「息子の不登校」② 〜親の私がどうありたいか〜
今回は、前回までの
<不登校児童の親の受容過程>について
「息子の不登校」①〜はじまりと私の反応〜
の続きとして
次の私の目的地はどこか?
が気になって来たところからの話です。
『親の私が、どうありたいか?』
次の私の目的地はどこか?についてですが・・・
『親の私が、どうありたいか?』の答えが、私自身の目的地になると思い自身に問いかけました。
この問いは、親の私だけではなく長男はもちろん、子どもたちの育ちや学びに関わる
『関係するみんなが、どうありたいか?』も含んだ私の答えを導く問い
でした。
そして、この当時、この問いに答えた私の表現は
「軽さと自由の実感」でした。
長男の不登校以前の私
長男の不登校は2019年9月1日からはじまりました。
2008年に初めての出産から2019年までは、いわゆる出産期から育児期に当たる11年を経験し、そろそろ仕事へもう少し力を入れて行きたいなぁと思っていた矢先の、長男の不登校でした。
この頃の私は、
仕事に力を入れて行きたい気持ちでいっぱいだったはずでしたが、
息子の不登校を目の当たりにしたことで、自分の想いは即座に仕舞い込んで、長男の事に対応する生活にはまっていたというのが、現状でした。
そして、今思えばこの頃の私は
仕事に対する情熱と欲求が抑えられずに、止めどなく湧き上がる情熱と要求を仕事に向けることも、抑える事も、昇華することも出来ずに「怒り」として感じるようになっていたのかなぁと、思っています。
長男の不登校以前の長男と私
2017年 保育園
長男は、好きな遊びには熱中する傾向はあって、遊びに熱中してご飯を食べない日があった事がありました。
また、長男が通っていた保育園は在園中には文字を書かない方針だったので、文字に興味を持っているのか持っていないのかの判断が、その頃の私にはつきませんでした。
また、この一年は私が「親の会」の会長を引き受けて奔走していて、長男に寂しい思いをたくさんさせていたのかもしれません。私はこの時に長男の気持ちを見過ごしてしまっていたのかなぁと、振り返ると思います。
2018年 小学1年生
初めの頃から、長男は「宿題をしたくない」と、学校からの文字や算数のプリントを家でやりたがらず、やりたがらない長男を宥めながら宿題をすることに、私は困っていました。
その頃の長男は、家では落ち着いて椅子に座らずすぐどこかに遊びに行ってしまいました。ただ、書いた字はしっかりしているように見えたので、それほど心配していなかったのです。
でも、段々と宿題へ向き合うことも嫌がり始めたので、担任の先生に相談をしたところ「学校に元気に来てくれればいいですよ〜。無理に宿題をしなくても大丈夫です〜!」と明るく言っていただいて、私は「え〜!そういう解決?」と思いながらも、内心私が宿題から解放されてホッとして、そのまま様子を見ていました。
2019年 小学2年生
担任の先生が変わり、新しい先生と顔を合わせた1学期の第一日目に、能面様の顔で帰宅しました。先生との相性以外に何かがあったのかは今も分かりませんが、そこから段々と学校に行くのも嫌がり始めて、とうとう2学期の初日、9月1日から不登校を選択したのです。
不登校をはじめた頃の長男の様子
家にいる長男は機嫌が悪く、私とも夫とも目をほとんど合わさず、自分を閉ざして人と距離を置くように振る舞っていました。
その理由を聞いても長男は怒るばかりだったので、本人も分からなかったのでしょう。
そんな風に振る舞う息子の行動の原因が、わからないことに私は苛立ちを感じて、自分の状況に対しての「怒り」に塗れていた時でもあったので、この時期の長男と私のやり取りは見るからに悪循環の火の車でした。
この頃、学校の先生は家に時々来てくれたのですが、息子は無表情で目を合わせませんし、そんな状態にも関わらず何度か学校に来るように誘われていました。
私も長男がどうするのかの反応を知りたかった気持ちもあって、一度は長男を車に乗せて学校に行っては見たものの、長男の足は教室へ向くことはありませんでした。
そこで、子どもが学校に行くことについて、私が一旦諦めました。
不登校前の、親の私と息子の関係性を背景に振り返ってみると
長男が学校に行かなくなった時には心も行動も閉ざしている様子でした。
その時に、息子が家出をしたり、家族以外の誰かを頼ることはせずに、家にいる事を選択した
という事は、長男にとって、その行動を選択することが自然に感じられるくらいには、うっすらと親子の信頼関係は残っていた感じだったのでしょうか。
そんな事態を目の当たりにした私としては
『長男が学校という社会に出て楽しんだり活動する気力ややる気やエネルギーが低くなっているこの現状の根底に、長男にとって学校という社会に出る為に必要なだけのエネルギーを、親子関係や家庭環境で十分には感じられていなかった経験があるのだとしたら、やはり親子関係や家族関係においてやるべき大切なことがあるだろう』
と解釈していて
『自分の仕事はさておき、私が最優先するのは、息子との関係性の再構築だ』
と感じたのでした。
*参考までに、当時のブログを添付しておきます。今回とはまた違った視点から書いていました。
「子どもが学びの場を選ぶという選択」
の題で何回かに渡って書いています。
長男の閉じていた心が開きはじめたきっかけ
文頭で
『親の私が、どうありたいか?』の答えを簡潔に答えると
「軽さと自由の実感」だったと言いましたが、、、
長男が再び心を開きはじめたのは、この実感を選択をしたところからだったように感じます。
「怒り」にまみれたままの私と長男のやりとりは、悪循環でしたが私の目的地として「軽さと自由の実感」を選択してから、私が意識的に行ったのは、私の正直な気持ちを伝える事でした。
ここから次第に、私と長男の新たな関係性が構築されて行ったように思います。
そして、新たな信頼関係を築きはじめて、長男に笑顔が戻ってきた頃、長男の学びの時間をどのように過ごすようにするのかについて、一緒に考えて決めていくことにしました。
実際には、県内外のフリースクールや私立の小学校に見学や体験に行き、長男自身が過ごしたいと感じる場所を探しました。
その結果、いつでも再検討できる前提で、大まかな1週間のスケジュールを下のように、一緒に話して決まりました。
「月曜日は自宅で学んで過ごす。火曜〜金曜はフリースクールで過ごす。」として、それに沿って私は長男のその選択をサポートすることにしました。
こうして、不登校を機に新たな生活パターンを実践することがはじまりました。そしてそれ以降も、私の中での「軽さと自由の実感」は、私と長男と関わるみんなの目的地の方向性を示す方位磁石のような役割で、私の中にありました。
つづく
〈不登校の親の受容過程〉今井愛まとめ(以前のnoteのコピペ)
1、依存期
1)自分と子どもの同一性
子どもの現状を問題として解釈する
子どもの何かを変えようとする
子どもの何かを知ろうとする
2)移行期(親役割り認識の崩壊)
生きる気力の減退
『問題解決思考』の限界に直面
子どもに対して『問題』から『健全』の解釈へ移行
自分に対して『問題』から『健全』の解釈へ移行
2、自立期
1)自分と子どもの分離性
自分を生きることに100%焦点を当てる
自分として生きる人生を柱に、自分と子どものありたい関係性を選択する
2)創造期(親役割り認識の再構成)
子どもと自分、べつべつの視点からそれぞれの現状を把握する
子どもと自分、べつべつの視点からそれぞれ今の目標を明確にする
子どもと自分の日常生活で優先する行動を優先する生活を試す
3、関係性の継続期
生存と親子家族である意味や喜びの拡大
現状把握
目標を明確化
日常生活で行動を試す
上記の定期更新