自分後回しの人生に気付いて自分らしく生きるには~働くことへの脅迫観念を手放す~
こんにちは!姫慈真あいです。
今日も私のブログをお読み頂きまして、ありがとうございます。
最近、自由に自分を表現するこのブログを書くのが少しずつ楽しくなって来ました。自由に表現するって、音楽でも絵でも文章でも、好きだなぁとシンプルに思えています。
さて、今までの私はどちらかと言うと常に「お金を稼ぐこと」「ライスワーク」にフォーカスして生きて来ました。とにかく、お金を稼がなければならないと思って生きて来ました。
それは単にお金が大好きと言うのもありますが。それだけではなく、家族の中で自分だけはお金を稼がなければならないと言う信念を持ち、それによって給料の高い金融業界を選び働いて来ました。
35歳で会社を辞めてコンサルタントとして起業した時も、「お金を稼ぐことを支援すること」が至上命題だったように思います。コンサル業は今でも大好きですが、コンサル業も「売上UP」を支援すると言う意味では「お金」です。
さて、ライスワークを生活のためにすることは、誰しも経験している事だと思いますが、私の場合「働かなくてはならない」が強すぎて、いつしか強迫観念のようになっていました。
それは、自分を追い詰めてハードワーカーにしていたし、大きなストレスになっていました。
今でも「働かなければ」と言う強迫観念に襲われることがあります。
それだけ私の働かなくてはならないと言う信念は強いものがあります。
お金を稼がなければならないと言う信念を持った理由
私には2人の兄と姉がいます。長男、次男、姉、そして私と言う4人兄弟です。私は長女ではありません。しかしながら、私は兄弟の中で自分だけはしっかり稼がなくてはと思って人生前半を生きて来ました。
理由は、長男は30歳まで演劇をやっていて稼いでなかった。
姉は大学を辞めて音大に入り直し、30代まで音大に在籍していた。
次男も色々あって・・・
えーっと、皆自由ですねぇ。好き勝手やってますねぇ。
と、それでにこやかな家族と言うことで終わってくれれば良かったのですが、私は思春期にボロボロになった家族が、その後なぜ自分以外の兄や姉が稼ぐことに熱心にならず、自分がやりたことをしているのか。それが親に経済的な負担をかけている。と、思って常に怒っていました。
(今思うと親への愛はすごかったものの、自分は後回しだったとあらためて思います)
皆が好き勝手しているなかで、自分だけはしっかり稼がなければ。そして、家族に何かあったら自分がお金を出すくらいにならなければと勝手に家族を背負っていました。
誰にも頼まれていないのですけれどもね。
頼まれてはいないものの、20代、明らかに私は家族に何かあったら私がお金を出せるようにしておこうと思っていました。
小さい頃から4人の子供を育てて大変そうな母に甘えるのを禁止した私は、母に迷惑をかけまいと気を使って生きて来ました。そして、20代になると他の兄や姉の分まで働いて、大変そうな母を海外旅行に連れて行ったりしていました。姉にバッグを買ってあげたこともあります。私にとってはそれが当たり前でした。
いずれにしても、私は20代で長女のような長男ような一家の大黒柱のようなマインドで生きていました。
幼少期母に甘えたかった思春期親に頼りたかった。自分の幼少期思春期の感情と向き合う中で、甘えたかった自分の感情が出て来て、それを全て抑圧して来たことが分かった私ですが、私の場合、それに上乗せして「自分だけは家族の中でしっかり稼がなければ」と言う一家の大黒柱のような考えを20代持っていました。
幼少期本当は甘えたかった。
思春期本当は頼りたかった。
そう言う依存心を全て抑圧して、20代を迎えた私でしたが。
私は更に自分を追い詰めて家族のためにと言う強迫観念すら抱いて働いていました。金融業界を選んだのもシンプルに給料が高いから。そうすれば家族に何かあってもお金が出せると思ったのでしょう。
私は末っ子ですが、関係が浅い人に末っ子だと思われることはまずありません。しっかりしてそう。強そう。頼れそう。守ってくれそう。おおよそそのように言われます。関係性が近くなると私の末っ子ぶりは出て来るものの、基本的にはしっかりしてそう、強そうと言われるのがデフォルトです。
確かに幼少期から甘えず家族の中で自分だけがしっかり稼がなくてはならないと決めて、24時間働くことが自分のアイデンティティだった私は末っ子臭がしないのでしょう。
