小学校に登校したくなった時に、いつでもできるだけ自然にクラスに溶け込めることを私が願っていたから。
もう一つは、そのような雰囲気のクラスがある事を息子自身が感じられることがあるとするならその時には
息子が不登校を選択して経験している事に対して、マイナスや汚点や後悔のような解釈ではなく、自分の人生の中で大切な一つの選択だったんだと、不登校の経験を生きる力にするきっかけや助けとなる可能性がある
と感じたからです。
そして、長男は、日々、当初決めたスケジュールに沿って過ごしました。
2021年 小学4年生の頃
この年は、また新しい担任の先生に変わりました。
この時の担任の先生と私が初めてお話しした時たっぷりと時間を確保して下さいました。
そして先生は息子とまだ一度も会っていないにも関わらず、親である私の話を親身になって聞いてくださり、息子に対して担任として精一杯関わる気持ちでいてくださることが、感じられました。
この時の担任の先生は
「学校に少しでも来てくれさえすれば、私も教員を長くやって来ましたから、いくらでもやりようがあります。放課後少しでもいいので、学校に来ませんか?」
と、笑顔で明るく気さくに言ってくださいました。
そして、そんな先生と会う機会を、私から息子にも提案しました。
息子も少しずつ先生に心を開いて行き、フリースクールからの帰宅途中に公立小学校に立ち寄りました。
そして、たびたび息子と先生は2人で放課後の教室へ行って時間を過ごすことを重ねていました。
2021年 公立小学校へ登校する事になったきっかけ
そのように過ごしていた、2021年の春、突然のことだったのですが・・・
私の実の弟の病気が見つかって、私がドナーとなることになったのです。
私がドナーとなる事に、家族はみんな賛成してくれました。
しかしそうすると、私が1週間の入院を余儀なくされることになる為に、当時自宅とフリースクールで過ごしていた長男と、これまで通りに過ごすことも、フリースクールへの送り迎えも、一切出来ない事になります。。。
私の入院期間の長男の過ごし方をどのようにするかについて長男に話す前に、私はいろんなパターンを考えました。
内心、できることならこの機会を長男が次のステップへ踏み出すきっかけにできたらいいなとは思っていましたが、具体的にどのようにするかのアイディアが、なかなかスッキリと見えて来ませんでした。
そこで、どうするのか答えが見つからないまま、私は担任の先生に私が入院する事を話してみる事にしました。。。
すると、、、先生に話しているうちに、この機会を長男が次のステップへ踏み出すきっかけにする具体的なアイディアが、閃いたんです!!!
それは・・・
『当時「月曜日は自宅で学んで過ごす。火曜〜金曜はフリースクールで過ごす。」をしていた長男が、私の入院を機に公立小学校へ通学する方向への完全移行を試みる!』
というアイディアでした。。。
私がこの事を思いついて話した時、担任の先生はとても驚いていましたが、、、
私の中では
☆命懸けでこの機会を私たちにくれた弟の命を通しての意思
☆これまで公立小学校ではない場所での学びをたくさん経験して、たくさん考えて、たくさん学んできた長男自身が蓄えてきた力
☆「公立小学校が、フリースクールみたいになればいい。」と言い放った長男の本心に、どんな想いが込められていたかは定かではありませんが、、、少なくとも、公立小学校そのものに拒絶反応を示しているのではないと、私は感じたから
☆当時の担任の先生が、その立場から長男の育ちに親身に関わり続けて下さっている事を100%信頼する気持ち
こういったことから
『このアイディアは、長男の人生に活きる事はあっても無駄にはならない』
と感じられました。
そして、長男に
『私が1週間入院することを機に、公立小学校へ通う事』を提案しました。
提案する時に伝えたのは、上に書いた私の気持ちそのものですが、その時に長男に伝えた言葉を思い出しながら書いてみると・・・
・ママは、弟の命を助けたいから、ドナーになる。そのことに、あなたも賛成してくれてありがとう。
・ママが入院する1週間、あなたと一緒に過ごしたりフリースクールに送り迎えする人がいなくなるんだけど、今回は1週間もあるから、あなたを1人で家に置いておく事はママもパパも今回はできないなと思ってる。
・色々考えたんだけど、あなたはこれまで公立小学校ではない場所での学びをたくさん経験して、たくさん考えて、たくさん学んできたから、今のあなたはもう2年前のあなたとは比べものにならないくらい成長していると思ってるよ。だから、今は、公立小学校での経験もちゃんと力にする事が出来るとママは思うんだけど、あなたはどう思う?
