<不登校児童の親の受容過程>について
2019年からの2年間に経験した私自身の「不登校児童の親の受容過程」について、次回から何回かに分けて投稿する予定です。
できる限り分かりやすく丁寧に記したいと思いますので、以下の文献を主に参考にしながら記してみます。
またここでは、私の経験とこれまでに関わらせていただいた方々の受容過程も踏まえて「不登校児童の親の受容過程」をまとめて、記しました。
主な参考文献
<1>
世界的なベストセラーとなった「死ぬ瞬間」の著者、エリザベス・キューブラー・ロスが唱えたモデル。死にゆく人の心理の変化の5段階。
1.否認と孤立
2.怒り
3.取り引き
4.抑うつ
5.受容
<2>
発達障害児をもつ親の障害受容過程についての文献的研究
より主に
(以下引用)
上田(1980)及 び,玉井・小野(1994)の定義を基に,「障害児をもつ 親における障害の受容とは,あきらめでも居直りでもなく,障害に対する価値の転換であり,いくつかの時間的経過を経て,障害児の出生という,親個人にとっての喪失体験である状況を克服し,最終的には障害をもった子どものありのまま全てを受け入れることと,それまでの 過程を含むものである」とした定義を採用する。
(引用おわり)
<3>
教育哲学者である苫野先生の著書
「愛」
苫野一徳 著 講談社現代新書
愛とは、という壮大な問いに取り組まれて言語化して下さっているこの著書から、我が子や人や自分自身に対する愛について、深くかつ客観的に見つめる機会をいただいた気がしています。私は哲学的な表現にはなかなか慣れませんが、私なりの解釈から参考とさせていただきました。
<4>
ミシェルニューポートがまとめた「無限レンズ」のモデルより
関わるすべての人の認識拡大の過程にあるテーマとして以下を参照しました。
1、可能性の実感 2、現状への解釈 3、アイデンティティー 4、使命
◆ ミシェルニューポートがまとめたe-bookが無料ダウンロード可能です。
<不登校児童の親の受容過程>をまとめるにあたって
日本では、不登校児童数が増加の一途ですが、この現象は今を生きている私たちに、何を投げかけているのでしょうか?
不登校児童数の増加が、今の時代を生きる大人と子どもに共通のテーマを投げかけていると解釈することで、みんなが今に生きる方向性のようなものが見えて来るのではないか?と考えました。
そこで、今を生きる大人と子どもに共通のテーマの仮説を以下のように2つ立てました。
今を生きる大人と子どもに共通のテーマの仮説
☆これまでの問題解決認識を活かした創造認識へのシフト
☆現在の経済競争の認識を活かした循環型社会の創造への取り組み
ただ、ここにあげた表現は、あまりに漠然とした大きな枠かと思うので、これについてはまた別の機会に細かく書いてみたいと思いますが、ここでは「不登校児童の親の受容過程」を以下のようにまとめる背景に上記の2つの事があり、特に一つ目の☆が色濃くたなびいているように感じます。
さらにそれらの前提として、私の人生の基盤にある考えは
これまで地球社会の営みの最善が今の世界ならば、今の世界事情の責任を引き受けるのは、どの時代においても「今を生きている私たち」でしかないだろうと言う事です。
そうであるならば、今の世界事情を一人ひとりが可能な限り引き受けていこうじゃないかと、、、そう思っています。
また、以下の解釈は飛躍しすぎかもしれませんが、、、
不登校児童数の増加という声にならない声を精一杯社会に示している子どもたちの表現は、そのような社会全体の共通のテーマにおける責任を引き受けている現れの一つではないかとも思えます。
今を生きる大人のひとりとして、そういった子どもたちの声を聞き入れて出来る限り拾い、自分の責任として引き受け、何かしらの行動を通して、地球社会に還元していこうという気持ちでいます。
一人ひとりが今よりほんの少しずつ、自分の責任として感じた何かを引き受けて生きることが一般化したその結果、いつどのようにこの地球社会に形づくかは分かりませんが、今すでに☆に挙げたような変容が起きていて、この地球社会に形づいている過程にあるとするならば、今に生きている誰かに届くように呼びかけていたいと思います。
またここでは便宜上「親役割を子どもの社会的自立(形の基準によらない)をゴールとする」としてまとめました。
