日々の「当たり前」に感謝しながら生きる
東日本大震災から、今日で10年です。
結論はタイトルの通りです。
お時間ある方は記事をご覧いただきたいです。
今日は多くの方が発信されていると思うので、
その様々な情報に触れていただきたいです。 僕も触れます。
「自分の目で見たい」
僕が初めて東北を訪れたのは2018年の夏。
既に7年が経過していました。
それまで東北に特別ゆかりがあるわけではありませんでしたが、「現地の復興の様子を自分の目で見たい」と思い、ロードバイクで訪れること決めました。
もちろん夜行バスや新幹線で行ってもよかったのですが、当時の混乱や今も続く復興の過程を想像すると、自分だけ楽をするようで違和感があり、自分の力で訪問しようと決めました。
旅の過程については、また別の機会に書きます。
現地の光景
東北にはまだ震災の爪痕が残っていました。
壊れた堤防。
瓦礫の山。
汚染物と思われる黒い袋の山。
写真はほんの一部ですが、
異様な光景を目にし、何かSFの世界を訪れたような気分でした。
当時テレビで見た光景がフィクションではなかったことを初めて自分の目で見て、何も言葉が出てこなかったことを覚えています。
現地の笑顔
一方で、現地の人々との会話は対照的なものでした。
みなさん本当にあたたかかったです。
ゲストハウスで出会ったおばあちゃんも、
パンクした時に駆け込んだバイク屋さんも、
みなさん笑顔が素敵で、本当に親切でした。
また会いに行きたいです。
ただ、会話の中で印象的だったのは、
バイク屋さんから「なんで福島に?」と聞かれた時。
僕は素直に
「震災があったからです。復興の様子を自分の目で見たかったんです。」
と答えました。
その時のバイク屋さんの表情はあまり嬉しそうではないように見えました。
応急処置していただいたロードバイクをまた漕ぎながら、
僕はバイク屋さんの表情がずっと気になっていました。
「なにかまずいこと言ったかな?」
「自分の目で見に来たことはよくないこと?」
「なぜ自分の目で見に来るのが良くないんだろう?」
すぐには答えが出ませんでした。
旅を終えて
僕は復興の様子を自分の目で見、福島・宮城の美味しい食べ物をいただき、
なんとか東京へと帰り、初めての自転車旅を終えました。
僕の中で福島・宮城はあたたかい人々と美味しい食べ物に溢れた素晴らしい土地で、今すぐにでもまた訪れたい場所に変わっていました。
その時、ふと思いました。
「自分の出身地を訪れてくれた方の理由が美味しい食べ物でもなく綺麗な景色でもなく『震災があったから』だったらどうだろう?」
僕の答えは「嫌」でした。
ここでようやく気づきました。
旅をする前の僕の頭の中では、間違いなく、
東北=被災地
でした。
今までゆかりがあるわけではなく、テレビでしか見たことのない地域のイメージなんてそんな程度かもしれません。
バイク屋さんの本心はわかりませんが、
きっと「福島=被災地」というイメージが根強く残っていることを知り、
「震災を忘れてはいけない」という気持ちと、
「福島には良いところもたくさんあるのにな」という気持ちが
一瞬ぶつかったのではないかなと考えています。
「自分の目で見る」ということ
「現地の復興の様子を自分の目で見たい」という思いからスタートした旅。
僕は心から「行ってよかった」と思いました。
妙に開けた風景、
体感する風の強さ、
自分の目線で見る瓦礫の高さ、
現地の人々の表情とあたたかさ。
全てテレビで見るだけでは得られない体験でした。
僕が感じたのは「自分の目で見る大切さ」です。
特にネガティブなイメージを持っているものに対して、
実際に行ってみること、体験してみることが大事だと思います。
僕らが忘れてはいけないこと
そして、10年経った今、僕らが大切にしなければいけないことは何か。
僕は「当たり前だと感じていることに感謝し、その感謝の気持ちを発信すること」だと思います。
今置かれている環境において、
何か不満を持っている方は少なくないと思います。
無いものはたくさんあります。
でも、有るものもたくさんあります。
忘れてはいけないのは、日々「当たり前」に感謝しながら、
そして、その感謝を口にしながら生きることかなと思っています。
最後に、犠牲となられた方々の御冥福をお祈りいたしますとともに、御遺族の皆様方に心よりお悔やみを申し上げます。
それではまた。
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