・公立小学校に通う事にする時に、困ったり大変だったりする時は、これまでと同じようにママも学校の先生もいつでも相談に乗るし、サポートするよ。だからなんでも言って欲しい。
・今すぐに決めなくてもいいから、考えてみて〜。しばらくしてから、お返事を尋ねるからね。
というような感じでした。
しばらく考えた長男の返事は「やってみる」と返事をくれました。
後に、教えてくれましたが、長男はこの時、ものすごく悩んで考えて勇気を振り絞って決断したそうです。
2021年 公立小学校への復帰とその後
私の入院時期を考慮して、長男が公立小学校に登校し始めるのは、
2021年9月1日からと決めて、長男と私はそのつもりで夏休みを過ごし、無事に公立小学校に再び通いはじめました。
2022年も引き続き同じ担任の先生が長男のクラス担任となってくださいました。
そして2023年7月現在、新たな担任の先生に変わりましたが、2021年9月からはずっと公立小学校に通い学んでいます。
長男の、文字を書くのが苦手な特性は変わりないままで、自己努力で経過しています。公立小学校へ再び通い始めた頃は学校に登校する事を目標とし、徐々に宿題にも手をつけはじめて、毎日取り組むようになりました。
6年生になってからは担任の先生の励ましもあって、自主学習にも積極的に取り組む姿が見られています。
学校では、お友達とぶつかる事もあり、気持ちを言えずに鉛筆を折ってストレス発散する事もあったようです。
ですが、その都度必要な学びができるように担任の先生がいつも目を配り関わって下さっている事に、大変感謝しています。
家庭での学びに限界のある社会性の学びについて、学校で育むことが出来ている現状は、親としては本当にありがたい限りです。
現在の、6年生の担任の先生と私の面談の時に、私がお伝えしたのは
「長男が不登校をする前は、彼自身の特有の学びの過程が私には見えていなくて分かりませんでした。今も、詳しくはわかりません。でも、彼なりの特有の学びの過程がある事が今は分かってきたので、その過程をサポートできる関わりを大切にしたいと思っています。そして、本人が自分の気持ちを溜めがちなところがあるので、溜め込みすぎて爆発するやり方ではないやり方の選択肢が増えるといいなと思っています。」
でした。
すると先生から、すぐに
「はい、私もその点は配慮して、あるグループメンバーを決めました。」と、話してくださいましたから、恐らくこの時点で既に担任の先生がどれほど長男のことを把握して下さっていて、無数にある日々の学校の活動の中で、長男にとっての健やかな学びの機会を工夫して創って下さっているかを感じました。
私自身は、毎年変わる担任の先生に対する子ども反応に、長男が不登校を経験して以来、少々過敏になっているところがありますが、、、
このようにして、学校生活にある一つ一つの活動を、生徒一人一人の現状とテーマと目標に沿った学びの機会として活かしてくださる先生の対応というのは当たり前ではないかもしれませんし、もしかすると貴重な燻銀の技なのかもしれませんが、、、本当にありがたいです。
たくさんの出逢いとその後
長男と私が出逢ったそれぞれの先生方と長男の関係性は様々でしたが、どの先生方も精一杯に長男に関わって下さったと思いますし、そのままの先生方のあり方や行動の選択が、長男と私の育ちには必要だったのだと、今は思います。
今の私も引き続き、長男はもちろん長女と次男との親子関係の変化変容に翻弄されたりしますが、今は数年前よりも肩の力を抜いて子どもたちとの関係を楽しめています。
そして、子どもたちの社会的自立に向けた教育の現状において、思う事ややりたい事や願いなども様々ありますが、そちらもライフワークや活動を通して、日々進行中です。
自分として今に生きる事を通して、大した事を引き受けられませんし大いに限りもありますが、出逢うことができた子どもたちはもちろん、多くの大人のみなさんと、こうしてnoteをみてくださるみなさんが居てくださる事は、私が今に生きる力となっています。
また、いくつものフリースクール等の方々にも支えていただいたことで、今の私たち親子がいます。また、公立小学校の校長先生や教頭先生、スクールカウンセラーの方や事務職の方、教育支援センター長や心理士の方にも、それぞれのお立場から精一杯に、あたたかく対応して頂けたことは、本当にありがたかったです。
そして、長男の通う学校は小規模校ではなくマンモス校でしたが、長男の個性に沿った指導や学びの機会が得られることが不可能ではないと分かったことは、私が教育に対して希望と可能性を持ち続ける事に繋がっています。
その事は、無意識のうちに子どもたちが生きる上においても、希望と可能性を感じられることにも繋がると思っています。
もうひとつのストーリー
いかがでしたでしょうか?