私は人生前半、歯を食いしばって頑張り過ぎたなと改めて最近思えるようにはなりましたが、この私の生き方は、さすがに自分自身への負担が大きい生き方でした。
私は今、43歳なのですが、昨年42歳で会社員を辞めて限界を感じた時、「人生って長いな。江戸時代だったら50代半ばが平均寿命だから人生早めに終えられるのに、私の人生はまだ続くのか。まだ生きなきゃいけないのか。疲れた。疲れた。疲れた。」と毎日思っていました。
心理学を学ぶ中で、「〇〇しなきゃいけないと言うのは=したくないこと」と学びました。
要するに長年「働かなくては」と思っていた私は、本当はしんどくて「もう生きたくない」と思っていたと言うことでもあります。
疲れたから生きるのがしんどい。
振り返ると幼少期甘えず20代から家族を背負って、生きて来た私は40歳過ぎたら力尽きてもそれは仕方ないと今では思える訳です。
さて、そうは言っても、私が学んでいる心理学では「すべては自作自演」と言います。要するに私が家族のために働くことを選んだ訳ですし、家族は私に家族のために働いてくれと頼んだ訳ではありません。
なので、私が自ら家族のためにしっかり働いて、何かあったらお金を出せるようにしなければと思って、自分を後回しの人生を送って来ただけなのです。
切ないですよね。切ないですよね。
自分を後回しにて自分を追い詰めて頑張り続けて来た私が、その自己犠牲と自分後回しに気付いたのは実はこの1年あまりのことです。
本当に無念なのですが、本当に気づけませんでした。
それだけあいさんは家族への愛が深い人。
あなたは愛したい人。
そんな風に私が今学んでいる心理学の講座の仲間は「愛の視点」で私のことを見てくれます。
それは心理学の師匠が「愛の視点で見る」と言うことを教えて下さるからで、その見方をすると自分が愛したい人だったと言うことが良く分かり、自分の中の深い愛と繋がることが出来るからです。
ただ、私自身、まだこの家族の中で自分だけはしっかり働かなければならない。と言う強迫観念に襲われることがあります。
そうするとやはりしんどい訳です。
ただ、長年の思考なのですぐにはなくならないので、少しずつ手放していけば良いと思っていますが、しんどさは会社員を辞めてゆるゆる自営業をしている今も抜けていません。
甘えられなかった幼少期、頼りたかったのに頼れなかった思春期、家族ためにしっかり稼がなければと思って歯を食いしばって生きた20代、30代は家族のためが「子供のため」も加わったようにも思います。
私の人生を振り返ると、本当に自分を後回しだったなと思います。
いずれにしても、自分以外の家族のために自分を追い詰めて頑張ると言うパターンって本当にしんどいし、私はそれに気づくのにかなり時間がかかりました。
あなたは良い大学を出て、良い会社に勤めているのになんだかしんどい。それってもしかしたら問題を抱えていた家族の分まで背負っていたからかもしれない。と、このブログを読んで気づく方がいたら嬉しいな。と、思います。
自分を追い詰めて頑張って来た人は、追い詰めて頑張るパターンから抜け出せずにストレスをため込んでいることがあります。
結果として暴飲暴食だったり、パートナーとの関係性が悪化したりすることがありますし、私もそうでした。
ストレスが溜まり過ぎてお酒の量が増え、家に帰って暴言を言ってしまう。でも、自分にはなぜそこまでなってしまうのか分からない時期があって、それによって夫にもう離婚したいと何度も言われてました。
(この話はまた別の機会に書きます)
自分を後回しにしていたことにすら、気づけないほど自分は家族のために働くと言う信念を握りしめていました。
自分の過去のパターンに気付くことは、自分が自分を後回しにせず自分らしく生きること、もっと楽に豊かに生きることを許すこと。
私は自分を後回しにしない生き方はまだまだ模索中です。
それでも一旦、自分が自分を後回しにしていることに気付いて、家族のためにと言う思考を手放して行くことに取り組んでいます。
あなたも私と一緒に自分を後回しにしない生き方にシフトして行きませんか?
あなたが長年の自分を追い詰める癖、自分後回し、働くことへどうしてもしがみついてしまい辛い。そう言った観念を手放して自分らしく生きる道へ進むことを応援しております。
それでは、お読み頂きましてありがとうございましたー!
また、書きます!!
姫慈島 あい
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