よって「子どもがこの世に生を受けてから社会的自立をする間には、親子関係においては無数の『依存から自立の過程がある』」という前提で、その中の一部として不登校を経験した場合の受容過程としてまとめています。
〈不登校児童の親の受容過程> (今井愛まとめ 2023年7月現在)
1、依存期
1)自分と子どもの同一性
子どもの現状を問題として解釈する
子どもの何かを変えようとする
子どもの何かを知ろうとする
2)移行期(親役割り認識の崩壊)
生きる気力の減退
『問題解決思考』の限界に直面
子どもに対して『問題』から『健全』の解釈へ移行
自分に対して『問題』から『健全』の解釈へ移行
2、自立期
1)自分と子どもの分離性
自分を生きることに100%焦点を当てる
自分として生きる人生を柱に、自分と子どものありたい関係性を選択する
2)創造期(親役割り認識の再構成)
子どもと自分、べつべつの視点からそれぞれの現状を把握する
子どもと自分、べつべつの視点からそれぞれ今の目標を明確にする
子どもと自分の日常生活で優先する行動を優先する生活を試す
3、関係性の継続期
生存と親子家族である意味や喜びの拡大
現状把握
目標を明確化
日常生活で行動を試す
上記の定期更新
まとめ
子どもの不登校に直面した親が通る過程の共通を捉えてみたところ、今の段階では
「親の子どもへの関わり」と見る認識から
「親自身の人生と子どもの人生との関係性創造」と見る認識への変容過程である
と、感じられ、上記のようにまとめました。
まとめの通り、不登校児童との関わりを経験した親御さんはもちろんですが、その他学校関係の方や子どもの社会的自立を支援する多くの方々の、日々の社会への貢献や営みの過程を拝見すればする程、直面する事情は異なっても
関わる方々の健康的な変容が起きているところには、文頭の☆で挙げたように
『問題解決認識を活かした創造認識へのシフト』という共通の変容の過程があると感じています。
そして今まさに不登校児童に関わっている方々が、自らを含む社会全体の過程全体を認識する視点から行動を選択するパターンは、私たちが意識する以上に、不登校児童だけでなく関わる方々や社会全体にも健全で健康的なあり方を育つ方向へ、様々な影響をもたらして下さっているように感じます。
具体的に言うと、、、当然のことながら
◯大人の日々の一つ一つの行動の選択パターンは、子どもから見ると、自立した大人の生き方の見本そのものでしょう。
◯自立した大人の生き方は子どもが過ごす場の環境となっています。
◯大人が行動や言動や関わりをするしないに関わらず、そこにある環境は常に、子どもの「自立への方向づけ」として影響していると言えるでしょう。
今、公立の学校以外の子どもの居場所や学び場として、公立学校特有の形ではなく家庭環境のような雰囲気だったり、自然に溢れる環境の中で居場所を運営をするところが増えていますが、それは人以外の環境の力を大いに活用して、子どもたちの社会的自立を支援する環境利用の一つだと思います。
一方、公立学校が公立学校である為のあらゆる法的や慣例的な行動や形の基準は、子どもはもちろん大人の健全な育ちにおいても、人という存在として生きる営み自体がサポートされているものとは感じにくい形としてまだまだ残っていることは、否めません。
ですから、現状の基準の変化への取り組みと同時に、公立学校であれその他の学びや子どもの居場所であれ
子どもの育ちの環境となりうる大人の私たちが、今という一瞬一瞬に、どのような認識と視点を意識的に選択して行動するかは、子どもたちの社会的自立の力となる環境となる意味でも、とても重要なことだと思えます。
そして、その環境をこの社会に創る為には、誰かではなく、今を生きているみんな、一人ひとりの力が必要だと思っています。
子どもも大人も、共に今を生きる事においては、みんなが初めての経験です。
ですから、誰もが初めての、時には衝撃的に思える事情に直面する事もあるでしょう。
そういった意味でも、いつでも新鮮な気持ちで現状を把握しながら、今を生きるみんなと一緒に生きていたいと思います。
以上は、現段階の私の表現です。
今後も探究をし続けて行く中で、洗練していきたいと思っています。
いつも読んでいただきありがとうございます。
次回から、「長男の不登校」を経験した私の受容過程について書いていきます。