長男の不登校に直面した私の受容過程を中心に、4回に渡って書きました。
不登校という現れは、それぞれに個別性の高い現状があることと思いますので、誰かの今に力となるように書けたかはわかりませんが、親の私の受容過程を中心に読んでいただけると『不登校児童の親の受容過程』の共通点などを捉える参考にはしていただけるのかなと思っています。
そして、実は、長男と私のストーリーの背景に
もうひとつのストーリーがありましたので、ご紹介します。
この長男が小学1年性の時に宿題をやりたがらない様子だった頃から、私は子どもの学びや育ちについて情報収集していていろんな方とお会いしていました。
そんな中、2018年11月30日に
私は子どもの教育に関わることに着手していくんだ!
と、直感しました。。。(笑)
直感したと書きましたが、「やらなきゃなぁ」とか「やるべき事だよなぁ」とかではなく
「この事は私の人生で、私が引き受ける事だ!」と、・・・雷に打たれたような経験でした。結婚相手と出逢った時にもそんな経験をした事なかったのに(笑)。
その直感は、私の意思や考えとは違う所から湧いてきた(?)感じで、震えて怖いと感じるくらい大きな経験でした。。。
だって考えてみたら・・・今の日本社会に君臨する公教育の現状に、関わっていくことを、引き受ける事だったのですから。。。(汗)。
その直感の後、長男が不登校を選択する事になるのですが、、、
その長男がいつだったか
「公立小学校が、フリースクールみたいになればいい。」
と、素直に言い放った気持ちと、この時の私が感じた直感には、まるで
“今に共に生きている共通の意図”
があるかのようにも感じたので、私だけではなく長男や家族やそれ以外の方々にとっても意味のある、大切に扱うべき事として受け取りました。
そんな事と同時に、不登校や子どもの育ちに関わる多くの方々の、さまざまな流れを組んだ形で、
2021年7月に一般社団法人フリースクール等連合会が設立し
『すべての子どもたちの社会的自立を支援するすべての大人の連携を大切にし活動』しています。
(以下にホームページ添付)
また、フリースクール等連合会の設立経緯を含む詳細につきましては、
フリースクール等連合会の監事である、大分大学教育学部准教授の宮崎好治先生がまとめて下さったものがありますので、ご参照ください。
(以下にPDFを添付しますが、もしダウンロードできなかったら、お手数ですが以下の公式LINEからメッセージをお願いします)
最後に
長男の不登校を経験した私の受容過程について、長文を読んでいただきありがとうございました。
文字にすることで、表現が限られるところはありますが、私自身が丸裸で向き合ってきた子どもや様々な大人の方々との関わりが、どなたかの力に感じていただける事があるなら嬉しいですし、これからも何度でもお話ししていく気持ちでいます。
今後、実際に子どもたちの育ちや親子関係や学びの事に直面している方とお会いできる機会をつくる事も考えていますが、今のところ未定ですので、決まりましたら以下よりお知らせします。
ご興味がある方は、公式LINEにご登録しておかれると、早いタイミングでお知らせを受け取っていただけます。
このシリーズは、終了です。
ありがとうございました。
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〈不登校の親の受容過程〉今井愛まとめ参照 (noteのコピペ)
1、依存期
1)自分と子どもの同一性
子どもの現状を問題として解釈する
子どもの何かを変えようとする
子どもの何かを知ろうとする
2)移行期(親役割り認識の崩壊)
生きる気力の減退
『問題解決思考』の限界に直面
子どもに対して『問題』から『健全』の解釈へ移行
自分に対して『問題』から『健全』の解釈へ移行
2、自立期
1)自分と子どもの分離性
自分を生きることに100%焦点を当てる
自分として生きる人生を柱に、自分と子どものありたい関係性を選択する
2)創造期(親役割り認識の再構成)
子どもと自分、べつべつの視点からそれぞれの現状を把握する
子どもと自分、べつべつの視点からそれぞれ今の目標を明確にする
子どもと自分の日常生活で優先する行動を優先する生活を試す
3、関係性の継続期
生存と親子家族である意味や喜びの拡大
現状把握
目標を明確化
日常生活で行動を試す
上記の定期更新